出雲・萩津和野の最近の記事

東京五輪に合わせて「山の日」が移動したおかげで3連休となった8月初旬
昨年高千穂に行った際、御朱印帳を購入し集めだした御朱印集めを兼ね、出雲と萩津和野を回って歩くことといたしました


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チケットはユナイテッド航空のマイルが有ったので、特典航空券で新千歳~羽田(乗り継ぎ)~萩石見を取りました
残念ながら私の住む北海道から萩石見空港へは直行便がありません
ただユナイテッド航空はJALやANAの国内線特典航空券とは違い、1回づつの搭乗に対してのマイルを特典航空券に替えるのではなく目的地までの飛行するマイル数に応じた、マイルで換算してくれるので、国内の旅行ではかなりお得感が有ります
JALやANAだと繁忙期は片道18,000マイル(新千歳~羽田9,000マイル+羽田~萩石見9,000マイル)は掛かるだろう処、6,000マイルで萩石見まで飛ぶことが出来ました
しかもユナイテッド航空はスターアライヤンスメンバーなので、あらゆるところでANAのステータスが使えるのも嬉しいですね
まずはANAプレミアム・チェックインカウンターでスムーズにチェックインさせていただきます
 

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ANAプレミアム・チェックインカウンターの奥にある専用保安検査場を抜けたら、エスカレーターで3階へ
いつもならここで正面右側のANAラウンジに向かうところですが
今回は我が家の奥さんが修行の結果ANAもダイヤモンド会員となっていたので、おこぼれで(同伴ともいう)左側のANAスィートラウンジに入れることとなりました
ちなみにANAのスィートラウンジは全国に5つ(羽田空港・伊丹空港・福岡空港・那覇空港そして新千歳空港)しかない貴重なプレミアムなラウンジです

 

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入ってすぐにANAラウンジにもある北海道の苔山をかたどった緑の山が迎えてくれました
ということで初となる新千歳空港ANAスィートラウンジ潜入
このラウンジも東京オリンピック2020に合わせ2017年にリニューアル
まだ新しさが漂っています
 

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ラウンジからは窓の外に広がるエプロンや滑走路の航空機が望めますが
低めのソファを配置し混雑時も眺めやすいよいようにしているのだとか
 

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さてまずは飲み物
特にアルコールなどが提供されるサービスカウンターがこちら
 

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生ビールは左から
「サッポロクラシック」
「サントリー ザ・プレミアムモルツ」と「角ハイボール」のコンビネーションサーバー
それと「キリン一番搾りプレミアム」
「アサヒ ドライプレミアム豊醸」
とJALのダイヤモンドプレミアラウンジ同様に日本4大メジャービールメーカーのプレミアムビールが並びます
ちなみに北海道ビールのピリカワッカは夜遅かったためか有りませんでしたが
生ビールが4種有ったら、4種飲んでしまうのが常
この羽田まで飛びますが、トイレが近くなるのでほどほどとは思いますが
ラウンジの魔力か、ついつい飲み過ぎちゃうんですよね
 

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リキュール類ですがウイスキーはサントリー「知多」「碧Ao」
焼酎は「黒霧島 EX」と「猿川」
それと日本酒は新潟の雪椿酒造「純米吟醸 ゆきつばき(越後ゆきつばき会限定酒)」
それにワインは白ワインのプロフェッショナル「ドメーヌ・タリケ シャルドネ」が冷やされていました
 

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軽食は残念ながらコロナ感染防止の観点から最小限の提供
北海道産米「ななつぼし」を使用した直巻おにぎり(昆布)
パンはYOSHIMIの「プレミアブレッド」「プレミアムブレッドくるみ」
人気のきのとやの焼きたてチーズタルトは数量限定のためか、コロナのためかはわかりませんが、残念ながらありませんでした
 

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連休がはじまる前日の夜に職場から直接伺ったことに加え
この日宿泊する東京の食堂は時短要請でみな閉まっているでしょうから東京に着いたら食べに行くところは有りません
エプロンに並ぶこの後乗り込む機材(B-787)を眺めながらの、この軽食が晩飯となりました
 

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8月初旬の連休、そろそろ旅に出たくて仕方ない方々が痺れを切らして出てきたのか、羽田空港第2ターミナル出発ロビーは凄まじく混雑していました
通常のチェックインカウンターは言うまでもなく、ANAプレミアムチェックインカウンターですら長蛇の列
長時間並んでようやくチェックイン、その後の保安検査もステータス専用のレーンでしたが、かなり並びました
チェックインカウンターと保安検査に30分近くかかったのはステータスを取って以来はじめて
いや~さすがに2020年と2021年に行われた、ANA・SFC修行者のために設けられたプレミアポイント倍付けキャンペーンが効いたのか、ANAのステータス「SFC(スーパー・フライヤーズ・カード)」保持者はかなり増えたようです
 

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ちなみに制限区画に入りANAスィートラウンジでまったりしていた時に、ふと気づいたのですが
あれっ、さっきはあんなに混んでいたのにこのラウンジはそうでもないな~と思ったときに
そういえば昨年まではステータスの関係でANAプレミアムチェックインカウンターしか通過できませんでしたが
今年はもう一つランクが上のANAスイートチェックインカウンターが使えるんだったということを思い出しました
ダイヤモントステータスはまだ希少なので、こんなに並ばなくともすんなり抜けられただろうとちょっと後悔
 

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そう今回は新千歳空港同様、ANAラウンジではなく
ANAダイヤモンド会員が入れるANAスィートラウンジに入場できました
ということで今回のエントリーは羽田空港ANAスィートラウンジ潜入記ということになります
 

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ここのANAスィートラウンジの目玉は水と緑が調和した癒し空間「THE PARK」
緑がたくさん飾られたり、柱に水が流れていたりと公園をイメージした特徴的なエリア
席の間隔もゆとりがありのんびり過ごせそうな雰囲気でした
 

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さて次は飲物と食べ物のお話し
コーヒーはエスプレッソの本場イタリアで、120年以上の伝統を誇るラバッツァのサーバーが置かれていました
ちなみにこの日は車の運転が控えているのでアルコールは飲めません
ここに生ビールはおろかウイスキーなどのスピリッツに加え日本酒やワインもあったはずですが、見たら飲みたくなるので見ないことといたしました
 

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フード類は手巻きおにぎりが、ツナマヨ、鮭、博多明太子(有明産海苔)
海苔無しのおにぎりが、生姜昆布御飯(もち麦入り)とじゃこ
パンはクロワッサンにデニッシュと言った具合
新千歳空港のそれよりも豪勢ですね
 

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ちなみに現在はANAラウンジへの飲食物の持ち込みはOK
ということで東横インの朝飯弁当を持ち込んでここで食べさせていただきます
(そうそうこのころはそれほど煩くなかったものの現在、東横インの弁当の持ち出しは現在保健所から止められているそうです)
それに加え昨今のANAラウンジは味噌汁など掬うおたまを共有せざるを得ないと言ったコロナ感染対策として、味噌汁やスープの鍋は無いことから
自宅から持参したインスタント味噌汁とラウンジのおにぎりを加え豪勢な朝食となりました
そう昨晩は晩飯をラウンジで軽く済ませていたのでお腹がすいていたんです

ちなみに札幌から来た私が感じた実感ですが、今朝の東京は気持ち涼しい
そうこの日は8月6日、札幌でオリンピックの男子マラソンが行われる日だっったんです


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乗り込む機材はエアバスA320しかもANA(全日空)といったFSC(フルサービスキャリア)でしたが、バスで乗り込む機材に向かい
ボーディングブリッジからではなくパッセンジャー・ステップ車(タラップ車)をのぼり乗機します
さすがに1日に2便しかない羽田~萩石見の路線ならではですね
 

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さてこの日の天候はまさに日本晴れ、絶好の遊覧飛行となりました
特に空港が近づき高度を下げていくと出雲大社の杜や出雲松島の海岸線がくっきりと望め
空港に着いたらここまで走らねばとその距離に圧倒されます
 

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ということで1時間40分のフライトで萩石見空港に到着
日差しが眩しい
 

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萩石見空港にはロードレーサーなどの展示物が有りましたが
萩石見空港の有る益田市は100km信号が全くない「100ZERO」が自慢
一流の田舎町益田ではサイクリスト誘客しているようで、『益田INAKAライド』なる萩・石見空港滑走路を走行そして日本海から匹見峡へ、海から山を楽しむイベントなどが行われている自転車の街なんだそうです
レンタサイクルもあるようで、のんびりサイクリングを楽しむのも良いかもしれません


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石見神楽の花形演目!「(八岐)大蛇」の展示物もありました
ということでレンタカーを借りたら、すぐに須佐神社や出雲大社を目指します
そう今回の旅も分刻みの弾丸旅行
それに加え今回はネコブルを飛び越え「トラブル」も発生してしまうなど波乱の旅となりました
 

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今回の旅の最初の目的地
萩・石見空港からレンタカーで下道を走り3時間弱
『出雲国風土記』にも登場する古社
「須佐神社」にやってきました
 

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ところが何故か私が行ったちょうどその時、すさまじい豪雨に襲われました
しかも雨が降ったのはまさにこの神社一帯だけだったようで、この後須佐神社から出雲大社に向かいましたが走り始めてすぐに道路は雨どころか乾燥路面となってしまったくらいです
どうやら私が伺った時にピンポイントで降った神社周辺だけのゲリラ豪雨だったようです
ちなみに神社で雨は穢れを落とすと言う意味で吉兆らしいので、悪いことだけではないようです
 

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さて須佐神社ですがヤマタノオロチ退治で有名なアマテラスオオミカミの弟であるスサノオノミコトを筆頭に、ヤマタノオロチの生贄にされそうになっていたイナダヒメノミコト(その後スサノウの奥さん)などの神様を祀る神社

 

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島根県の文化財に指定されている御本殿は柵の外からしか見られませんが、これがかえって神秘さを増しています
それでなくとも神社周辺には青々と樹木が生い茂り、幽玄な空間
「最強のパワースポット」というのも判らないわけでもありませんね
 

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御朱印をいただこうと、社務所に行ったところ
雨の勢いがさらに増してきました
御朱印帳を濡らさぬように注意して差し出しましたが


