世界遺産「松下村塾」

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写真はわずか29歳でその生涯を閉じる吉田松陰の肖像画です
私自身はこの絵、小学校の教科書か何かで見た記憶が有ります
 

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この写真が有ったのは萩市の松陰神社の境内にあった「松下村塾」
幕末期に吉田松陰が主宰した私塾です
2015年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産として世界遺産に登録されました

という事で出雲観光のあと、一路レンタカーを走らせ萩へとやってきました
これからは維新の志士達ゆかりの地などが数多く残る歴史の町「萩」を見て回る事に
そういつもの通りの弾丸旅行です

 

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吉田松陰が主宰する松下村塾は武士や町民など身分の隔てなく塾生を受け入れたのが特徴で
この松下村塾から久坂玄瑞、高杉晋作、桂小五郎(木戸孝允)、初代内閣総理大臣・伊藤俊輔(博文)、山県狂助(有朋)、品川弥二郎など、幕末から明治にかけて活躍した約80名もの人材が輩出されました
 

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とは言え、下の写真の説明書きにあるように、吉田松陰が教壇に立ち塾頭として教えた期間は1857年~吉田松陰が投獄されるまでのわずか1年ほど
敷地内の実家に幽囚されていたときを通算しても2年半でしかありません
そんな短い期間にこれだけの塾生・門下生が育ち、のちの明治維新の原動力となる多数の若者が輩出されたというのは驚きでしかありません
 

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建物は木造かわらぶき平家建の小舎
この小さな小屋から吉田松陰のもと学んだ若者が明治維新を経て新生日本の誕生にかかわっていきますが
それをそのまま鵜呑みにしていくのは問題が有るように思えます
というのもそれらは全て勝者の論理
明治新政府がその成立を正当化するために創り上げた、偽装された歴史観
いわゆる「薩長史観」というものが見え隠れするからです
 

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もともと幕府への痛烈な批判を起こしたのは、この吉田松陰
鎖国政策の中、下田港に停泊していた黒船でアメリカに密航しようとしたり
取り調べ中に幕府の重役である老中、間部栓勝を暗殺しようとしていると自白したりと
江戸幕府からするとテロリストとなんら変わりが無いからです
吉田松陰は「身はたとえ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留めおかまし 大和魂」という辞世の句を残し処刑されますが
松陰の処刑後、松下村塾の塾生たちや日本国内の尊王攘夷派が倒幕を大きく進めることとなります
 

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という事で次は隣にある吉田松陰、幽囚の旧宅へ
 



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このページは、r-ohtaniが2021年12月 8日 06:28に書いた記事です。

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