2018年12月アーカイブ

さて弥山を登る為、宮島までやって来ましたが、宮島に来たのならやはり牡蠣を食べずに帰るわけには行きません
なんといっても広島の牡蠣は日本のシェアの6割と言う生産量を誇りますが、特にここ宮島は粒が大きく濃厚かつ繊細な牡蠣を養殖しているらしく
ここ宮島へ渡るフェリーからもそんな牡蠣の養殖用の筏を見ることが出来ました
 

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弥山登山を終えてから、紅葉大公園まで送迎バスで送ってもらいましたが
道路は宮島ロープウェイへ向かう方々で溢れていました、乗務員さん曰く、この後はかなり待たされそうだと話されていました
いや~朝一でやってきてまず弥山を登ったのは正解だったようです
紅葉大公園からは今朝歩いた道を戻り、朝方は閉まっていた表参道商店街のお店には大勢の人で歩けないほどに
 

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向かった先は「ミシュランガイド広島・愛媛2018特別版」に掲載されている
宮島牡蠣専門店 牡蠣屋
10時の開店には間に合いませんが、そこそこ早い時間に伺ったにもかかわらず
店内は満席、店の前にも沢山のお客様が並んでいました
 

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並んでいる最中にラミネート紙で覆われたメニューを渡され店内に入る少し前に注文するようです
お目当ては裏メニューとして有名なランチ定食「牡蠣屋定食」
裏メニューだったはずが、メニューに大きく登場していました
どうやら裏メニューだったものが、今や看板メニューになっていたようです
 

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そうこうしている間に入店
待ったのは20分くらいだったでしょうか
店内に入りまず目に飛び込んでくるのが、山のように積まれた最高クラスとされる地御前産牡蠣
地御前産牡蠣の名の由来は「厳島神社」の対岸に位置する「地御前神社」から付けられているといった由緒ある牡蠣、もちろん粒が大きく濃厚かつ繊細な牡蠣で美味しい
そしてこの牡蠣屋さんのこだわりは、牡蠣だけではなくワインの豊富さ
 

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カウンター奥の冷蔵庫にはシャンパンやスパークリングワインがずらりと並び
しかもグラスで提供してくれるのだとか
 

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もちろん頼んだのは裏メニューではなくなった「牡蠣屋定食」(2,150円)
牡蠣飯や自家製の牡蠣オイル漬け、牡蠣を使った佃煮、牡蠣入り赤出しにサラダと牡蠣三昧の定食
ちなみにこれは我が家の奥さんが頼んだもので
 

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私が頼んだのは
「特選牡蠣屋定食」(2,650円)
特選と通常の牡蠣屋定食の違いは中央にある牡蠣フライ
大きさの違いがが一目瞭然です


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大粒の牡蠣のファライは
何も付けずそのまま召し上がってくださいとのことでしたので、そのままがぶりと齧り付きます
ただ大きいだけではなく、中から牡蠣の汁がじゅわぁ~っと溢れ出てきます
牡蠣が海のミルクと言われるのもなんとなく納得できます
 

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遅れて焼き立ての焼き牡蠣は注文してから、牡蠣を焼いて40年の職人さんが焼き場で強火で一気に焼き上げたもの
私自身牡蠣料理で一番好きなのがこの焼き牡蠣なんです


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ということでミシュランのお店で牡蠣料理を堪能
ちなみにこれはちょっと遅めの朝食となりました
そうそう土産にしようと思っていた牡蠣のオイル漬けですが、購入するのをついつい忘れてしまいました

宮島で牡蠣を堪能した後は厳島神社へ向かいますが、その際に厳島神社の神の使いとされる鹿と出逢いました
とは言え時間も限られていますしさっさと厳島神社へ参拝へ
 

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厳島神社を頭にイメージする時に、まず思い浮かぶのが、写真の海面にそびえる朱塗りの大鳥居
ちなみにこの大鳥居の根元は海底に埋められているわけではなく、柱の足元の底部分に花崗岩を敷が敷かれていますが、その下には松材の杭を打って地盤を強化する「千本杭の工法」という工法が用いられています
そう現代では軟弱地盤でよく使われる杭打ちが何と平安時代から採用されていたのだそうです
大鳥居の根元には箱型の島木の中に7トンもの石を詰めて加重し自重で立っているだけで、決して埋められているのではないのだそうです
800年以上前にこんな工法で建築されたおうですが、こういった建築技術が世界最高峰の建築技術のまさに礎なんですね
ちなみにこの大鳥居へ干潮時には歩いて行けるんだそうですが
写真に写るとおり手前にろかい船が見受けられますが、こういったろかい船で大鳥居をくぐり参拝するのが厳島神社の正式な参拝作法なんだそうです