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須佐神社での御朱印は残念ながら書置きのもの
これがかえって良かった
というのはこの後行った出雲大社では、なかなか良い感じの御朱印帳を売っていたのでもちろん購入
そこに貼り付け出雲大社と須佐神社のセット
前回の高千穂シリーズとは分離して新たな出雲シリーズの御朱印帳での御朱印集めとなりました
 

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昨年、還暦をまじかに始めた御朱印集め
海外に旅行に行けなくなった事も、そのきっかけの一つですが
そんな御朱印を賜りに出雲大社へやってきました
流石は日本中の神様が10月に集まるだけあって、広大な敷地に有りました
それにしても流石は因幡の素兎の伝説のある出雲大社、狛犬ならぬ狛兎が、境内を護っておりました


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「因幡の白兎」はあの古事記にも記された神話で
大国主大神が因幡国の美しい姫に求婚するエピソードの前半に登場する物語
ワニザメをだまして向こう岸に渡ろうと考えた白兎は渡り切る手前でだまされたことに気づいたワニザメたちに体中の毛をむしり取られ丸裸にされます
そして大国主大神の兄弟たちに騙され海水で身を洗い風に乾かすよう促され実践
兎の皮はますますひどくなるというもの
そんな白兎を助けたのが大国主大神で、恩返しに八上比売との縁を取り持つというストーリーです
小学校あたりでもしかしたら習ったのかもしれない物語です
 

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そんな伝説のおかげか、縁結びといえば出雲大社と言われるくらい有名な「出雲大社」へやってきました
正面鳥居をくぐり境内へ
先ほどの須佐神社でのゲリラ豪雨がまるで嘘のような晴天です


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四の鳥居をくぐるあたりで
拝殿が見えてきます
 

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まずここでお参り
出雲大社のお参りの仕方は、一般的な神社と異なり「二礼四拍手一礼」
大注連縄が有名な出雲大社で、実物はこんなものかと思ってしまいましたが
実は有名な大注連縄は神楽殿のもの
兎に気を取られ見過ごしてしまいました
 

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続いて、社務所に立ち寄り
御朱印を賜ります
 

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出雲大社の御朱印は「参拝」と書かれたシンプルなもの
 

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出雲大社には本殿の他にもパワースポットがいっぱい
まずは本殿の背後にある素鵞社
出雲大社の摂社でスサノオノミコトをお祀りしたお宮
ヤマタノオロチを退治したスサノオノミコトは、英雄神として出雲に君臨
素鵞社の背後には、出雲大社を見守る八雲山の岩がせり出していますが、その八雲山は禁足地であり、一般の人は入ることができない聖域です
 

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出雲大社の御本殿裏にて、御本殿を見上げる狛犬ならぬ狛兎たち
 

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最後に大国主大神の「ムスビの御神像」
日本の荒海の向うから現れた幸魂奇魂(さきたまくしみたま)を授けられ、結びの神となられた神話に一場面
を見て出雲参りは終了


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こんな感じで兎にばかり気を取られ、有名な大注連縄のある神楽殿を見るのを忘れましたが、まさに後の祭りでした
まぁそれはまた次回のお楽しみという事で

出雲と言えば割子そば
割子(わりご)とよばれる丸い器に盛られた蕎麦が特徴で、わんこそばや戸隠そばと並んで日本三大そばと呼ばれる蕎麦
出雲大社での参拝のあと昼食に食べようとやってきました
伺ったのは創業天明年間、江戸時代後期200年以上続く出雲そば屋の老舗「荒木屋」です


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店先に来店者の写真が飾られていましたが日本テレビ「沸騰ワード」で毎回立ち食いで見事なすすりっぷりを見せてくれる立ち食いの女王こと佐藤栞里さんも訪れたことのある蕎麦屋のようです
 

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普段なら休日はかなり並ぶようですが、コロナ禍に加えここを訪れたのが午後1時半という事で
ちょうど食べ終わって帰るお客さんの多い時間帯ということもあり、すぐに座れました
 


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さてメニューに目を通しますが無論頼むのは割子そば
メニューには「名物割子そばの召し上がり方」と言ったマニアルも載っていました
1.割子そばの上に薬味を乗せてください
2.「の」の字を書くように少量のおだしをかけて召し上がって下さい
3.食べ終わりますと、残ったおだしを次の器に下げ、又おなじようにおだしをかけてお召し上がり下さい
4.残ったおだしはそば湯のなかに入れて飲んで下さいませ
 

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限定物に弱い私は
限定の『割子天ぷら蕎麦(1,610円)』を注文
天ぷらは、海老に、かぼちゃ、茄子
天つゆの代わりに抹茶塩が添えられています
蕎麦屋の天ぷらって美味しいからついつい頼んでしまいますね
それにちょっと黒みがかった蕎麦は、地元出雲の玄そばを丁寧に石臼挽きしてあるのだとか
 

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我が家の奥さんは定番の「割り子三代そば」有機卵、とろろ入り
そうそうそばつゆのウルメイワシとアゴでとった出汁が美味い
 

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ちなみに席の上には何と長嶋茂雄氏の「洗心」(昭和61年来店)と書かれた色紙が有りました
あの読売ジャイアンツ(巨人)終身名誉監督である長嶋茂雄氏も訪れたお店のようです
 

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平成12年から13年にかけて、出雲大社境内遺跡からスギの大木3本を1組にし、直径が約3mにもなる巨大な柱が3カ所で発見されました。これは、そのうちの棟をささえる柱すなわち棟持柱(むなもちばしら)で、古くから宇豆柱(うづばしら)と呼ばれてきたものです。境内地下を流れる豊富な地下水のおかげで奇跡的に当時の姿をとどめて出土しました。(島根県立古代出雲歴史博物館HPより下の写真と共に拝借)
これは鎌倉時代前半(1248年)に造営された本殿を支えていた柱である可能性が極めて高いとのこと
 

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萩石見空港から3時間もかけ出雲に来た理由は、実は古代出雲歴史博物館でその宇豆柱から推測した巨大神殿の模型が見たかったからでした
ということで割子そばを食べた後は、出雲大社に隣接する島根県立古代出雲歴史博物館へ
 

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古代出雲歴史博物館の受付でチケットを頂きましたが、子どもおもちゃ博覧会もやっているとのことで
ついでにこちらのチケットもいただきます
 

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さて古代出雲歴史博物館のお目当である、平安時代の出雲大社本殿の高層神殿(1/10サイズの模型)がこれ
ずいぶんと長い階段ですが、長さは何と108mもあったのだとか
 

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それに加え驚愕するのはその建物の高さ
平安時代の出雲大社の高さはこの10倍の高さというから48mあったことになります
現代でも16階程度の高層マンションに相当しますから、よくぞそんなもの建てたなという思いがします
 

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そこで思い起こすのが「出雲の国譲り神話」
古事記や日本書紀の中で、天照大神の命令で出雲の大国主命が日向のニニギノミコトに、神殿建設を条件に国を譲るというお話
前述の宇豆柱などの遺跡からこ神話って本当にあった話なのではと思わせます
ただしこの後見ることとなった青銅器や剣などの遺跡などから推測する武器や当時の領土の広さやからいって、国を譲らざるを得なかったほど出雲は弱かったわけではなさそうです

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博物館には重要文化財に指定される荒神谷遺跡という古代遺跡で見つかった青銅器国宝、加茂の銅鐸も展示されていました
荒神谷遺跡ではそのほかにも、前述の話の通り過去最大である358本もの大量の銅剣に加え銅鐸や銅鉾などもたくさん出土したとの事です
当時の出雲の軍事力は強大だったようです
 

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昭和28年(1953)の遷宮の時まで、実際に使われていた「千木・勝男木」も展示されていました
杉で出来ていて、千木の長さは8m30cm、重さはなんと約500kgもあるそうです
 

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「子どもおもちゃ博覧会」のほうは昔懐かしいブリキの玩具などが展示されていましたが
残念ながら撮影禁止
唯一撮影できたのはこの昔の駅舎の様子だけでした
ちなみに北松江駅とありますが、これはここ出雲を始発とする一畑電車北松江線の終点
現在は松江しんじ湖温泉駅となっているそうです
 

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出雲大社から車で数分
「島根ワイナリー」にやってきました
白い壁と赤い瓦屋根が特徴の南欧風の建物は「出雲駅伝」の中継所としても使用されているのでこの建物をTVなどで観られたことの有る方も多いのではないでしょうか
ちなみに島根ワイナリーのある出雲市大社町は、全国でも有数のハウスぶどう(デラウェア)の名産地
その生食用のデラウェアを100%使用したワイン造りを昭和34年からやっている老舗のワイナリーです
 

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ワイン醸造館では製造工程を無料で見学できるようになっているとのことで
真夏の日差しを避けるのも兼ね見学コースに逃げ込むことに
製造工程を見学者に見せているだけあってワイン圧搾機など現在主流の円筒形の圧縮機だったりと高性能の機械、設備がずらりと並んでいました
 

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ワインを貯蔵するタンクはなんと99基もあり
こうしたタンクを使い年間約30万本分のワインを生産しているのだとか
 

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ここではワインの熟成に木樽も使われているようで
「島根わいん縁結 マスカット・ベーリーA」などのワインが樽熟成されているのだとか
 


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最後に瓶詰作業ライン(まぁ最初に見ましたが)
ここを訪れたのが土曜日の午後だったためか、ラインは停まっていました
 

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最後は試飲即売館バッカスへ
ここでは8~10種類ものワインが無料で試飲できます
残念なことにレンタカーの運転があることから試飲は奥さんに任せ、私はグレープフルーツドリンクを頂くことに
 

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「日本書紀」や「古事記」の出雲神話の中でスサノウノミコトがヤマタノオロチを退治する際使われたのが「ヤシオリノ酒」
『紀・記』の時代から、現代の日本酒造りの原型のような技術があったのがここ出雲
特に出雲にある佐香神社は酒造り発祥の地または日本酒発祥の地といわれてます
そんなわけでここ出雲には酒造りの神様を祀る佐香神社があり
境内には鏡開きに使われる菰樽がずらりと並んでいました
 

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そんな酒造りの神様を祀る佐香神社のお膝元で、長い伝統を持つ出雲杜氏の手により『ヤマサン正宗』を造り続けている「酒持田本店」
蔵に併設した店の軒先には竹が立ててありました
通常酒蔵の軒先には杉玉を掲げますが、この蔵では竹を使われるようです
ちなみにその年の最初の新酒を搾った日、杜氏が山から青竹を切ってきて、蔵人たちと共に瓦に立てかけるのだそうです
 

