史跡萩城下町「木戸孝允(桂小五郎)旧宅」

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懐石料理あじろで昼飯を食べた後は腹ごなしに萩の城下町を散策することに
そんな「萩城下町」は、旧萩城の外堀から広がる城下町
2015年にユネスコ世界遺産『明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業』にも登録されました


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広島の西条でも見かけた「白壁」と「なまこ壁」が見て取れますが、ここは「菊屋横丁」日本の道100選に選定されています
萩博物館の駐車場にレンタカーを停め歩いて回ることにします
 

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ここでも歴史のおさらい
まずは「木戸孝允(桂小五郎)」
長州藩と言うとどうしても「高杉晋作」の名を思い浮かべてしまいますが、地味ではありますが、木戸孝允いや、幕末の名で桂小五郎は実質的な長州藩の政治的リーダー格
私の好きなマンガ「おーい!竜馬(原作:武田鉄矢、作画:小山ゆう)」の中でもひたすら汚れ役ばかりやっていました
ちなみに大久保利通、西郷隆盛とともに維新の三傑に数えられています
明治新政府では五箇条の誓文を起草、版籍奉還・廃藩置県などを実現
近代国家の成立に大きな役割を果たした陰の功労者です

そんな「木戸孝允(桂小五郎)旧宅」は江戸屋横丁に面したところに有りました
木造瓦葺きの2階建ては小五郎の父である萩藩医・和田昌景の邸宅兼診療所
病弱だったこともあり8歳の若さで桂家に養子に入りった桂小五郎ですが、養子となり桂家の家督を継ぐも養父母が早く亡くなり、まだ少年だった小五郎は生家である和田家に戻り江戸へ留学に出る二十歳までここで過ごすことになります


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写真の手習いの書を表装した掛け軸には「今日」と書かれています
師匠が朱字で「もってのほかよろし」と書き入れていますが、なんとこの書
木戸孝允7歳(推定)の時の書なんだそうです
長州藩の若き俊英として名をはせるなど学問にも精通しているうえ、江戸の三大道場の一つ、練兵館(神道無念流)に入門、1年で塾頭になるなどの剣豪でもあるといった文武両立の人だったようです
ちなみに数年前に坂本龍馬、桂小五郎に敗れる「幻の剣術大会」新史料かと言った幕末の歴史好きにはたまらない史料が発見されたようです
これまたマンガ「おーい!竜馬」の逸話通りですね
 

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萩城下町絵図の屏風が有りましたが、真ん中に位置する
藩校明倫館で山鹿流兵学教授であった吉田松陰に兵学を学びます
けれど桂小五郎って松陰の主宰していた松下村塾には行っていないんですよね
もっとも吉田松陰は木戸孝允のことを「親友」と呼んでいるので「師弟」ではないのですね

 

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木戸孝允(桂小五郎)旧宅の庭
江戸時代後期に松江〜出雲で流行り始めた「出雲流庭園」で図太い松の木やソテツらしき植栽が見事でした
 

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さて次は木戸孝允(桂小五郎)旧宅と同じ萩城下町にある高杉晋作誕生地へ
 



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このページは、r-ohtaniが2021年12月14日 06:13に書いた記事です。

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