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12世紀に時の権力者である平清盛の造営として知られていますが
海上に建てられたこの神社、自然災害や火災に幾度となく見舞われましたが
その都度信仰心に支えられて修理再建され、今日まで平安の昔さながらの荘厳華麗な姿を伝えられています
流石はスクラップ&ビルドの国と言ったところでしょうか
まずは入口で初穂料を納め参拝いたします
 

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入り口から東廻廊を通り客神社拝殿へ
こうしたものを参拝すると気がピリッとするのはやはり私が日本人だからでしょうか
 

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回廊を歩くと写真などでよく見かける厳島神社の大鳥居のある風景が飛び込んできました
 

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火焼前から望む大鳥居
 

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寝殿造りの庭にあたる平舞台には高舞台があり
さらの奥に宗像三女神
海の神市杵島姫
技芸の神湍津姫
財福の神田心姫が祭られている
寝殿造りの「本殿」がそびえています
 

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その本殿では勤労感謝の日と言った祝日に関わらず祈祷が行われていました
まぁ勤労感謝の日というのは、世を忍ぶ仮の姿
本来その年の新穀を天地の神に供え,天皇みずからも食する儀式の旧新嘗祭 (にいなめさい) を改めたもの
祈祷を受けているのは農業関係者か何かでしょうか
時期やこの神社の御利益からして安全祈願だったのかもしれません
 


 

御朱印を頂くために並ぶ参拝客をしり目に西回廊を進み
国内唯一の海に浮かぶ能舞台へ
舞台背景の大きな鏡板には「老松」が描かれていてこの能舞台は重要文化財に指定されています
運が良ければ参拝料のみこの能舞台で能や狂言が見られるのだとか
 

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さて速足で巡った厳島神社ですが、その神社から豊国神社たる千畳閣と五重塔が見えてましたので、時間はあまりありませんがこちらも覗いていくことに


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厳島神社を拝観したさい、社殿の合間より塔の岡に聳える多重の塔が望めました
 

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それが豊臣秀吉が建立を命じた「千畳閣」の脇に聳える「五重塔」
これらはのちに豊臣秀吉公と加藤清正公を祀られ豊国神社となっています
建立は1587年と言いますから室町時代に建てられたんですね
もちろんこれらは重要文化財
 

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まずは千畳閣へ
入館料100円を支払い、靴を脱いで入閣します
 

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内部の梁には経典が奉納されていますが
その中にここに祀られている加藤清正が虎を退治している絵も有りました
 

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それにしても千畳閣内部はかなりの広さ
千畳閣とは得意ったものですね
その名の通り千畳程の広さがある事から千畳閣と言われています
(実際は畳857枚の広さなんだそうですが)
 

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千畳閣の見どころの一つが、殿舎の中に幾つかお祀りされている「特大しゃもじ」
宮島土産の筆頭が「しゃもじ」ですが、しゃもじはご飯をすくうために使われることから
「飯とる」という意味で「敵を召し取る」と掛けて縁起を担いだ
時の権力者、豊臣秀吉が好みそうな話ですね
 

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そんな千畳閣ですが、秀吉の急死によって工事が中止されてしまいます


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その影響で御神座の上以外は外壁はおろか天井が張られていない吹き曝しの状態
おかげで屋根の裏側が目視できる状態
当時の建築のさまが見て取れました
 

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風通しの良い長い回廊からは、真っ黄色に紅葉したイチョウの木の奥に海に浮かぶ厳島神社が見て取れました
 

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そうこの回廊から嚴島神社まで階段でつなぐ計画があったようです
怖いもの見たさで、仕上げてもらいたかった気もしますが
厳島神社はやはり聖域、土足で踏み入れる感もありますので
頓挫してよかったのかもしれません
 

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脇に聳える五重塔も重要文化財です
 

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ただこれ以上滞在する時間もなく
人混みで歩くにも苦労する表参道商店街を避け、町屋通りを抜け宮島桟橋へ
そこからはフェリーで宮島口にもどり
予約した穴子飯を受け取りに行くことに
 

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宮島と言えば牡蠣と双璧をなすのが、穴子飯
その名を知らしめたのが、創業明治三十四年の有名老舗「あなごめしうえの」
明治30年に開業した宮島口駅で駅売弁当として生まれました
当時の価格は15銭、宮島の名物として定着いたしました
そんな歴史を思い起こすように店の前には歴代のお弁当のパッケージが展示されていました
 

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そんな、あなごめしうえのの前には人・人・・・・・
昼少し前と言うこともあり大勢の方が並んでいました
店の中にも行列が出来ています
ここを訪れる客が多いのが一番の原因ですが、それに加え「あなごめしうえの」のあなごのかば焼きの作り方が丁寧なことから作るのに時間がかかるのもその理由のようです
 

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店の外には、タレが焼けた香ばしい匂いがします
店の中で食べたいのは山々ですが、2時間待ちは当たり前
それでなくとも分刻みのスケジュールの私どもの旅ですから、これは最初から無理と判っていました
それでも食べたいのが、うえののあなごめし
聞くところによると、弁当は予約が可能なんだとか
広島に伺う前にしっかりと予約してありました
 