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昔ながらの酒造りを守る小さな酒蔵
明治十年創業の蔵はまるで京都の町家を思わせる作りですが
 


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明治10年創業の建物は古い街並みを残す木綿街道の中ほどに位置し、母屋や酒蔵、検査場などの5棟については登録文化財に指定されていました
 

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ヤマサンの商号をもつ酒持田本店で有料の酒蔵見学(もちろん試飲も)
酒蔵を蔵元みずから、隅から隅まで案内いただきました
 

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まずは蔵内に設けた「出雲国酒造試験場」跡地
広島税務監督局(現在の広島国税局)から技師、兵庫・灘から杜氏を招いていたそうで
日本酒の研究に対する徹底ぶりは当時の同業者の大きな注目を集めたといいます

その建物は現在検査場(けんさば)という名前で、杜氏の事務室、蔵人たちの居間、寝室として使われているとのこと

 
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明治10年創業を思わせる蔵の梁
なかなか見事なので写真を撮らせていただきます
(他の写真も了解の上、撮影)
 

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この蔵では何と自家精米が行われているとのことで
日本酒発祥の地とされる島根が誇るブランド酒米「佐香錦」もここで精米されます
 

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酒米を蒸す蒸篭
熱源はボイラーからの蒸気だそうです
 

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さて蔵の二階に上がり麹室へ
酒持田本店が醸す日本酒の麹はすべて手造り
麹造りは職人に連綿と受け継がれた技術で大切に育てるため
蔵人は約半年間泊まり込み、夜も醪を気にしながら過ごして造られるのだとか
 

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ここを訪れたのは夏の真っ盛りということで
造りは行われていないようで、ホーロのタンクはこうして出番を待っていました
 

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タンクの酒母を温めるのに使われるのであろう暖気樽
 

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ちなみに何でもかんでも人の手による酒造りと言うわけでもなく
こうした電動のクレーンも使われているようです
 

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この蔵で特筆すべきは代々続く、写真の木槽
なんとまだ現役なんだとか
搾りの工程でも自動圧搾機を使わず木製の昔ながらの絞り機を使う木槽搾りという方法
この絞り方で仕上げた日本酒は、圧がかかり過ぎないため、繊細で華やかな香りに仕上がるのだそうで

蔵元曰く、柔らかな酒の味はヤブタでは出せず
このフネでしか絞れないのだとか
なかなかのこだわりですね
 

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昔ながらの伝統の酒造りが行われている酒持田本店ですが、「出雲国酒造試験場」時代の研究に対する伝統も引き継がれているようで
最近では低アルコール原酒の研究もやっているようで
『うさぎ雲 低アルコール純米吟醸原酒』なども醸されているとのことでした
 

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最後はお楽しみの試飲
ただしレンタカーで来ていたので試飲は我が家の奥さんのみでした
試飲したのは
『特別純米酒 誘一献(いざいっこん)』
木槽搾りの『純米酒ヤマサン政宗 9号酵母夏季限定』
『純米超辛口 佐香持田』
島根県のブランド酒米「佐香錦」で造った『純米吟醸 佐香錦』
氷温の冷蔵庫で数年寝かせた『大吟醸 斗瓶囲い 生原酒 古滴』


 

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帰りにこの木槽搾りので造った酒に興味が有り
『純米酒ヤマサン政宗』9号酵母夏季限定を購入
暑い日のキャンプで飲みたいと思っていましたが、ちょっとした事件が有り飲み損ねてしまっていました
ということでこれを書き始めたのをきっかけに先日晩酌としていただきましたが
これが結構飲みやすくて美味かった
 

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そうそう蔵の神棚には「松尾様」ももちろんありましたが
酒造りの神様を祀る佐香神社のお膝元の蔵元
酒持田本店の神棚にも佐香神社の札が祀られていました
 

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とうことでここで話に聞いた酒造りの神様を祀る佐香神社
興味があったのと割と近くにあるとのことで、向かう事にします

「酒持田本店」で聞いた話で興味を持ったことから
「佐香神社」を参拝しようと途中宍道湖を横目にレンタカーを走らせます
酒持田酒造から車で15分ほどの所にあった神社の駐車場手前の鳥居には「松尾神社」と有り、間違ったかなとも思いましたが
もう少し登ったところにある鳥居にはしっかりと「佐香神社」と有りました
 

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ところで「古事記」や「日本書紀」をはじめ、今回伺った出雲にはさまざまな神話が伝承されています
特に有名なのがスサノオノミコトがヤマタノオロチを退治するという「ヤマタノオロチ伝説」
その神話の中で大きな役割を果たすのが「酒」の存在があります、スサノウノミコトが「八塩折酒」を造らせ、それをオロチに飲ませて、酩酊し眠り込んだところを退治するお話です
そうしたことからここ出雲は奈良と並んで日本酒発祥の地ともいわれています

それに奈良時代に編纂された「出雲国風土記」には「河に包まれた佐香の地にたくさんの神々が集まり、調理場をつくり、酒を造らせて180日にわたり酒宴を楽しまれた」」と記されています
そう出雲国風土記にその名が登場する佐香神社、お酒が醸されたという記述も残されていて、『佐香』は『サケ』に通じ、「酒」の語源となったと言われていて日本酒発祥に関わる神社といわれています
 

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そんな佐香神社の
主祭神は醸造の神様といわれる「久斯之神(くすのかみ)」
 

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佐香神社は全国の酒造業者からも信仰を集めていいるうえ、酒造の許可があるようで、濁酒祭という特殊神事「濁酒祭」が開かれ、仕込まれた濁り酒を神前にお供えし、参拝客にも振る舞われます
その濁酒祭には全国から酒造関係者が集い、祈願祭も行われるんだそうです
境内にはそんな酒造関係者から奉納されたのでしょう蔵の名が入った菰樽がずらりと並んでいました
 

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参拝を済ませたら、次は「御朱印」を賜ります
看板を見ると宮司さんは下にある鳥居北側の住宅にいるようです
 

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ということで階段を降りて宮司宅へ
ここで書置きの御朱印を賜りました
宮司さんとしばし話しましたが、聞くところ昨年北海道から酒造りに関わるかたがやはりこの佐香神社を昨年参拝されたのだとか
神社の宮司さんは、名前も聞かなかったけれど昨今のお酒にかかわる経済状況を鑑み、その参拝された方を随分と心配されていました
 

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賜った御朱印を持参し再度、佐香神社へ
 

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境内には「松尾神社」「佐香神社」だけではなく
「稲荷神社」まで有りました
 

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そうそう神社の石段を登っていた時にまるで導くように八咫烏ならぬ黒いイトトンボが飛んでいて何だかよい気分になりましたが、やはり「酒」にまつわる神社だけあって私には縁が深いのかもしれません


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出雲市には100kmもの長い海岸線があって各地に漁港があるうえ、神西湖と言ったしじみの産地があったりします
という事でこれは海鮮物を食べねばならないとばかりに
宿泊する東横イン出雲市駅前のすぐ隣にある『すし居酒屋日本海 出雲市駅前店』に伺いました
本当なら有名店である「のどぐろ日本海」を予約しようと思っていましたが、残念ながらこの日満席で予約が取れず、のどぐろ日本海の系列店である「すし居酒屋日本海」へやってきたわけです
 

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もっともその「すし居酒屋日本海」も、予約が取れてはいませんでしたが入店時間が早かったおかげか無事入店できました
入店の際にスタッフが悩んでいましたが、滞在は1時間くらいなのでと伝えるとすんなり入れてくれました
店に入ると店内のカウンターの棚には地酒がずらりと並んでいます
先ほど日本酒発祥の地出雲の佐香神社を参拝したばかり、今晩はそんな日本酒を嗜むことにします
 

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とは言っても炎天下の中、出雲大社等を歩き回っていたのでもう喉はカラカラ
まずは生ビールで喉をうるおします
 

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この日は奥のテーブル席に案内されましたが
その壁にはなにやら魅惑的なメニューが並んでいました
たとえば
『神西湖産 しじみ貝 酒蒸し』
『唐辛子の辛味がたまらない!島根のB級グルメ 浜田名物 赤てん』
などなどこれは頼まずにはいられませんね
 

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ということで生ビールのつまみに頼んだのが
島根県浜田市のご当地グルメ「赤てん」
魚肉のすり身に赤唐辛子を練り合わせ、パン粉を表面にまぶして揚げたものなんですが
辛味が絶妙で、これがめちゃくちゃビールに合います
これは帰りに萩・石見空港で土産に買って帰らねばならない逸品です
(実はとある事情が有って残念なら買えませんでした、そんな事情はまた後日)
 

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続いて神西湖産 しじみ貝 酒蒸し
これはカセットコンロに載せられ提供されました
どうやら自分で火加減を調整し程よいところでいただくようです
ちなみにその神西湖産 しじみ貝ですが、知る人ぞ知る逸品
ここ出雲の近隣には宍道湖があり、そこのしじみも有名ですが
宍道湖に比べて神西湖の方が塩分濃度が高いため
シジミに泥臭さが少なくコクがあり旨味成分が多いのが特徴
 

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下の写真は翌朝、朝焼け時の神西湖
漁師さんの船も見かけましたが、なにやら漁師が湖に入って手掻きでとる漁法で
しかも漁師1人当たり1日に約20kgまでしか取れない規則なのだとか
 

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おかげで島根県きっての高品質のしじみと言われている神西湖産 しじみ貝ですが
市場にほとんど出回ることのない「幻のシジミ」とも言われているのだとか
もちろん美味しくいただかせてもらいました
 

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さてここ「すし居酒屋日本海」は、のどぐろ専門店「のどぐろ日本海」の姉妹店
もちろんのどぐろメニューも充実(ほとんど同じなんだそうです)しています
 

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頼んだのは「のどぐろ姿造り(1人盛)」1,580円
のどぐろは高級魚として知られていますが、それが一尾まるまるお造りになっています
 

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さてこのあたりで日本酒に移行
頼んだのは、ここ出雲の地酒「出雲富士」
地元産の酒米と木槽搾りにこだわる酒蔵です
そう言えば先程酒蔵見学させていただいた酒持田本店も木槽搾りに随分とこだわっていました
このあたりはもしかしたら出雲杜氏の伝統なのかも知れません
そうそう残念だったのが、この徳利
これ一本が2合と言った観光地価格だったからです
 


