スタンプラリー奈良編_世界最古の木造建築「法隆寺」

| コメント(0)

スタンプラリー(御朱印集め)奈良編はまだまだ続きます
三輪そうめん山本麺ゆう館で美味しいそうめんを堪能した後はそこから割と近くにある、奈良の斑鳩の里へ
ここには平成5年(1993)に日本初のユネスコ世界文化遺産に登録された
世界最古の木造建築「法隆寺」が有ったからでした
 

2022nada_fushimi285.JPG
 

伺った法隆寺ですが、拝観終了時間近くの午後4時という事もあって観光客はまばら・・・・というか、ほとんどおりません
やはりコロナ禍という事もあり拝観者は激減しているようです
しかもこの法隆寺、約18万7千㎡もの広大な境内
国宝なので修繕については国費が宛がわれますが、その整備費用はは拝観料で賄われているとのことで大変苦しい状況が続いているそうです

そこで、奈良県斑鳩町にある世界遺産の法隆寺は、新型コロナの影響で参拝者が大幅に減少し、境内の整備費用などを十分に捻出することが難しくなったことから、クラウドファンディングで寄付を募ることになったそうです
法隆寺のホームページには
「歴史遺産を護り、未来へとつなぐためのご支援を募ります。
これまで、境内の修繕や広大な敷地の維持管理費用は、参拝にお越しいただいた方々の拝観料で賄ってきました。しかし新型コロナウイルスの感染拡大の影響により、年間の拝観者数が激減。このままの状況では法隆寺を十分に護っていくことが危ぶまれます。1400年の歴史遺産を未来へと護り絆ぐ為、皆様のご協力をお願いいたします。」と記されています
 

2022nada_fushimi294.JPG
 

最初に目にする南大門は法隆寺の総門
国宝に指定されています
 

2022nada_fushimi308.JPG
 

少し歩いて中門(西院伽藍)へ
もちろん国宝に指定されています
そしてこの門の先に、法隆寺の中核である西院伽藍が広がっています
中門は2駆の迫力ある金剛力士像に護られていますが
その金剛力士像は日本最古の仁王像だそうです
 

2022nada_fushimi287.JPG


本尊を安置した法隆寺の中核
「金堂」(西院伽藍)これまた国宝
ここには法隆寺の本尊、薬師如来を中心とする釈迦三尊像が安置されています
 

2022nada_fushimi288.JPG
 

そして法隆寺と言えば、知らぬ者はいないだろう「五重塔」(西院伽藍)
法隆寺のシンボル的な存在です
この31.5mもの高さを誇る五重塔は、世界で一番古い木造建築で
むろん国宝です
塔の中心に一本の檜の柱が長く天に伸びて通っているようにみえますが、これは各重とは切り離されている構造で実際には、繋がっていないとのこと
この構造により、地震が起きても各重が互い違いに揺れて、振動を吸収する耐震構造になっていて
地震の揺れをやわらげる効果があり、スカイツリーなど現代の建築物にもその技術が応用されているのだとか
1300年以上前の木造建築技術とはとても思えませんね
 

2022nada_fushimi289.JPG
 

大講堂(西院伽藍)国宝
中に入ると、国宝の薬師三尊像が参拝者を出迎かえてくれました
 

2022nada_fushimi290.JPG
 

白壁の高床倉庫「網封蔵」
これもまた国宝です


2022nada_fushimi291.JPG
 

「聖霊院」
ここには平安時代につくられた聖徳太子像が祀られていますが
ここでお目当ての御朱印も賜ることが出来ました
 

2022nada_fushimi286.JPG
 

これは世界最古の木造建築「法隆寺」の御朱印です
御朱印の文字は「以和為貴」和を以って貴しと為すと書かれているとのこと
 

2022nada_fushimi292.JPG
 

最後に「建築の真珠」といわれた東の金堂たる
「夢殿」(東院伽藍)を見て法隆寺拝観は終了
 

2022nada_fushimi293.JPG
 

さてこうして聖徳太子が建立したと伝わる法隆寺を見て回りましたが
その聖徳太子、私が高校学時代は「冠位十二階」「憲法十七条の制定」「遣隋使の派遣」などした摂政として学びました
それに私自身にとって聖徳太子は1万円札・五千円札の肖像画が使われてきた歴史上の重要人物
それもかなりの長期にわたって使われてきました
それが何故いきなりお札の肖像画から消えたのか
まずはその肖像画(唐本御影)が聖徳太子のものではなかったのではないかと判明したからと言われています
 

20150502_birigyaru_211-e1540818342604.jpg
(毎日新聞より借用)

ちなみに私自身は聖徳太子の存在否定派です
そう聖徳太子自体が本当に存在したのか・・・・
「聖に等しい徳をもった大王家の男子」や「厩戸王子」なんてキリストを思わせるそんな人物が本当に存在したのか?
聖徳太子の命日は2月5日ですが、これはお釈迦様と一緒
そうなにもかもあまりにも出来すぎているのではと思わせます

それに加え私が聖徳太子が隋帝国との外交として、「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」という日本史においては有名な一節ではじまる日本からの国書を隋の煬帝に送りますが、いわゆる日本と中国はいわば対等の関係にあるとした書を送った(喧嘩をうった)のが本当に聖徳太子なのか?誰かのせいにしたかったのでは・・・と思わずにはいられません
それに高校の日本史教科書でも、現在は「厩戸王(聖徳太子)」と表記されていますが、次の教科書検定で改訂されるときには、「聖徳太子」の語は本文からは削除される予定です

そう少なくとも聖徳太子は確実な史料をもたない疑うべき存在として認識する必要があるかと私自身は思っています

でももしそうだとしたら、ここ法隆寺の主人は誰?

コメントする

カテゴリ

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 7.7.1

この記事について

このページは、r-ohtaniが2022年6月20日 05:22に書いた記事です。

ひとつ前の記事は「三輪そうめん山本麺ゆう館「三輪山本_お食事処」で食す手延そうめん」です。

次の記事は「奈良で創業61年の老舗居酒屋「酒処蔵」」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。