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ところが予約してあった事から、これはすぐに買えるだろうと安心しきって伺いましたが
店の窓口で言われたのは、予約であっても並んでくれとの事でした
このあとマツダミュージアムでの見学ツアーの時間が迫っていたので、ちょっっと気が急きます
余裕をもって想定していた時間の電車をあきらめ、ギリギリの時間の電車に替えて待つこと30分
ようやく手にしたのがこのあなごめしでした
 

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と言うことで、ようやくのことで経木の折箱に詰められたあなごめし弁当を手にし
ついでに宮島口駅前のコンビニでビールを入手
 

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この後、予約してあるマツダミュージアムでの見学ツアーのため
向洋駅に向かう山陽本線で駅弁として頂きましたが、穴子は焼き焦げが香ばしいのにふわふわ
ご飯もかば焼きタレが味飯にしっかりなじみ
さすがは老舗と考え深く頂きました
 

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宮島口からJR山陽本線の普通列車で「うえののあなごめし」を頬張りつつ
今度は東へ向かいます
広島駅を飛び越し向洋駅で下車
向かった先は広島を代表する企業「マツダ」の本社でした
 

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ここへやって来たわけは
マツダ本社敷地内にある見学施設「マツダミュージアム」での見学ツアーに参加するため
完全予約制のこのツアーということで、ここへ来る前に予約してありました
時間とともにバスに案内されマツダの工場敷地内を走りマツダミュージアムへ
向かう途中も企業秘密があるようで、撮影禁止との事でした
 

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ほどなくマツダミュージアムに到着
まずは歴史展示
東洋工業時代の3輪トラック
「TCS型」(1935年発売)3輪トラックと、「GB型」(1949年発売)3輪トラックから説明が始まります
 

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続いて「T2000」(1957年発売)3輪トラック
その奥に見えているのは「R360クーペ」とボンゴの初代モデル
 

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これは私にも見覚えがあります
「コスモスポーツ」(1967年発売)
といっても実写を見たのはこれが初めて
見覚えがある理由は『帰ってきたウルトラマン』怪獣攻撃部隊MATの専用車両として
憧れの車として見ていたからでした
まぁそれ以外にも世界初2ローターRE搭載量産モデルとしての価値のある車だったりします
 

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続いて「コスモL」(1979年マイナーチェンジ版)
そして「サバンナGT」
これは「日本GP」優勝車の市販バージョン(最高出力120馬力の12Aエンジンを搭載)
安価なスポーティーカーとして人気があったそうです
 

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「初代サバンナRX-7」(1978年発売)と「アンフィニRX-7」(1991年発売)
とロータリーエンジンの車がずらり
というかこれはマツダのこだわりなんでしょうね
 

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やはりマツダといえばロータリーエンジン
ロータリーエンジンのコーナーももちろん有りました
手前からコスモスポーツに搭載された、世界初の量産型ロータリーエンジン「10A」
その奥がルーチェロータリークーペに搭載された13Aとロータリーエンジンがずらり
 

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サイドハウジングが取り外され、内部が一目瞭然のロータリーエンジン
まゆ形のローターハウジング、三角形のローター、その中に通されたエキセントリックシャフトなどが見ることが出来ます
分解モデルも展示されていました
 

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ロータリーエンジン展示スペースの目玉がコレ
1991年のル・マン24時間レースにおいて総合優勝を果たした
787B 55号車
 

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ルマン優勝車をここで保存するため
レースには出ずに787Bは追加製造されているのだとか
まさに貴重な一台ですね
 

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レシプロエンジンモデルももちろん展示
「ユーノス・ロードスター」(1989年発売)
サイドに貼られているステッカーは、この初代ロードスターが累計生産500万台となった言うことでしょうか
「オートザムAZ-1」(1992年発売)などなど
 

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続いて技術展示
ですが、その前に安全性
衝突実験で使用されたCX-5ですが
ボンネット周りはこれでもかと壊れていますが、乗車スペースは無事というもの
 

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その秘密はということで
まずはボディ
ここではCX-5をモデルに展示されています 
 

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そしてマツダの新世代技術「スカイアクティブ・テクノロジー」
マツダ車の平均燃費をグローバルで2008年比で30%向上させる技術の集大成
 

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ダッシュボード周りのアッセンブリをみたら
次はいよいよこのツアーの目玉
宇品工場の組み立てラインに潜入です
 

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もちろんここも撮影禁止
下の動画のような組み立てを直に見ることに
にして広々とした工場でしたが人は数えるほど
次々とクルマが組み立てられていくのですが、なんだかロボットが勝手に車を作っている
そんな感じでした
 