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そしてこの店に来たお目当ての「のどぐろ丼(金のどんぶり)」
全国ご当地どんぶり選手権二連覇と言った逸品
さすがにこれは絶品でした
 

 
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のどぐろ汁には、のどぐろのアラがたっぷり入れられた逸品
これで〆
次のお目当ての店に向かいます
 

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さっぽろばんけいスキー場「 ban.K」を舞台に自然に囲まれた夏のスキー場で楽しむ、札幌発のクラフトビールの祭典「サッポロビアフォレスト
コロナ前は毎年のように参加していました
 

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そんなサッポロビアフォレストで出会ったクラフトビールに「大山Gビール」というのがありました
特に感動したのが、白ビールであるヴァイツェン
2011年に行われた世界で最も名誉あるビールの祭典WBA(ワールド・ビア・アワード)のヴァイツェン(小麦のビール)部門で世界一に輝いた実績のあるクラフトビールで
ここ鳥取県を代表するブルーワリー
商品名の大山Gビール(地ビール)というのもなかなか良いですね
 

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すし居酒屋日本海でのどぐろ丼を堪能した後
そんなクラフトビールを目当てにやってきたのが、イズモ・ブルーイング・カンパニー
宿泊する東横イン出雲駅前店からも歩いて5分くらいのところにあるクラフトビール専門店です
この日の最高気温は33度と高いうえ夕方の気温も24度くらいあり
外でクラフトビールを愉しむ方もいられました
 

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とはいえ北海道に居住する私どもが、蒸し暑い外気に耐えられるわけもなく
エアコンの効いた店内に逃げ込みます
カウンターは残念ながら先客がいたのでテーブル席へ
 

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メニューを見ると出雲ビールは無論
お目当ての大山Gビールの「ヴァイツェン」
湘南ビールの「アマビエIPA」「湘南ゴールド」
伊勢角屋麦酒の「ペールエール」など前述のサッポロビアフォレストでもおなじみのクラフトビールに加え、私の住む北海道のブリューワリーである忽布古丹(ホップコタン)醸造の「ハシカプ」の名もありました
 

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とはいえ頼むのはもちろんお目当ての「大山ヴァイツェン」
それに加えて出雲ビールオリジナルIPA3種飲み比べ
「パンキッシュIPA」「レッドIPA」「シトラスキッスIPA」をオーダー
 

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出雲ビールのおとももまたのどぐろ
かわいいのどぐろの唐揚げ肴に真夏の蒸し暑い夜にクラフトビールを堪能しました
 

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出雲での宿は東横イン出雲駅前店
ビジネスホテルということもあり宿泊費がリーズナブルなうえ
全国(フランクフルトも泊まりましたが)ほぼ同じ仕様で同じサービスが受けられるという事もあり
安心して泊まれるのが魅力の宿です
 

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それに加えて無料の朝食が嬉しい
無料ということでいたってシンプルな朝食ですが
おにぎり、パンをはじめ、おかず数品、みそ汁、漬物など簡単な食事がビュッフェ方式で提供されていました

ちなみにこのサービス
かなり昔の話ですが大阪の東横イン梅田中津で始めたのがきっかけで、全国に広まったのだとか
もともと東横インで朝食は提供されてはいなかったものが
お腹を空かせて仕事に出向くビジネスマンにすこしでもお腹の足しにでもと
支配人自ら毎朝おにぎりを握り提供したのがじはじまりと聞いています
もっとも東横イン自体が、ホテルのことは全て支配人に任せるという方針
チェーン店といえどそうした自主性が、これほどのホテルを全国に展開できた理由なのかもしれません

ちなみに・・ビュッフェ方式で提供されていましたと過去形で言うのは訳がありまして
最近ではコロナ感染防止の観点からビュッフェ形式ではなくお弁当に替わっています
これには感染防止のため部屋で食べてほしいというのもあるはずです
 
 
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今回宿泊した東横イン出雲駅前の朝食弁当は今こんな感し
 

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この日はなんとカレー丼も提供されていました
カレー好きの私はもろんこのカレー丼をチョイス
味噌汁とともにロビーでいただきました
 

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函館は仕事でよく出向きましたが、その際頂いたのは
こうしたワンプレートの朝食でした
函館では定宿としている東横イン函館朝市では朝食にご当地物のイカの塩辛が食べ放題だったのですが
それが楽しみで東横イン函館朝市に泊まっていただけにこれだとちょっと寂しく思えます
 

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東横イン石垣島ではこんなご当地グルメ
ジューシーご飯の弁当だったりもしました
 

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東横イン中部国際空港2では
弁当に加えて炊き込みご飯のおにぎりも提供されていました
 

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ちなみに東横イン佐世保駅前では、長崎名物の『皿うどん』『豚の角煮のちらし寿司』なども提供しているらしい
これは東横インの朝食目当てに佐世保に行くのもいいかも
佐世保港では海上自衛隊 艦艇見学(倉島一般公開)なんてのもありますね
 






 

朝早くに出雲を出発
2時間半レンタカーを走らせ萩へとやってきました
まぁもともと萩津和野観光のため、萩石見空港便を予約したのですが
ついでに出雲大社で御朱印を賜りたくてついつい出雲観光も加えてしまったため
無駄な数時間をレンタカーで費やすことに
ということでやっとやってきた萩
まずは「史跡萩反射炉」を見学
 

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さてその萩反射炉
江戸時代末期、萩藩は外国からの脅威に備え軍事力の強化をはかるために、鉄製大砲の鋳造に必要な反射炉の導入を試み
安政3年(1856)に試作的に築造した反射炉です
 

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ただしこの反射炉、反射炉の建造に成功していた佐賀藩に、大工棟梁を派遣し製作方法の教えを請いにいったが教えてもらえず、外観をスケッチして描いた図面をもとに作ったらしくて、結局大砲を作るほどの品質の鉄はできなかったのだそうです
要は失敗作、いやもとい試作品と言ったところでしょうか
技術大国日本においてもこうした話はたくさんあったようです
 

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ということで「史跡萩反射炉」
19世紀半ば、西洋科学に追いつくために、西洋の産業革命の波を受容して工業立国日本の土台を築いた産業革命遺産
というか産業革命の歴史には必ずあったであろ失敗を証明できる遺産として
今後この萩に残っていくのでしょう
 

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世界遺産「松下村塾」

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写真はわずか29歳でその生涯を閉じる吉田松陰の肖像画です
私自身はこの絵、小学校の教科書か何かで見た記憶が有ります
 

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この写真が有ったのは萩市の松陰神社の境内にあった「松下村塾」
幕末期に吉田松陰が主宰した私塾です
2015年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産として世界遺産に登録されました

という事で出雲観光のあと、一路レンタカーを走らせ萩へとやってきました
これからは維新の志士達ゆかりの地などが数多く残る歴史の町「萩」を見て回る事に
そういつもの通りの弾丸旅行です

 

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吉田松陰が主宰する松下村塾は武士や町民など身分の隔てなく塾生を受け入れたのが特徴で
この松下村塾から久坂玄瑞、高杉晋作、桂小五郎(木戸孝允)、初代内閣総理大臣・伊藤俊輔(博文)、山県狂助(有朋)、品川弥二郎など、幕末から明治にかけて活躍した約80名もの人材が輩出されました
 

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とは言え、下の写真の説明書きにあるように、吉田松陰が教壇に立ち塾頭として教えた期間は1857年~吉田松陰が投獄されるまでのわずか1年ほど
敷地内の実家に幽囚されていたときを通算しても2年半でしかありません
そんな短い期間にこれだけの塾生・門下生が育ち、のちの明治維新の原動力となる多数の若者が輩出されたというのは驚きでしかありません
 

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建物は木造かわらぶき平家建の小舎
この小さな小屋から吉田松陰のもと学んだ若者が明治維新を経て新生日本の誕生にかかわっていきますが
それをそのまま鵜呑みにしていくのは問題が有るように思えます
というのもそれらは全て勝者の論理
明治新政府がその成立を正当化するために創り上げた、偽装された歴史観
いわゆる「薩長史観」というものが見え隠れするからです
 

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もともと幕府への痛烈な批判を起こしたのは、この吉田松陰
鎖国政策の中、下田港に停泊していた黒船でアメリカに密航しようとしたり
取り調べ中に幕府の重役である老中、間部栓勝を暗殺しようとしていると自白したりと
江戸幕府からするとテロリストとなんら変わりが無いからです
吉田松陰は「身はたとえ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留めおかまし 大和魂」という辞世の句を残し処刑されますが
松陰の処刑後、松下村塾の塾生たちや日本国内の尊王攘夷派が倒幕を大きく進めることとなります
 

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という事で次は隣にある吉田松陰、幽囚の旧宅へ
 



世界遺産「吉田松陰幽囚の旧宅」

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松陰の実家 杉家旧宅
松下村塾の隣にありましたが、ここは吉田松陰幽囚の旧宅として
2015年に松下村塾とともに世界遺産(明治日本の産業革命遺産)として登録されました
この古めかしい旧宅がなんです
このように公開しておりますが、建物の保存状況を鑑みると公開はある程度にしておかないととついついおせっかいなことを考えてしまいそうです
 

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長州藩の下級武士の家に生まれ吉田松陰は、わずか9歳のときに、長州藩の藩校明倫館で教師の見習いをするなどのとんでもない秀才だったようで、藩主毛利敬親までにまでその名が知れていたのだとか
安政元年(1854) に伊豆下田でアメリカ軍艦による海外渡航に失敗して江戸伝馬町の牢に捕らえらます
身柄は長州藩に移され野山獄に投獄、その後釈放され、実父・杉百合之助預かりとなり、実家で謹慎生活を送る事になります
今の時代に自宅で謹慎などいっても大したことの無いように感じますが
当時は藩からの命令は絶対厳守
1年半の期間、3畳半の部屋に幽囚したとの事ですから、命令はしっかりと守られたようです
 

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その時幽囚されたのがこの邸宅
建物内部に入ることは出来ませんが、戸や窓は開け放たれていたので、内部も見ることが出来るのですが
東側にある3畳半の一室の幽囚室は見ることは叶いませんでした
 

