スタンプラリー奈良編「世界文化遺産興福寺」と興福寺国宝館

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東大寺のあった奈良公園からレンタカーを走らせ五重塔で有名な世界文化遺産「興福寺」へとやってきました
その興福寺は中臣(藤原)鎌足の息子で当時の権力者だった藤原不比等が、平城京遷都とともに藤原京の厩坂寺を現在の位置に移したのがはじまりです
その後、藤原一族の氏寺としておおいに栄えました
 

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まず伺ったのが興福寺東金堂
藤原氏の氏寺として710年の平城遷都とともに創建されていますが
平安時代末期に平氏による南都焼討ちで、ほとんどの建物が焼失
現在の東金堂は1415年に再建された室町時代の建築なんだそうです
もちろん国宝に指定されています
ということでここでお目当ての御朱印を賜りました
そんな東金堂の脇には五重塔が聳え立っていました
 


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さてその東金堂には鹿が描かれた暖簾のようなものがかかっておりましたが
その奥には本尊の薬師如来坐像に加えて、その薬師如来を補佐する日光・月光菩薩立像、四方には四天王立像(国宝)、維摩居士座像(国宝)、文殊菩薩座像(国宝)、そして薬師如来の守護神、十二神将立像(国宝)がすべて残っていました
本尊とその側近が重要文化財なのに、それを守護する仏像がすべて国宝に指定されているのも面白いところです
ちなみに内部は撮影禁止でした
 

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東金堂の脇に聳える五重塔
日本で2番目に高い塔で、古都奈良を象徴する塔なんだそうです
中には薬師三尊像、釈迦三尊像、阿弥陀三尊像、弥勒三尊像が安置されていますが
特別公開でもなければ、めったに塔内部には入れないのだそうです


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ちなみに中金堂の東側にある金堂だから東金堂と呼ばれているのだそうですが、その中金堂
興福寺伽藍の中心になる最も重要な建物で、寺伝では創建者を当時の日本の律令制度をまとめ、藤原氏の栄光の基礎を築いた藤原不比等とされているのだとか
2018年10月に落慶しており、真新しい姿の中金堂を拝めることが出来ました
 

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続いて興福寺南円堂
朱色が美しい八角円堂です
ご本尊は不空羂索観音菩薩坐像(国宝)
そしてその四方には、いずれも豪快な雰囲気が特徴的な「四天王像」もお祀りされていますが
内部には年1回のみの特別開扉されるときのみ
今回は外からの拝観となりました
ちなみにこの南円堂
「空海(弘法大師)」が南円堂の設計そのものにも関わっていたとも言われ
密教との関わりが示唆されています
  

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興福寺南円堂でももちろん御朱印を賜ります
 

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続いて国宝「北円堂」
今回訪れたGWにたまたま公開されていたため内部まで拝むことが出来ました
藤原不比等の追善供養のために建立したもので、現在のものは鎌倉時代に復興されたものです
本尊である「弥勒如来坐像(鎌倉時代)」は運慶晩年の名作
無著・世親菩薩立像(鎌倉時代)
四天王立像(平安時代)
といった国宝の他に
大妙相菩薩像と法苑林菩薩像を合わせ9体の仏像が安置されていますが

  

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最後に興福寺国宝館
興福寺が所蔵する国宝・重要文化財などを展示するための施設
全体数でみると、半数を優に超える仏さまが国宝館に安置されており、奈良では「東大寺ミュージアム」や「奈良国立博物館」を上回る規模の施設となっています
千手観音菩薩立像のほか、日本を代表する仏像の一つである「阿修羅像」
その少年を思わせる清楚な美しさから特別な人気を誇っている
創建から現在に至るまでの1300年余り
多くの災難を乗り越えて奇跡的に今もその姿を私たちに見せてくれています
ということで歴史教科書のおさらいともなるようなミュージアムで仏像を拝観してまいりました


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このページは、r-ohtaniが2022年6月18日 05:50に書いた記事です。

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