 
未来展示でマツダの将来展望を示していただき
マツダミュージアム見学ツアーは終了
zoom-zoom !と楽しませていただきましたが、マツダはいくらハイブリットやPHVが発達しようとも2030年になっても、ガソリンエンジンがまだまだ主流
ガソリンエンジン好きにはたまらない話ですし
それに加えマツダのロータリーエンジンに対する思いはこのミュージアムで散々見せつけられました
現在マツダのロータリースポーツプロジェクトが再活動しているそうですが
またいいロータリーエンジンの車を作ってもらいたいものです
 

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ちなみにこの後、広島のバスターミナルへ戻りますが
流石は大勢の方が働く本社及び工場
すぐ前からバスが出ていました

原爆ドームと平和記念公園

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マツダミュージアムを見学した後、バスで広島バスターミナルへ
その後所用を済ませ向かったのが、ひろしま美術館
ここで「開館40周年記念 ブリヂストン美術館展 珠玉の石橋財団コレクション 印象派からピカソまで」を見学
弾丸旅行の合間ではありましたが
ピカソ、ルノワール、ゴッホ、マティス、モネ、ドカ、マネなどの名画を鑑賞し癒してもらいました
その後、広島に来たのなら行かねばならぬ場所へ
 

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それが・・・・
1945年8月6日午前8時15分
広島市街の600m上空で爆破。中心温度は100万℃
原爆の投下により、広島県産業奨励館の建物は一瞬にして大破し、天井から火を吹いて全焼、中にいた30人余りの人々は全員死亡したと伝えられています。爆風がほとんど真上から働いたため、壁の一部は倒壊を免れ、ドームの鉄枠とともに象徴的な姿をさらしました


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その広島県産業奨励館が俗にいうところの「原爆ドーム」
この悲劇が二度と起こらないようにと1996年世界遺産へ登録されました
ただし奇跡的に原型を留めるこの原爆ドームですが、実際には補強しなければこの姿を将来に残すことはできません
保存のためだからといってどんどん手をかけるのは好ましくなく、文化財としての配慮を行いながら補修工事を進めていくためですが、現在は鉄骨による耐震対策や補強のみが行われているようでした
 

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夕日を浴びる原爆ドームですが、その前の元安川に観光船が見て取れました
翌日、とある飲食店でたまたま居合わせた方から聞いたのですが、何やらここ平和記念公園と宮島を行き来きする世界遺産航路の高速艇が有るのだとか
たまたま撮った写真にその高速艇が映っていましたが、世界遺産を2つとも見れるなかなか効率的な移動手段がここに有りました
 

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伊勢志摩サミット出席後の2016年5月27日
時の合衆国大統領バラク・オバマは現役大統領として初めて
内閣総理大臣安倍晋三とともに平和記念公園を訪問、広島市民が見守る厳戒態勢の中
この原爆死没者慰霊碑に献花しました
そしてその後、あの17分もの名演説が生まれました
多くのアメリカ国民がそうであるように私自身もあまり好きではない大統領ですが、あの演説は、ただただ素晴らしかった
「Yes We Can!」の掛け声とともに、大統領に上り詰めた男の本領発揮といったところでしょうか

どこぞの国なら罵声雑言が飛び交うだけではなく、本当に何かが飛んできてもおかしくはないそんな行為でしたが、広島の方々は友好国の大統領を快く向かい入れてくれました
そうこの時、もしも何かが有れば今後、ここを訪れるアメリカ人は居ないそんな瞬間だったんです
私自身オバマ大統領に対しては、今回の勇気ある訪問に喝さいを贈りたいそんな気持ちでこの様子をTVで観ていました
 

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おのオバマ大統領のこの平和記念公園の原爆死没者慰霊碑での献花・演説の効果は高かったのでしょう
その後、今までここを訪れて良いのだろうかと迷っていたアメリカからのお客さんの迷いをものの見事に払しょくしたようで、今回原爆死没者慰霊碑を訪れた際はびっくりするくらいの多くの白人系の観光客を見かけました

広島出身の漫画家 新久千映が人気マンガ『ワカコ酒』の中で
最近広島名物として話題の『ウニクレソン』を紹介していましたが、ワカコ酒が愛読書の一つである私としては、広島に来たのなら宮島の牡蠣とならびこれは必ず食さねばならぬと心に決めていた料理でした
 

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そのウニクレソンなる料理が食べられるのが
老舗鉄板焼屋 中ちゃん
お店のある場所は広島中区の歓楽街のなかでピンクの看板が煌めく、もっともディープな場所に位置しています
そのうえ店舗もプレハブというか屋台風で何だか怪しげな雰囲気を漂わせていました
 

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ちなみに開店時のれんがかかった時点で客は私ども以外におりませんでしたが、その後やってきた飛び込みの客は残念ながら予約で一杯との事で皆返されてました(1ヶ月以上前に予約しておいて良かった)
店の中央の棚の上には店主らしきかたの写真が飾られていましたが、これが初代の名物店主中迫さんこと「中ちゃん」の写真(遺影)だったようです
 