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ただし幽囚といっても講義は可能だったようで、その講義を受けるた松陰を慕う者や、国禁を犯した松陰に興味のある近隣の若者が来るようになったのだとか
やがて幽囚が解かれ、前エントリーのように松下村塾の塾頭としてその後の人材を輩出
明治維新の精神的指導者としての役割を果たすこととなります
 

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さえて何だかぼろそうな世界遺産(明治日本の産業革命遺産)3連チャンを見学した後は
御朱印を賜りに学問の聖地「松陰神社」へ




 

世界遺産(明治日本の産業革命遺産)三連チャンのあとは
吉田松陰をお祀りしている「松陰神社」を参拝
この神社は学問の神様であることから受験シーズンにはたくさんの参拝客が訪れるんだそうです
 

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神社前の巨大絵馬には吉田松陰の他、初代内閣総理大臣の伊藤博文らしき絵も描かれていますが
松陰神社は松下村塾出身の伊藤博文や野村靖などによって、昭和40年に建立されたそうです
 

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ちなみにこの日は神前結婚式が社殿で厳かに執り行われていました
私どもの結婚式も神前ですが、それはあくまでホテルの1室にある神棚でおこなわれたもの
こうして実際の神社で執り行われる儀式はなんだか趣が有りますね
 

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お参りの後は社務所の「御朱印受付」に立ち寄り
お決まりの御朱印を賜ります
 

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御朱印は「至誠」と筆耕されましたが、この「至誠」吉田松陰のモットーであったと言われており
孟子の離婁章句にある一節「至誠にして動かざる者は未だ之れ有らざるなり」
(こちらがこの上もない誠の心を尽くしても、感動しなかったという人にはいまだあったためしがない)が由来なんだとか

ちなみに「はぎ」とも書かれていますが、これは世田谷の松陰神社と区別するためのものなんでしょうか
 

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隣には松門神社がありますが、こちらは伊藤博文、高杉晋作、山県有朋など吉田松陰の門下生である松下村塾の塾生たち53名を祀った神社
吉田松陰の門下生ということで「松門」かな・・
こちらももちろん参拝していきます
 

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次は少し歩いて伊藤博文別邸へ
 



伊藤博文別邸(萩市)

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初代内閣総理大臣として有名な伊藤博文の像
萩焼でつくられたほぼ等身大の陶像は松陰神社から歩いて5分くらいの所に有りました
旧千円札の肖像として使われていたのでその顔を覚えている方は多いのではないでしょうか
 

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その陶像の傍には伊藤博文別邸がありました
博文が晩年のとき(1907年)に東京大井村(現在の品川あたり)に建てた広大な邸宅(車寄せのある寄棟造りで中庭をはさんで向って右に西洋館、左に書院を配し、その奥に離れ座敷、台所、風呂、蔵を備えたもの)で、
ここ萩市の伊藤博文別邸には、そのうち従事の面影をよく残す、玄関、大広間、離れ座敷の3棟を移設し復元したそうです
 

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ここからは常駐していたガイドさんから聞いたお話し
廊下の天井に貼ってあるのが、宮大工・伊藤万作の手による厚さ5cm、幅2m、長さ10m、
奈良の樹齢1000年の吉野杉の一枚板を使った切れ目がない大広間の鏡天井を移築したもの
東京品川にあった時はこの板は繋がっていて1枚板でしたが、トラックに積めないのでやむを得ず切断したという逸話が残っているそうです
 

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離れ座敷にはこれまた宮大工伊藤満作によって造られた節天井と呼ばれる天井がありました
木材の節を見事に使っていますね
寝ていると気になる天井ですが、そんな狙いがあったのかもしれません
 

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離れ座敷には伊藤博文自身が書いた掛け軸がありますが、なかなか達筆だったようです
ちなみに書家や詩人としても有名な存在だった伊藤博文の書や掛け軸はオークションや買取市場でも人気なのだとか
 

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大広間にあるこの掛け軸も伊藤博文自身が書いたもの
この掛け軸には
「江山秀麗似仙郷依舊 林園尚帯香往事茫々人不 見古城秋色自荒凉
辛卯十月過指月城賦之 春畝公人博文」と書かれています
何だか高そうに感じます
 

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パティオのような中庭には
明治天皇から下賜された石灯篭がありました

さて最近その明治天皇の件ですが、
実はある時点ですり替えられたのではと言った説が今またぶり返しています
発端となったのは昭和4年、元宮内大臣田中光顕という人物が晩年に「明治天皇に即位した睦仁を毒殺し、別人にすり替えた」と語ったのがそのはじまり
まぁ都市伝説のようにも感じますが・・・しかも証拠と言われているものも多数存在します
例えば本来なら明治天皇になるはずの、睦仁は内向的で右利きで字が下手、しかも馬に乗るのも嫌うほど運動音痴だったそうです 
即位後の明治天皇は、スポーツマンで乗馬と相撲が好きで、左利きで字が上手かったという話
そしてこのころには写真が流行り始め、即位前と即位後の写真が比較されたりと、そのすり替え説の証拠となるものも多く存在するようです
すり替わったとされる大室寅之助が南朝の末裔だったから?というのも真実味を増しています
というのも南北朝時代に端を発した、南朝と北朝の対立構造もその背景にはあると言われているからです
前述の松田松陰が南朝派だったからとも言われたり、諸説あるようです
 

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大広間には伊藤博文に関する資料やビデオ
そして生い立ちからハルピンでの暗殺をパネルで展示しています
 

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そんな生涯を綴ったパネルで気になったのが1905年に伊藤博文が64歳になっとき
韓国統監府の初代統監となったときのパネル
ちなみに伊藤博文自身は朝鮮半島の植民地化には反対だったようです
その隣にはハルピンにて暗殺というパネルもありました
まぁ伊藤博文を語るうえで欠かせない話なんでしょうけど・・・
朝鮮の独立運動家で韓国で抗日英雄とされる安重根の仕業とされていますが、おそらくは違うのではと思われます
確かに安重根は伊藤めがけてピストルは撃ったようですが、実際には弾丸は伊藤に当たっておらず、別の位置から狙撃をした者の弾丸が伊藤の命を奪ったという説が有力です
というのもその時、安重根が所持していたピストルはクンフト社製のブローニング拳銃
けれど伊藤博文の体内で見つかった銃弾はフランス騎馬隊のカービン銃のもの
しかも伊藤に当たった銃弾は安重根の居た1階ではなく、2階から撃たれた弾道でないと説明できない銃創だったそうです
事件の捜査に政治的な配慮は無かったのでしょうか?何だか不思議な話です
ケネディ大統領を暗殺したオズワルドと同じ匂いがしますね

さて伊藤博文が暗殺された翌年、伊藤博文自身の思いとは裏腹に朝鮮は日本に併合されます
ということは真犯人はこの併合にかかわったと人物とみるのが妥当のように思えます
 

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さて次に伺った、伊藤博文別邸に隣接する旧宅は木造萱葺き平屋建て、29坪の小さなもので典型的な下級武士の住宅です
残念ながら保存修理工事中のようで入館できませんでした
伊藤博文の旧宅と別邸、二つの建物は隣り合わせで建っていますが
江戸時代に下級武士である中間の身分の子どもであった博文が、明治時代に初代の総理大臣までに昇りつめた今太閤と呼ばれるほどの立身出世物語をこの2つの建物が物語っているようです
まぁ別邸の移設候補地にここを選んだ人の思慮が垣間見えますね
旧宅は明治元年(1868)博文が28歳で新政府に出仕するまでの14年間ここが生活の本拠となったそうで、ここから歩いて10分ほどの松下村塾に通っていたのですね


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下の動画は
萩市観光課公式チャンネル「はぎたび-hagi tabi-」にあった「伊藤博文別邸」の動画です
くわしくはこちらで
 


 

なんだか今回のエントリーは炎上しそうな説がずいぶん紹介してしまいましたが
最近また「反薩長史観」の説が出始め、明治維新が見直され、様々な説が浮かび上がってきたようなのでそんな話も交えてみましたが、他意は有りません
最後に伊藤博文別邸2階からは眺めたのどかな田園風景で締めくくりますが
そろそろお腹が空いてきましたが、昼の予約時間までちょっと時間が有るので
松陰神社境内にある吉田松蔭歴史館を覗いていくことにします
 

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意外と見どころ満載だったのが今回のエントリー吉田松蔭歴史館
これまた松陰神社境内にありました
ここはロンドンのマダム・タッソー館を意識して昭和43年に開館した日本で最初の蝋人形歴史館だそうです
一回りしてきましたが、明治維新の中心人物となった吉田松陰先生の御生涯を、20の場面にわけ、70体以上のろう人形で再現した珍しい展示施設で結構リアルに再現されていて見応えがあったので紹介します(ちょっと長いです)
 

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松陰の生家、父は毛利藩の下級武士、杉百合之助の次男として生まれ、貧しかったようですが、父は非番の際には一家で田畑を耕したり、山に薪を採りに行って家計の助けとして、その勤労の間にも子供達に学問を授けたとのこと
 

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4歳で叔父(父・百合之助氏の弟)・吉田大助氏の養子となります
ところが翌年その吉田大助氏が若くして亡くなり、松陰が5歳で吉田家を兄梅太郎と共に近所に住んでいた叔父・玉木文之進が開いた松下村塾に通って厳格な教育を受けた
これはその兄と共に玉木文之進の教育を受ける場面
 

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まだ幼かった松陰は周囲の人々から英才教育を受け、10歳のときに藩校明倫館の兵学師範として教壇に上がり、松陰は秀才と噂されます
これは11歳のときには藩主・ 毛利敬親の御前で兵学講義をした場面
 

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藩主・ 毛利敬親はいたく感激して松陰の才能を認め、その後、遊学許可など数々の便宜を図りました、ということで全国遊歴の旅へ
北は青森、南は長崎まで5年足らずの間に歩いた距離は13,000km
ただし、約束があったため藩からの通行証明書を待ちきれず出発したため、帰ると脱藩の罪を問われ、士籍を削られてしまいます
 

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19歳の頃、唯一外国に向かって開いている長崎港、そして平戸に遊学し北九州各地を歴訪
特に平戸では葉山左内につき猛烈な勉強を開始する
平戸藩士・葉山左内は陽明学者だったこともあり、松陰は数多い左内の蔵書を借り受け、読破すると同時に筆写を始めた、そんな場面です
 

