平成12年から13年にかけて、出雲大社境内遺跡からスギの大木3本を1組にし、直径が約3mにもなる巨大な柱が3カ所で発見されました。これは、そのうちの棟をささえる柱すなわち棟持柱(むなもちばしら)で、古くから宇豆柱(うづばしら)と呼ばれてきたものです。境内地下を流れる豊富な地下水のおかげで奇跡的に当時の姿をとどめて出土しました。(島根県立古代出雲歴史博物館HPより下の写真と共に拝借)
これは鎌倉時代前半(1248年)に造営された本殿を支えていた柱である可能性が極めて高いとのこと
萩石見空港から3時間もかけ出雲に来た理由は、実は古代出雲歴史博物館でその宇豆柱から推測した巨大神殿の模型が見たかったからでした
ということで割子そばを食べた後は、出雲大社に隣接する島根県立古代出雲歴史博物館へ
古代出雲歴史博物館の受付でチケットを頂きましたが、子どもおもちゃ博覧会もやっているとのことで
ついでにこちらのチケットもいただきます
さて古代出雲歴史博物館のお目当である、平安時代の出雲大社本殿の高層神殿(1/10サイズの模型)がこれ
ずいぶんと長い階段ですが、長さは何と108mもあったのだとか
それに加え驚愕するのはその建物の高さ
平安時代の出雲大社の高さはこの10倍の高さというから48mあったことになります
現代でも16階程度の高層マンションに相当しますから、よくぞそんなもの建てたなという思いがします
そこで思い起こすのが「出雲の国譲り神話」
古事記や日本書紀の中で、天照大神の命令で出雲の大国主命が日向のニニギノミコトに、神殿建設を条件に国を譲るというお話
前述の宇豆柱などの遺跡からこ神話って本当にあった話なのではと思わせます
ただしこの後見ることとなった青銅器や剣などの遺跡などから推測する武器や当時の領土の広さやからいって、国を譲らざるを得なかったほど出雲は弱かったわけではなさそうです
博物館には重要文化財に指定される荒神谷遺跡という古代遺跡で見つかった青銅器国宝、加茂の銅鐸も展示されていました
荒神谷遺跡ではそのほかにも、前述の話の通り過去最大である358本もの大量の銅剣に加え銅鐸や銅鉾などもたくさん出土したとの事です
当時の出雲の軍事力は強大だったようです
昭和28年(1953)の遷宮の時まで、実際に使われていた「千木・勝男木」も展示されていました
杉で出来ていて、千木の長さは8m30cm、重さはなんと約500kgもあるそうです
「子どもおもちゃ博覧会」のほうは昔懐かしいブリキの玩具などが展示されていましたが
残念ながら撮影禁止
唯一撮影できたのはこの昔の駅舎の様子だけでした
ちなみに北松江駅とありますが、これはここ出雲を始発とする一畑電車北松江線の終点
現在は松江しんじ湖温泉駅となっているそうです
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