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さてまずは生ビール(アサヒスーパードライ)をいただき
食べ物を頼みますが、まずは手書きのおすすめボードから
ミルガイの刺身を頼みます
 

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続いて出てきた牛スジの煮込みが絶品
これは日本酒が合うでしょうと、広島の地酒たる冷や酒を頼みましたがこれが美味い
どうやら明日は予定していた行事を早め、時間を作り東広島の酒蔵見学して歩かねばならぬようです
 

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さて前述のワカコ酒に登場する「ウニクレソン」
その元祖と言うか本家たる「中ちゃん」でウニクレソンを頼まねばここに来た意味が有りません
店主らしき方にオーダーすると、クレソンを炒めたうえに、箱ウニの半分ぐらいの量のウニを投入
札幌に住んでいる私にとってウニといえば北海道の積丹あたりを思い浮かべてしまいますが、この日使われていたのは山口産
聞くところによると広島県のお隣りである山口県北浦もウニの名産地だったようです
ただしバターは北海道産の雪印のバター
豪快に切り分けたっぷり鉄板に投入し炒めるのが、中ちゃん流なのか、バターが隠し味になっているようでした
 

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ウニクレソンの皿の上には鉄板で軽く焼いたバゲッドが載っていますが
このバゲットにウニクレソンを載せて食べるのはもちろん
皿に残ったウニの絡まったバターソースはバゲットを浸して食べると絶品でした
 

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他には本日のおススメから煮付ののどぐろを頼みますが
実はこれが人生初ノドグロ
これが脂がこってりのっているうえ、鷹の爪が効いていて絶品
あまりにも美味しかったので翌日も小料理屋さんで時価とあったのにも関わらず頼んでしまったほどです

 

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鉄板焼きの店らしくステーキも柔らかく美味しいのですが、店の雰囲気とは裏腹に
マスタードはフランスのポメリーが使われていたりとかなりの本格派な料理でした
 

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店主の焼くお好み焼きを見て
〆はやはりお好み焼きとも思いましたが
 

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店主との会話も弾んだこともあり、メニューにない常連さんのためのメニューであろう中華そばを頼んだところ、快くOK頂き出てきたのこいつ
博多のラーメンを思わせる豚骨スープの中太のストレート麺のそばでした
 

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こうして2時間余り楽しませていただきましたが、料理も会話も楽しくまた広島を訪ねることが有ったら是非とも再訪したいものです

さて広島観光2日目
この日はもともと海軍・海上自衛隊オタクの聖地、呉をゆっくり巡ぐるつもりでおりました
ところが広島に来てからというもの、飲食店で提供される地酒があまりに美味く
どんな酒蔵で醸しているのだろうと興味が湧いてしまいました
これは軍オタの愉しみは半分に抑え、その分、酒蔵巡りをすることに方向変換
というこで広島2日目も早朝にホテルを出てJR山陽本線から呉線と、この日は東へ向かい
朝8時前には呉駅にたどり着くこととなりました
 

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呉駅からは広島電鉄バスに乗り替え
「潜水隊前」バス停で降車、向かった先は海上自衛隊オタクの聖地「アレイからすこじま」でした
この公園は呉市の日本遺産に指定される公園
その昔、横須賀・佐世保・舞鶴とともに呉が海軍の本拠地だったことを偲ばせるエリアです
 

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現代においても海上自衛隊の潜水艦と護衛艦がイカリを下ろす
日本の防衛の中心地となる拠点であります
 

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戦前は呉海軍工廠や兵器製造所前の岸壁であった場所で、どうやらここは市民活動家に左右されていないの地域なのか?呉市が護岸沿いに細長い公園として綺麗に整備されていました
私の住む北海道ではとうてい考えられない話です
例えばこの「旧魚雷揚げ下ろしクレーン」
呉港が軍港だった時代、魚雷などの揚げ下しに活躍した経歴を持つクレーンですが
烈しい空襲に見舞われたはずが、奇跡的に戦火を潜り抜け、移設されたうえモニュメントとしてアレイからすこじまに現存しています
私の住む北海道、そうですね小樽辺りの港ではこうしたモニュメントなんてはちょっと考えられないですね

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旧魚雷揚げ下ろしクレーンの奥に見えるのが音響測定艦「 ひびき」
船尾からソナー(監視用曳航アレイセンサーシステム)などを海中へ投じ、それを曳航して潜水艦など海中の各種音響情報を収集する船で
荒天時でも低速で安定した航行が求められることから半没水双胴船になっているのだとか
 

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遊歩道を少し歩くと立入禁止区画が・・・
そうこれが海上自衛隊の潜水艦桟橋
 

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ここアレイからすこじまは
国内で唯一、潜水艦を間近で見ることができる公園なんです
船体に音を吸収する真っ黒なラバー?が貼られていることから
見た目はまさに鉄のクジラでした
 