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江戸にて松代藩・佐久間象山(西洋兵学者)の新しい考えに強く心惹かれ、入門する
象山は海外に脱出して、その文明の知識を得よとの使命を松陰に課したのである
 

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そこで松陰は安政元年(1854)、同志の金子重之助とともに、下田(静岡県)に再来航したアメリカの軍艦に乗り込み、米国へ密航させてほしいと交渉しますが、失敗
二人は自首し、江戸の伝馬町獄に投じられました
ちなみにペリー遠征記では、この松陰の向学心に燃えた精神を賛美しています
 

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幕府は密航の罰として藩に幽閉
松陰は江戸の伝馬町獄から萩に送り返されて野山獄に入ります
ここで松陰は猛烈な勉学を開始するとともに、囚人教育を自発的に始めますが
これが後の松下村塾への基礎となっていきます
 

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安政2年(1855年)12月、野山獄を出て実家である杉家に幽閉の身となりますが
そこでも松陰は親族や近所の者たちに講義していました
そんな松陰のもとに、野山獄で行っていた獄中講義が評判となり、親類や近所の若者たちが松陰の教えを請いに集まってきため、杉家の古い小屋を改装して講義室にあてる事になります
そんな松下村塾の増改築の場面ですが、増改築の工事はほとんどが、門弟たちの手によるもの、この蝋人形はそんな場面が描かれています

やがて松陰は松下村塾を主宰することになります
 

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松下村塾には儒教的風潮は全くなく師弟共に同行し、共に学ぶというのがその基本的方針
 

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長州第一の人物と言われ、吉田松陰の松下村塾では高杉晋作と共に「双璧」と称された久坂玄瑞が18歳のときに松陰の妹の文との結婚を勧められ結婚する場面
しかし歴史上美男で知られる久坂玄瑞は、不美人の文を嫁にもらうべきかどうか悩んだ、というエピソードも残っているそうです
 

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松陰に影響を与えた人々として、2人のお坊さんの蝋人形(僧黙霖・月性)がありました
「宇都宮黙霖」は幕末の勤王僧で、吉田松陰と論争して、松陰に倒幕論への思想転換の機を与えた人物
「月性」は江戸末期の浄土真宗本願寺派の僧で
つねに国家の前途を憂い、海防の必要を論じたため、人は彼を海防僧と呼ばれていて「人間到る処青山有り」の漢詩でも有名な人物です
 

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27歳の頃、幕府が天皇の許可なしに日米修好通商条約を締結したことを知って激怒
尊王倒幕を企て、安政の大獄で江戸送りとなります
小田村伊之助や久坂玄瑞は、江戸に旅発つ前に何とか松陰を実家に帰らせたいと考え手を尽くし出立の前日に一晩だけ帰ることが許されます
送別の宴で、肖像画八枚に形身の賛を書いたそんな場面
 

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有名な「涙松の別れ」の場面
萩城下を出て、涙松に差し掛かった時、松陰は頼んで駕籠を下り、雨に煙る萩城下に別れを告げますが
​​ 

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江戸評定所での取り調べの場面
幕府側には松陰を罰するような材料があったわけでなく、取り調べはあっさりと
終わってしまったが、しかし松陰自ら、「大原三位(公家)を長州藩に招く策」・
「老中間部襲撃策」の2つの計画を企てたことを告白し死刑の判決を下されます


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死罪の判決を受けた松陰は獄中で有名な「留魂録」を執筆、遺書とします
 

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最後に伊藤博文と山縣有朋の蝋人形
「伊藤博文」初代首相
「山縣有朋」3・9代首相 
 

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そのほか長州(山口県)が輩出した内閣総理大臣
「桂 太郎」11・13・15代首相(通算での総理大臣在職日数2886日は歴代1位)
「寺内 正毅」18代首相 
「田中 義一」26代首相
「岸 信介」56・57代首相
「佐藤 栄作」61・62・63代首相(連続での総理大臣在職日数2798日は歴代1位)
1974年にノーベル平和賞受賞

おっと96・97・98代首相である「安倍 晋三」さんの蝋人形が有りません
もしかすると再度首相になられる可能性が有り作られていないのでしょうか
 

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こんな感じで15分余り、吉田松蔭歴史館で松陰の29年の人生を顧みてきました
そろそろお腹がすいてきたので次は昼飯を食べに萩城下町へ


 

萩に来たのなら甘鯛を食べようと、昼は萩城下町近くの料亭を予約
伺ったのは萩城下町の一角にある「懐石料理あじろ」
ちなみに漁師言葉で「あじろ」とは、魚が釣れる場所を指すそうで、どうやら美味しい魚料理が食べられるお店のようです
 

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予約していたのですぐにテーブル席に案内されます
 

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テーブル席からは綺麗な壺庭が眺められ
よく見るとそこの庭の池には金魚の姿も見られます
 

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メニューを見ましたが
我が家の奥さんは初志貫徹で「漁獲量日本有数 甘鯛焼き魚御膳」を
私はと言うと店の名がついた「ちょっとした、懐石料理風 あじろ御膳」なるものをいただくことに

ちなみにこの店には総理大臣・小泉純一郎さんが命名したという「一味真御膳」なるものがあり人気なんだそうですが、内容はうに丼、北海道の人間が萩まで来てうにもないだろうとこれはパスいたしました
 

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まず運ばれてきたのが
「本山葵を乗せた胡麻豆腐、胡瓜のなます」
 

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続いて
「剣先いかの足と百合根の梅肉和え」
新鮮な剣先いかが美味しい

このあとお造りが出てきたが、残念ながら写真は有りません
お造りはヒラメとアジ、イカでした
特にヒラメは付けダレにポン酢を試してくれとの仲居さんのお勧めだったことからポン酢でいただくことに
なるほど淡白なヒラメの味にはポン酢が合うことも学びました
 

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「冬瓜のエビ煮込み」
出汁で煮た柔らかい冬瓜に、モロヘイヤの擦り下ろしがかかった一品
職人技を感じる一皿です
 

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冬瓜を割ると出てきたエビはプリップリ
 

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茶碗蒸し
餡かけになっていて、中に甘い百合根が入っていました
 

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お目当ての甘鯛の焼きもの
私もご相伴に預かりましたが
味噌漬けの身と塩焼きの頭双方が楽しめます
 

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で、私が頼んだあじろ御膳のメインは
「ヒラメ」の兜煮
これがまたでかい、頭だけでこのサイズですから
全体ではいかほどの大きさだったのかと思わせます
このヒラメを見て思い出したのが、フランスのタレーラン侯爵の逸話
『タレーランはある時二尾の立派なヒラメを手に入れましたが、二匹も出すといかにも金持ち風情が出てしまいます。そこで彼はそれを宴席で客に出す際に最初の一尾はあえて床に落とさせた、客が落胆しているところを見計らい、もう一尾のほうを出した、それを見た客達は落胆から立ち直って気付いた、これはタレーランの宴会の演出なのだと』

話がそれましたが、そんな大きなヒラメの兜煮は萩焼の大皿にどんと載せられ出てきましたが、これがまた絶品
職人技を感じる一品で、もちろん骨の髄まで食べきりました
 

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汁は赤出汁
これには魚のつみれが入っていて美味しい 
 

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デザートは黒蜜たっぷりのわらび餅の上に、黄粉
 

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こんな感じで懐石料理あじろの主、田中利隆さんの職人技をしばし堪能させてもらいました
 




 

懐石料理あじろで昼飯を食べた後は腹ごなしに萩の城下町を散策することに
そんな「萩城下町」は、旧萩城の外堀から広がる城下町
2015年にユネスコ世界遺産『明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業』にも登録されました


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広島の西条でも見かけた「白壁」と「なまこ壁」が見て取れますが、ここは「菊屋横丁」日本の道100選に選定されています
萩博物館の駐車場にレンタカーを停め歩いて回ることにします
 

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ここでも歴史のおさらい
まずは「木戸孝允(桂小五郎)」
長州藩と言うとどうしても「高杉晋作」の名を思い浮かべてしまいますが、地味ではありますが、木戸孝允いや、幕末の名で桂小五郎は実質的な長州藩の政治的リーダー格
私の好きなマンガ「おーい!竜馬(原作:武田鉄矢、作画:小山ゆう)」の中でもひたすら汚れ役ばかりやっていました
ちなみに大久保利通、西郷隆盛とともに維新の三傑に数えられています
明治新政府では五箇条の誓文を起草、版籍奉還・廃藩置県などを実現
近代国家の成立に大きな役割を果たした陰の功労者です

そんな「木戸孝允(桂小五郎)旧宅」は江戸屋横丁に面したところに有りました
木造瓦葺きの2階建ては小五郎の父である萩藩医・和田昌景の邸宅兼診療所
病弱だったこともあり8歳の若さで桂家に養子に入りった桂小五郎ですが、養子となり桂家の家督を継ぐも養父母が早く亡くなり、まだ少年だった小五郎は生家である和田家に戻り江戸へ留学に出る二十歳までここで過ごすことになります


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写真の手習いの書を表装した掛け軸には「今日」と書かれています
師匠が朱字で「もってのほかよろし」と書き入れていますが、なんとこの書
木戸孝允7歳(推定)の時の書なんだそうです
長州藩の若き俊英として名をはせるなど学問にも精通しているうえ、江戸の三大道場の一つ、練兵館(神道無念流)に入門、1年で塾頭になるなどの剣豪でもあるといった文武両立の人だったようです
ちなみに数年前に坂本龍馬、桂小五郎に敗れる「幻の剣術大会」新史料かと言った幕末の歴史好きにはたまらない史料が発見されたようです
これまたマンガ「おーい!竜馬」の逸話通りですね
 

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萩城下町絵図の屏風が有りましたが、真ん中に位置する
藩校明倫館で山鹿流兵学教授であった吉田松陰に兵学を学びます
けれど桂小五郎って松陰の主宰していた松下村塾には行っていないんですよね
もっとも吉田松陰は木戸孝允のことを「親友」と呼んでいるので「師弟」ではないのですね

 

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木戸孝允(桂小五郎)旧宅の庭
江戸時代後期に松江〜出雲で流行り始めた「出雲流庭園」で図太い松の木やソテツらしき植栽が見事でした
 

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さて次は木戸孝允(桂小五郎)旧宅と同じ萩城下町にある高杉晋作誕生地へ
 



