灘五郷の酒蔵巡り
本日四軒目は1743(寛保3)年の創業以来、御影郷の地にて清酒を醸す酒蔵、白鶴酒造
そんな白鶴酒造敷地内には大正初期に建造され昭和40年代中頃まで実際に清酒醸造に使われていた本店壱号蔵を改造して開設された「白鶴酒造資料館」があり
今回はこの資料館を見学することに
白鶴酒造資料館の入り口を潜ると
まずは酒米のコーナー
ここには酒米の系図や脱穀した籾からゴミなどを取り除く、木製の「唐箕」が展示されていました
昔ながらの酒造工程や作業内容を立体的に見せるため等身大のロウ人形を配置していました
ここの資料館を紹介していたYoutubeで、イケメンさんがいっぱいなどという動画を予め見てきたのですが、なるほど汗をかき働く男の姿はかっこよいものですね
ということでこの後は、酒造工程を白鶴酒造資料館HPの紹介文をもとに進めさせていただくと
摂氏百度の蒸米を素早くつかみ・・・
【蒸米】
大釜の上に甑を乗せ、これで米を蒸します。甑の底には小さな穴があり、沸騰した釜の蒸気が昇るようになっています。蒸気が勢いを持って昇るまで釜屋は気を許せません。
立ち込める湯気、一寸先は闇。
【放冷】
蒸米は添、仲、留、酛・麹用に区分し、それぞれ放冷場で冷やします。飯冷やしにもルールがあって、筵に移した蒸米をまず釜屋が、両端から一本筋を描きます。そして二回目に二本、三回目に三本と冷却を均等に行うため、繰り返して行います。
大師の「ヨーシ」の声が響く。
【麹取込み】
麹は室という高温・多湿の特別な部屋でつくられます。品質の良い麹菌を均等に繁殖させるために二~三時間おきに蓋打ち、仲仕事、仕舞仕事と続け、麹の積み替えを二回行います。
寝れば起こされ、起きれば寝る。
【酛仕込み】
麹と蒸米を半切に計り分けます。水は龍の口で調整しながら大半切りに入れ、「山起こし」といって、棒櫂でよくかきまぜます。
仕込みの調子は歌でとる。
【醪仕込み・醪出し】
醪の仕込みは、原則として添・仲・留の三段仕込。
予定の発酵を終えた醪は、仕込桶に汲み出し、担桶で小出桶へ移します。
ほどよい香りが漂う。ニヤリとする。
【上槽】
醪を酒袋に入れ、酒槽でしぼって酒と粕とに分離。
最初は、約千枚の酒袋を荒しぼり。
翌日、責槽に集めてしぼり直します。
さらに、一日圧搾して粕を抜きとり清酒が生まれます。
窓の外は満開の桜。心が弾む。
【貯蔵】
火入れの終わった酒は囲い桶(貯蔵桶)に入れ、酒の上に浮いている泡をすくい取り、フタをします。この時、フタの上に、重石を十個並べ、桶とフタを密着させ、秋まで貯蔵するのです。
晴れやかな顔、顔。顔... 歓声があがる。
【樽詰】
清酒は、厳選された吉野杉の四斗樽に詰め、出荷します。銘柄商標などをいれた藁菰を樽に巻き、とじ縄をかけると菰樽のでき上がりです。
さてこの菰樽の歴史は、はるか江戸時代にまでさかのぼるそうですが
航海時に船が揺れ、樽と樽がぶつかって中の酒がこぼれてしまうのを防ぐために、手近にあった藁を編んだ"菰"を巻いて樽を保護したのが、菰樽のはじまり
それがいつの日か技を凝らして見栄えを良くし、髭文字などを使って銘柄をアピールする菰樽
江戸時代にあってメーカー名を主張する宣伝効果も狙っていたのかと思われます
【樽廻船】
Wikipediaによると日本の江戸時代に、主に上方から江戸に酒荷を輸送するために用いられた廻船(貨物船)
この時代、上方である西宮(灘五郷)京都伏見あたりから大消費地である江戸まで搬送される酒のことを「下り酒」と呼ばれ江戸の消費の8割を供給したのだそうです
逆に「下らない」酒とはそれ以外の生産地を指す言葉となるくらいの違いが有ったようです
ちなみにその下らない酒の文言は現代の「くだらない」の語源として残っています
愛媛新聞に連載された「かなしきデブ猫ちゃん」のコラボビール「マル・ザ・ホップ」なるものがるそうですが
今後日本酒メーカーのクラフトビール参入も気になるところです
試飲コーナーでは
「特別純米原酒 蔵酒」
「袋釣純米大吟醸 原酒」
「にごりゆず酒」をいただき
ショップをぶらつき「白鶴酒造資料館」編は終了
次はここに来る前の日にタイミングよくオープンした「灘五郷酒処」を目指します