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潜水艦桟橋に停泊し
後方から噴煙を上げていました
暖機運転なのかいつものチェックなのかはわかりませんが
こうした潜水艦たちが海底深くに潜り日本を防衛してるんですね
なんとなく身が引き締まります


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アレイからすこじまから基地沿いに少し歩いて昭和埠頭前まで来たところ、大きな船に出逢いました
それが「輸送艦 おおすみ」
先般のた熊本地震のさい災害派遣など人道支援に随分と活躍しているようです
本来の性能としては揚陸艇や陸上自衛隊の戦車を格納出来るそうですが
全長が180mもあることから、よく空母と間違えられるのだとか
実際に将来はオスプレイの搭載も考えているようだ
 

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こんな感じで20分ほどアレイからすこじまで自衛隊艦艇をぼーと眺めましたが
この日は天候も良くまさに海上自衛隊に萌え日和な一日でした
ちなみにこれらの船は翌日となる日曜日に護衛艦の一般公開が行われていて
実際に護衛艦のデッキにも上がれるそうなんだとか
う~ん、残念
又の機会を模索します

さて昭和埠頭前からバスで呉駅に舞い戻り
次は海上自衛隊呉資料館 てつのくじら館へ

アレイからすこじまからバスで呉駅に舞い戻り
次に向かったのがこの陸上に揚げられた潜水艦が行く手を遮るような施設
海上自衛隊呉資料館「てつのくじら館」でした
 

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開場時間である朝の9時少し前ではありましたが,、てつのくじら館はすでにオープンしておりました
1階ロビーのカウンターで海上自衛隊の職員なんだろうな~と思える方に受付し、パンフレットをもらって入場いたしますが、なんとこの資料館の入館料は無料なんだとか
何だか得した気分でした
 

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2階にあがりまず出迎えてくれたのが、この機雷
1991年、自衛隊にとって初の海外実任務となったペルシャ湾の機雷の掃討を行った、さいに持ち帰った LUGM-145機雷
もっとも勝手に持って帰ったわっけではないと思いますが・・・
 

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ところでその「掃海」
海上自衛隊の掃海能力は世界のトップクラスと言われています
きっかけは戦中、アメリカ軍が「飢餓作戦」の名のもとに近海にばら撒かれた
機雷の処置、あのアメリカがこの機雷の処置のため海軍を解体させずに掃海に当たらせたのがきっかけでした
お陰で対機雷の掃海能力は世界一へ
そのうえ掃海艇の数は世界一
そうした掃海艇はペルシャ湾の機雷の掃討においては、アメリカ軍やイギリス軍、の嫌がった海底に潜む磁気機雷を担当、全て撤去したとの事でした
 

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そんな活躍を伝えるのが2階の掃海艇のフロアは掃海艇甲板を再現していました
機雷を銃撃して破壊する機関銃も見て取れますが
 

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こうした遠隔操作の海中ロボットや
 

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アザラシ顔の機雷処分具のフロートも見て取れます
これは掃海時に使用する音響掃海具というものを、この浮きに吊り下げて使用するのだそうです
 

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鑑載対潜無人ヘリコプターDUSHも展示されていました
 

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続いて「潜水艦の活躍」の館内生活のコーナー
 

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海軍カレーで有名な潜水艦での食事ですが、
食堂のイスには潜水艦内の狭いスペースを生かすため
ジャガイモや玉ねぎの収納場所になっていました
 

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実際に艦内で使われていた潜望鏡で館長気分を味わったり
 

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就寝用のベットも実際に試せるので寝てみました
トイレやシャワーは節水を呼び掛けています
 

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続いて現役だった潜水艦「あきしお」の現物を見学
1986年に就役し、2004年に除籍
全長76.2m×幅9.9m×深さ10.2m 乗員:約75名を載せるあきしお
スクリュープロペラは最高軍事機密に属するので、それは取り外され、別のスクリューが取り付けられていました
 

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狭い館内の発令所では自衛隊OBでこの船に乗船していたボランティアガイドさんのガイドで見学
 

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こうした潜望鏡がNIKON製で数千万することや
(ちなみにNIKONはこの潜水艦を造った三菱重工のグループ企業と言うことは知らなかったようです)
 

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魚雷室をその発令室からガラス越しに眺めた様子や
おそらくはこの船で一番重要なソナー室も遠慮なく見せてくれます
きっと現行の潜水艦はこの船から見たら遥かに進歩しているんでしょうね
 

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朝一の入館だったので観覧客もほとんどなく
ちょっと動画に収めてみました
それがコレ
 


 

一通り見た後
ミュージアムショップに立ち寄りますが、あとが詰まっていますので
ここは素通り
 

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そうそうゆったり動画を取っている最中
我が家の奥さんがこの潜水艦「あきしお」の陸揚げの説明写真を見ていたそうですが
私は見損ねてしまいました
けれど後で見つけた動画がこれです
 