史跡萩城下町「高杉晋作誕生地」

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高杉晋作誕生地のそばにある「晋作広場」に建立された「高杉晋作立志像」
晋作といえば「ざんぎり頭」と「着物を流しで着ている」姿のイメージがありますが、これはまげ姿に両刀を差した羽織袴
この銅像は晋作が明倫館や松下村塾に通っていた20歳頃の若々しく凛々しい顔をイメージで作られたのだとか
 

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そんな凛々しい銅像のある晋作広場から少し歩いたところに「高杉晋作誕生地」はありました
「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し」と呼ばれた幕末の風雲児・高杉晋作
刀ではなく銃を持った強い軍隊「奇兵隊」を創設したのは有名な話ですね
萩城下150石取りの上士クラスの名門の武家の家柄に生まれたそうですが、ちょっと狭いかなとも思いましたが
現在公開しているのは当時の半分ほどなのだとか
ちなみに当時500坪近くあったようです、古地図では先ほど立ち寄った木戸孝允旧宅より大きいと思っていたので変だな~と思っていました
 

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「初湯の井戸」
実際に晋作が誕生した折に用いられた産湯の井戸
 

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庭にある歌碑には
「西へ行く人を慕いて東行く、心の底ぞ神や知るらん」と
文久3年に頭をそって東行と号したとき京都にて詠んだ歌が刻まれていました
 

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高杉晋作誕生地と言えど個人所有、一部が住居になっているため、室内には入れず外からの見学となります
室内には高杉晋作の肖像画、当時の茶道具などゆかりの品が置かれています
 

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なかには高杉晋作が坂本龍馬に渡したとされるピストルの模型や晋作旅使用の茶せんと振出しなどが
ガラスのショーケースに入れられ展示されていました
 

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何だか古びたポスターが誇らしげに貼られていますが
そこには『日本を動かした男がここにいた」と銘打たれていました






その昔雑誌「アンアン」や「ノンノン」を片手に、一人旅や少人数で旅行する若い女性がアンノン族を名乗り旅をするのが流行りましたが、そんなアンノン族で賑わった街の一つが、元祖小京都として知られる津和野です
私どももそんな津和野にも足を運ぼうと、レンタカーで美しい田園のある山里を眺めつつ向かう事といたしました
 

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「萩・津和野」とよく萩観光とセットとされる津和野
もっとも今回私はそれに出雲を加え、2泊3日で出雲&萩・津和野を巡りますが
萩から津和野まで実際にレンタカーを走らせると1時間余りかかりました

津和野に着いたら、まずは御朱印を賜りに津和野のおいなりさんこと「太鼓谷稲成神社」へ
えっ神社の名前を間違えているんじゃないかって
これにはわけがあって、太鼓谷稲「荷」神社ではなく太鼓谷稲「成」神社と書くのが正しいのだそうです

何故「荷」ではなく「成」なのかというと
『江戸時代、津和野城の倉庫番をしてきた男が、蔵の鍵を無くしてしまい、お殿様から7日以内に見つけられなかったら切腹をするよう言い渡されます。その倉庫番はすがる気持ちで稲荷神社に鍵が見つかるよう毎日お参りをしたところ、7日目に無事鍵が見つかりました。そして、このいきさつを聞いたお殿様が、願いが成就する稲荷様であると仰せられ、成就の「成」の字を当てて「稲成神社」と称するようになったと言われています。』

そうこの神社には「失せ物(紛失物)が見つかると言った、大変なご利益が有るのだそうです
本殿は目にも鮮やかな朱塗りで裏に広がる杜の緑とマッチしていました

 

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おっとその前に太鼓谷稲荷神社駐車場からの景観
山にかこまれた小さな盆地に、津和野川沿いに箱庭のような町並みが広がる津和野の街が見て取れました
 

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御朱印は『四ヶ所参り』(元宮・命婦社・新殿・神殿裏奉拝所)の御朱印を賜りました
御朱印は2面を使って「神徳宏大」とい書かれています
それにこうして見ると太鼓谷稲成神社のしめ縄も出雲大社同様に立派ですね
 

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ちなみにこの太鼓谷稲成神社へは朱塗りの鳥居がまるでトンネルのように続き壮観な千本鳥居を登ってくるのが正道
けれど徒歩で階段となる参道を30分近く登るのは真夏には厳しく
この日は裏から車で登ってきてしまいました
 

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そんな千本鳥居の参道を抜けたところには手水舎が有りますが
ここも稲成神社らしくキツネが迎えてくれます


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そうここは日本五大稲荷の一つ
京都の伏見稲荷大社から勧請を受けている正統派稲荷(稲成)神社
拝殿の中にも赤いエプロンをしたキツネが鎮座していました
ここではキツネは神様を守る守護獣であり神様のお使い「神使」なんでしょうね
 

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当然のように拝殿両脇にも狛犬ならぬ狛狐が護っています
その片方の狛狐を見ると巻物をくわえていました
巻物は知恵の象徴でしょうか
 

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もう一つの狛狐は玉?らしきものを踏みつけていました
これは一体どういった意味が有るのでしょうね
 

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津和野古橋酒造で酒蔵見学

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江戸時代に亀井氏の城下町として栄えた津和野は「小京都」の代表格として知られ
城下町の古いたたずまいを残しています
駅前通りには色とりどりの鯉が泳ぐ殿町通りや、酒蔵があり
駅前商店街の幟にも「鯉と酒蔵」と書かれはためいていました
 

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津和野町は「水の郷百選」に選ばれた津和野の名水と地元の酒米、そして気候に恵まれていることに加えてお酒の消費地の萩を抱えていることから、三軒の蔵元があります
今回は明治初期の創業以来こだわりのお酒造りをつづけている古橋酒造を訪問
昔ながらのたたずまいを残す酒蔵での酒蔵見学をさせていただくことに
 

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ただ予約していた時間より早めに到着したことから
まずは昭和の香りが佇む店内を見て回ることに
 

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店内の展示物には古橋酒造が醸す「初陣」の看板やら酒樽が並んでいますが
その脇に見覚えのあるものを見つけました
それが東ドイツの信号機キャラ「アンペルマン」のマスコットやファンブック
あとで調べて分かったのですが実は津和野町とベルリン中央区は森鴎外のベルリン留学以来、有効関係があるといった理由でここに「アンペルマン」のマスコットがあるのだとか
 

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2015年の正月にベルリンを訪れた際に「イースト・サイド・ギャラリー」に立ち寄り
ベルリンの壁の跡をキャンパスにしたアートギャラリーを見て回りましたが
その際見かけたのが、下の写真にあるドイツの首都ベルリン州の正式制定歩行者信号機「アンペルマン」
ドイツの安全を守る謎の男とも言われています
 

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さらに店の奥には、地元の左官・藤本誠一氏寄贈の、龍の「鏝絵(こてえ)」がありました
漆喰を用いて鏝で作られた、まさに美術品というべきもの
とてもこれが鏝を使って作られたとは思えない造りでした
 

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そんな龍の鏝絵の先に酒蔵がありますが、酒造りと言えばまずは「蒸し」
古橋酒造周辺の津和野おくがの地区は山麓に位置し夏でも寒暖差が激しく豊富な水もあり酒造好適米栽培条件に恵まれた土地で「山田錦」などの著名な酒米などを多数栽培していますが、古橋酒造そんな山田錦などの良質な酒米を使用し酒造りが行われます
まずは酒米を洗米・浸漬し、写真の大きな釜に甑を乗せ酒米を蒸します
 

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蒸された蒸米は冷却器で冷やし麹や酒母・ もろみに使われます
特に麹室に運ばれた蒸米は酒造りのもっとも大切な工程といわれる「麹造り」に使われることに
 

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歴史を感じさせるホーローのタンクで米麹、酒母、蒸米、水を加えて三段仕込みにより発酵
もろみを醸します
 

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出来上がったもろみはこのヤブタで搾られ「初陣」などの日本酒になります
こうして一連の工程を閑散期である8月に見せていただきました
 

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続いて試飲
まず看板の酒 NO.1 大吟醸「津和野」山田錦100%
純米大吟醸「初陣」津和野産山田錦100%
季節の酒 NO.1「初陣生貯蔵酒」
低アルコール酒NO.1「梅酒」「ゆず酒」
と我が家の奥さんは楽しみましたが、残念ながら私はレンタカーの運転が有るので飲めませんでした
 

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かわりにここのお勧めを2本買っていくことに
一つは山廃仕込み純米酒「ひげ文」
地元津和野出身「髭の文豪」森鴎外をイメージした純米酒。鴎外が生きていた時代の醸造法の山廃仕込みでしっかりとした旨味とコクがあるお酒なのだとか
もう一本は初陣の夏 純米生貯蔵酒
どれも帰ってから楽しむことにします
 

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ちなみにこの古橋酒造、蔵の規模が半端なく大きい
けれどよく見ると使われていないホーロータンクも多数ありました
逆に使われているタンクのほうが少なく思えるほど
蔵の方に聞いたところもとは桶買い中心の酒蔵だったのだとか
ただしそういった桶買いに頼る経営から脱却してかなりになるようですが、最近では全国新酒鑑評会で金賞を受賞したりと今後の酒造りに期待の酒蔵です

「アンペルマン」の件は後で知ったのですが、今度是非ともアンペルマンの描かれたラベルの純米大吟醸でも出してほしいものです
 



津和野殿町通りの鯉

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古いたたずまいを残す津和野 殿町通り
なまこ壁や白壁の土塀に面し石畳の通りで、かつて武家屋敷が軒を並べています


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立派な外観の家老大岡家の正門
この門をくぐったところにはレトロな外観の津和野町役場 津和野庁舎がありますが
現在も現役なんだとか
山陰の小京都の名に羞じない風情がここに有りました
 

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そんな殿町通りで古い街並みでひときわ目を引くゴシック風建築の教会
「津和野カトリック教会」
明治時代に長崎でキリスト教徒への大規模な弾圧があり
浦上でとらえられたキリスト教徒153名が、津和野に移送
改宗のため「氷責め」「食責め」といったあらゆる拷問を受け37人が殉教したのだそうです
この教会はその殉教者を讃えるために建てた悲しい歴史のある教会です


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武家屋敷やカトリック教会など、歴史的な建築物
白壁の土塀に面し石畳の通りには掘割があり
そこには常時300匹から500匹ほどの色とりどりの大きな鯉が泳ぐ優雅な通りになっています
 

