高杉晋作誕生地のそばにある「晋作広場」に建立された「高杉晋作立志像」
晋作といえば「ざんぎり頭」と「着物を流しで着ている」姿のイメージがありますが、これはまげ姿に両刀を差した羽織袴
この銅像は晋作が明倫館や松下村塾に通っていた20歳頃の若々しく凛々しい顔をイメージで作られたのだとか
そんな凛々しい銅像のある晋作広場から少し歩いたところに「高杉晋作誕生地」はありました
「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し」と呼ばれた幕末の風雲児・高杉晋作
刀ではなく銃を持った強い軍隊「奇兵隊」を創設したのは有名な話ですね
萩城下150石取りの上士クラスの名門の武家の家柄に生まれたそうですが、ちょっと狭いかなとも思いましたが
現在公開しているのは当時の半分ほどなのだとか
ちなみに当時500坪近くあったようです、古地図では先ほど立ち寄った木戸孝允旧宅より大きいと思っていたので変だな~と思っていました
「初湯の井戸」
実際に晋作が誕生した折に用いられた産湯の井戸
庭にある歌碑には
「西へ行く人を慕いて東行く、心の底ぞ神や知るらん」と
文久3年に頭をそって東行と号したとき京都にて詠んだ歌が刻まれていました
高杉晋作誕生地と言えど個人所有、一部が住居になっているため、室内には入れず外からの見学となります
室内には高杉晋作の肖像画、当時の茶道具などゆかりの品が置かれています
なかには高杉晋作が坂本龍馬に渡したとされるピストルの模型や晋作旅使用の茶せんと振出しなどが
ガラスのショーケースに入れられ展示されていました
何だか古びたポスターが誇らしげに貼られていますが
そこには『日本を動かした男がここにいた」と銘打たれていました
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