 

さて海上自衛隊呉資料館「てつのくじら館」を速足で巡りましたが
次はいよいよ夢焦がれていた「大和ミュージアム」へ向かうこととします

平成17年にオープンした「大和ミュージアム」
出来た当初からこれは是非とも見に行かねば思っていましたが、10年越しの夢がようやくかない今回、「大和」を見に行くことが出来ることとなりました
 

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海上自衛隊呉資料館「てつのくじら館」で海上自衛隊の足跡を垣間見た後に向かったのが
向かいにある「大和ミュージアム」でした
双方ともに9時に開館しますが、10時から始まる大和ミュージアムで行われるボランティアスタッフによる「展示解説ツアー」に参加したくて、こちらを後に回しました
 

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さっそく総合受付で受付し入館しますが
常設展のほかに企画展もやっていたので、こちらのチケットも同時に買うことに
 

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その企画展の題名は
『戦艦「長門」と日本海軍』
日本海軍の歴史の中で最も長い期間、連合艦隊旗艦をつとめた戦艦それが「長門」
米国ハワイの真珠湾攻撃を指示する電報「新高山(ニイタカヤマ)登レ 一二〇八」は、その長門から発信されたそうです
のちに旗艦の任を「大和」にゆずった「長門」でしたが、大和を温存させるためなのか
マリアナ沖海戦やレイテ沖海戦などに参加し、各海戦にて損傷を受けながらも
航行可能な唯一の戦艦として終戦を迎えました

そして戦後、アメリカ軍に接収された「長門」は、昭和21(1946)年、ビキニ環礁で行われた核実験の標的となり沈没といった悲しい最期を迎えております


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海軍記念日の広報ポスターにはその長門のイラストが使われていました
国威発揚に使われたのでしょう
二番館の「陸奥」とともに国民から「日本の誇り」として広く親しまれたそうです
 

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展示物を見て回りましたが
結構撮影禁止と書かれたものが多かったように思えます
 

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姉妹館「陸奥」のその装甲板とボルトも展示
ちなみにこれも「陸奥鉄」
戦前に製鉄されたため陸奥の船体の鉄はコバルト60という放射性物質が含まれていないことから、微量の放射能を測定する装置に使われているのだとか
貴重な鉄のようですね
 

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ここ大和ミュージアムには陸奥に関する展示が他にもあり
玄関前のレンガパークには主錨
そしてその奥には「陸奥」の誇る世界初の41センチ砲の砲身が展示されていました
 

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そんな『戦艦「長門」と日本海軍』展を見ている間に
そろそろお目当ての大和ミュージアムのボランティアスタッフによる「展示解説ツアー」が始まるようなので、そちらに移動することに

大和ミュージアム展示解説ツアー

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2005年に開館して以来、絶えず多くの客が訪れる「大和ミュージアム」
もっとも正式名称は「呉市海事歴史科学館」ですが
愛称のほうが名が通ってしまったようですね
開館から13年が経過しましたが、今回ようやく夢がかなって訪れることが出来ました
 
このミュージアムは戦艦「大和」を通して科学技術や平和を学び、体験もできる場として呉市を設立
開館までは「戦争責任」について様々な意見が出たようですが
「歴史認識についての判断は来館者個々に任せる」という方針を貫いているようです

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ということでまずは「大和ひろば」へ
ここにはミュージアムの目玉である
10分の1スケールの戦艦「大和」がまるでドックに浮かんでいるかのように鎮座しております
その戦艦大和ですが、現物は全長26.3メートル、基準排水量64,000トン
45口径46㎝の主砲を9門搭載したまさに世界一の大戦艦だったのが、この10分の1の大和を見てもある程度想像ができますね
戦艦大和建造など軍事や戦争によって発達した産業技術そのものが、造船技術のみに収まらず、その後の日本の工業技術の発展に寄与したというのがこのミュージアムのテーマだったりします
 

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ところでこのミュージアム
独自で見て回るのもいいのですが、午前10時と午後2時の2回ボランティアガイドによる「展示解説ツアー(参加無料)」をやっているとの事をホームページで知りました
内容は1階展示室(大和ひろば・呉の歴史・大型資料展示室)を約70分かけて解説してくれるとの事
そう9時に開館するのに、その前に「てつのくじら館」や企画展である『戦艦「長門」と日本海軍』を先に見て回ったのはこの展示解説ツアーの解説の元、見て歩こうと考えていたからです
 

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「呉の歴史」展示室
戦前は戦艦「大和」を建造した東洋一の軍港、日本一の海軍工廠の街として栄えた『呉鎮守府』を展示物で見せてくれました
そう戦艦大和がいきなり造れるはずもなく、その匠の技はもともとこの呉に現存したものだったようです
 