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通り沿いの喫茶店「沙羅の木」
玄関先で「鯉のえさ(100円)」が売っているのを見つけ購入
 

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殿町通りのシンボル
掘割(水路)の鯉に餌をやったのですが・・・・


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コロナ禍で餌をやる観光客が少く餌をくれないのか
まるで襲ってくるような勢いで、水面に顔を出し餌をよこせと催促してきます
鯉もまたコロナの被害者なのかも知れません
 

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今回の津和野観光ではレンタカーを駅前有料駐車場へ入庫
酒蔵や鯉を楽しみましたが、そろそろ宿の有る萩へ帰るため
津和野駅に舞い戻ってきました
 

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そんな津和野駅には「デコイチの愛称」で知られている人気の蒸気機関車D51が静態保存されています
D51は昭和11年(1936年)から昭和19年(1944年)まで、全国で国鉄最多の1,115両が生産された貨物用の主力機関車
残念ながら昭和40年代に国鉄の近代化・合理化により、D51はじめ全国の蒸気機関車が廃止されました
ただ私がまだ中学生だったころは、出身地の名寄でまだ走っており陸橋の上から手を振ると蒸気を上げ汽笛を鳴らしてくれたのを今でも覚えています
 

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後ろ姿もなかなか凛々しい
 

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運転席も解放されていて見ることが可能でした
 

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駅の改札口で知ったのですが、この連休は「やまぐち号」が運行していたようですが
明日8月9日は台風9号の影響で「DLやまぐち5号」は運休の知らせが出ていました
けれど本日は運行
「臨時」15:45発 新山口行きと掲示されています
 

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津和野駅にはディーゼル版「DLやまぐち号」の客車がありました
展望デッキが有るのでこれは1号グリーン車のようです
本来なら蒸気機関車であるSLが牽引するはずですが、SL「D51」の200号機は定期検査で台車の亀裂や傷を修復しているので、この時期はディーゼル機関車DD51による「DLやまぐち号」として運行するようです
 

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津和野から萩へ戻る途中、道路添いの駐車場に車が溢れている場所が有りました
あとで調べて分かったのですが、ここがJR山口線を走るSLやまぐち号の撮影スポットである津和野町名賀の「白井の里防災公園」(通称・SL広場)だったようです

 

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車を停め山の斜面を見ると、居るわ、居るわ
100人以上の『撮りテツ』が、何だか高そうな機材を抱え山に登りシュッターチャンスを待っていました
獲物は1979年8月の運行開始以来、まもなく40周年を迎えようとするSL動態保存列車の老舗「SLやまぐち号」
正確にはそのディーゼル版「DLやまぐち号」
もうすぐここにやってくるのか真剣な面持ちで三脚にカメラを据え付け列車が来るのを待っていました
 

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ちなみに来週の12月25日(土)と26日(日)「SLクリスマス号」が、特別仕様の「クリスマス」ヘッドマーク掲出で、新山口~津和野間で運転されるとのことでした
SLクリスマス号」「SL津和野稲荷号」運転「SLやまぐち号」の特別版
また「撮りテツ」たちはここに集うんだろうな~






 

萩での晩飯は甘鯛を頂こうと料理屋などを探して見つけたのが「ダイニングまめた」でした
たまたまですが、その料理屋、泊まった「萩ロイヤルインテリジェントホテル」の2階にあるとの事
単なる偶然か・・・どちらにせよ何だか得した気分になりますね
ホテルにチェックインをして、ザブンと大浴場で汗を流してから夕食のため伺いました
 

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店内は和食屋らしい造り
座席を区切るパティーションの上には全国の焼酎がずらりと並びます
 

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生け簀には活魚
手前はウマヅラハギ、萩の夏の季節の魚「のめりこ」
 

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冷蔵庫には萩の澄川酒造場の「東洋美人」がずらりと並んでいました
これはもちろん後に頼むことに
 

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ところでこのダイニングまめたを予約したのはこの「萩のあまだい刺」を食べるため
店内の壁に「本日ピチピチの甘鯛入荷しました!繊細で上品な身を刺身で是非どうぞ!!」とあり
価格も1,200円と安価


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ということで萩での晩飯も甘鯛
必に続いて今度はお造りと・・・
 

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煮付けでいただくことに
甘鯛は大きく肉厚、甘いタレとの相性も良く美味しかぅた
 

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そうそうもう一つ頼んがお造りが「ヨコワ」なるもの
このヨコワ萩市見島沖で引縄釣り漁により1尾づつ漁獲され、漁獲後の処理や鮮度保持にも配慮がなされている新鮮かつ高品質のもの
これは新しい萩市の名物食材として「萩のヨコワ(本まぐろ若魚)プロジェクト」として売り出されているそうです
柔らかな触感のマグロと言ったところでしたが、さすがにこれは美味しかった
 

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そしてこの店の名物であるオリジナルの「呉豆腐」
濃厚な豆乳を時間をかけじっくり丁寧に練りあげ作ったもので
わさび醤油か、すり鉢ですった胡麻でいただくと言うもの
 

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〆は萩のブランド魚「金太郎(ヒメジの地方名)」を握りでいただくなど
萩料理に舌鼓を打たせていただきました
 

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ダイニングまめたで甘鯛に舌鼓をうっていたところ
台風9号の影響で乗るはずだった飛行機が欠航とのメールがANA届きました
と同時にニッポンレンタカーのスタッフからも夜遅いにもかかわらず電話を入れてくれました
明日中に帰らねば、明後日は仕事が待っているのでここは何としても帰らねばなりません

ANAに電話を入れ明後日まで待つことはできない旨を伝えるとともに宿泊している萩からは福岡空港の方が近いうえ、台風の進路から外れていることから福岡便に替えてもらうよう願い出たですが
やはり便を変えるにも中国地方から九州に変更はできないようで
結局は広島空港からの便に替えることとなりました

 

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まぁANAの指示なので仕方ないと朝3時半に起床、嵐の中、山陰道と山陽道をひた走り
226kmを3時間ほどかけ広島空港へ向かうこととなりました
 

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さて今回たのんだのが大手レンタカー会社のニッポンレンタカー
これが幸いし本来返すはずだった萩石見空港ではなく、広島空港にレンタカーを返却する手筈をスタッフがとってくれました
乗り捨て料金15,840円はかかりましたが、萩石見空港から広島空港に便は変更については、航空券の追加料金はかからなかったので、その乗り捨て料金のみで無事自宅に帰れることとなります
心配して昨晩電話をくれたニッポンレンタカーのスタッフにも感謝です
 

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ちなみに当初、萩石見空港がある山口県に来るト予想された台風9号は
何と私の目指す広島空港のある、広島地方に進路を変更
いったい何のためにここまで来たのかと思いが有りますが
まぁ帰れれば何でも良いやと面倒くさいことは考えないことにします
 

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とは言え領収書を見直すと、今回2日間プラス
今朝萩から広島まで走った分が表示されていましたが、総走行距離は748km 見ただけで疲れてしまいます
 

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嵐の中、走ってきましたが思いのほか早く広島空港に着いたことから
ANAのスタッフが折角アサインしてくれていた9時の便ではありましたが
カウンターでひと便はやい7時40分の便に変更してもらい
ANAラウンジへ


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ラウンジではもう車の運転は無いことからここで
朝ビールとも思いましたが
ビールサーバーには張り紙がなされ
提供できない事情を伝えていました
 

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張り紙を見ると
「地方自治体からの要請に従い、ラウンジ内のアルコールの提供時間を制限いたします。【アルコール提供時間 11:00~19:00】
朝ビールハ諦めることに
 

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台風の進路がここ広島空港に変わったためか、はたまた早朝だったためか
ラウンジを利用する人は少なく
ここでコンビニ弁当の朝飯食べたら搭乗口へ
 

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この日、JALは午前便は全て欠航でしたが
そこはANA
なんとか飛び立ってくれると言うANA672便で羽田に向かいます


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機材はエアバスのA320neo
窓の外は雨、そろそろ台風がやって来ますが何とか出発してくれそうです
 

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とは言え座席についてもまだ本当に出発するか心配ですが
久しぶりのエアバスA320neo
海外路線用のようでエコノミークラスにもモニターが付いている機材でした


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ちなみにこの時は無事、羽田へ向け飛び立ってくれるか否か・・・といった面持ちでした






台風の最中の広島空港を飛び立った、ANA672便は無事羽田空港に到着
今日中に帰れる確証を得てまずはひと安心


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この日は東京オリンピック2020の閉会式の翌日
大会関係者などもいらっしゃるかと思いきや、それらしき方は見かけませんでした
 

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ちなみに今朝は3時前に起床してすぐに出てきたことから、朝顔も洗っておりません
ということでここ羽田空港のANAスイートラウンジで熱いシャワーを浴びることに
 

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髭をあたり、さっぱり
 

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さて、このシャワーブースで使ったダイソン製の「Dyson Supersonic ヘアードライヤー」
これが思いのほかよかった
ちなみにドライヤーは熱ではなく風量のパワーで素早く乾かすタイプ
熱くはないのにみるみるうちに髪が渇く不思議なドライヤーでした
このシャワーブースで使用し欲しくなる方もいらっしゃるようで
公式ショッピングサイト「ANAショッピング A-style」でも販売しているそうです
我が家のドライヤーはもう28年使用していて、買い替え時期はとうに過ぎていますが
これが44千円と結構なお値段、なかなか踏ん切りは尽きませんでした
 

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さていつもならここで朝ビールなのですが、緊急事態宣言下の東京で酒の提供はありません
しかたがないので替りに本日2回目の朝食
サケとツナマヨのおにぎりを持参したインスタント味噌汁頂きました
 

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ちなみに新千歳空港までの機材は国際線の中距離路線で活躍するB787『ドリームライナー』
海外路線がほぼ激減している中、国内線に回すこととなったコスパ最強のB787「78M」でした


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こんな感じで2泊3日の予定で出雲と萩・津和野をレンタカーで巡ってまいりました
古代出雲歴史博物館では、お目当ての平安時代の出雲大社本殿の高層神殿1/10サイズの模型を見たり
 

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萩・津和野では2015年にユネスコ世界遺産に登録された『明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業』の遺産を回り長州の歴史を再確認
忙しい旅では有りましたが、以前から行きたかったところを回り尽くしてまいりました


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