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次に見えてきたのがこの戦艦 「金剛」で使用されていたヤーロー式ボイラー
実物で1993年まで、暖房用のボイラーとして現役で使われていたんだとか
マネキンが今にも動き出し石炭をくべる、そんな様子が再現されていました
 

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技術という「モノ」が持つ素晴らしい技術の集大成
それがここ大和ミュージアムのテーマの一つ
その技術は日本の復興と高度成長を支えたんでしょうね
 

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巨大な船を造るべくして生まれた特殊なリベット接合や溶接技術
その後、造船技術の主流となる技法の大部分がこの戦艦大和の造船とともに生まれたようです


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特にこの大和に搭載された150センチ探照灯反射鏡サーチライト
12k先まで照らすのだそうですが、今では製造するのすら困難だそうで
一個作るのに何千万掛かるか、もしかすると億そんな製品なんだそうです
 

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戦艦「大和」設計図面については敗戦直後に多くの記録が焼却処分にされたそうですが
そこは蛇の道は蛇、捨てられなかった設計図も極秘に残されたようです
けれどそんな戦艦「大和」の正確な設計図は数枚しか現存していないそうです
 

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そう戦艦大和の機密保持は厳重を極め当時の最高軍事機密
日本国民にも秘匿され、8月8日の進水式も秘密裏に行われたくらいです
機密保持からその進水式は公表されることもなく、高官100名と進水作業員1000名が見守るだけで、世界一の戦艦の進水式は行われたんだそうです
そんなわけで進水式に配られるはずの記念品も処分されるはずが、こうして現存するものもあるのは極秘に持ち帰ってくれた方のおかげですね
 

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展示されている戦艦「大和」の備品や乗組員の遺品
実際にかなりの遺品が残っているのですが、そのわけは沖縄特高の際
燃料が足らず極力船を軽くするため寄港地の徳山湾(山口県)で、乗組員たちは沖縄特攻に際し、遺書・手紙・葉書などに家族への思いを託したうえ
こうした品物も寄港地で下して出撃したそうです
 

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戦後4回の海底探査が行われ
引き揚げられた大和の遺品なども展示されています


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そんな遺品の中には日本酒の一升瓶や写真のビール瓶などもありました
ちなみにビール瓶には「ンリキ」という文字が
そう戦艦大和ではキリンビールが飲まれていたんですね
この事実にキリンビール関係者はかなり喜ばれたんだそうです
 

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2016年の呉市による深海撮影調査プロジェクトにおける
東シナ海の水深350メートルの海底に眠る現在の戦艦「大和」の映像がこれ
サルベージも計画されたようですが、このまま眠らせてあげたいものです
 


 


大和ミュージアムでは戦艦大和のみではなく呉にまつわる他の展示物もありました
そのひとつ
潜水艦(伊400)
全長122m もあり、第二次世界大戦中に就航した潜水艦の中で最大
戦後アメリカに接収されましたが
それまで対艦兵器としか見なされていなかった潜水艦の用途を一変させ、第二次大戦後の潜水艦の設計・運用姿勢に大きな影響を与えた結果、核の時代の弾道ミサイル発射能力を持った米軍潜水艦に行き着いたとのことです
まぁ日本にはこうした潜水艦を造船する能力は今も健在
てつのくじら館やアレイからすこじまでたっぷりと見ていました
 

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さて続いて「大型資料展示室」へ
ここには「負の遺産」として戦争の悲惨さを伝えていく貴重な資料が展示されています
 

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まずは戦艦大和の46cm主砲弾
星野之宣著「ヤマタイカ」の中で現代の米潜水艦に攻撃を仕掛ける様子が描かれていますが
話の中で「ヤマトの徹甲弾は海面激突時に載頭弾となって水中を直進する特殊暖冬だったとの記述がありましたが、まさにその通りでした
こんな昔に対潜水艦攻撃まで考えていたんですね
 

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「零式艦上戦闘機六二型(ゼロ戦)」
 

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人間魚雷「回天」
 

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これまた戦後、アメリカ軍がすぐに撤収していった「酸素魚雷」
魚雷特有の泡の軌跡が見えないのでアメリカ軍には脅威だったようです
こうした技術もあっというまに流出したようです
アメリカが今でも日本と友好を築こうとしている背景にもう二度と日本とはやりたくない
そう思っているのかもしれません
 

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写真の右手前にあるのが特殊潜航艇「海龍」
2本の魚雷で攻撃、当たらなければ自らが弾頭になるのだとか
こんな話を聞きつつ70分の展示解説ツアーの解説は終了
おかげでたいへん面白く展示物の見学ができました
 


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帰り際3Fから見ると、また違った「大和」が見て取れ
満足の大和ミュージアム見学となりました
 

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さて次は呉の名物「海軍カレー」でも食べに行くとしますか

日本での最高機密にあたるものの一つが、ここ呉で見てきた潜水艦たち
それを「ザ!鉄腕!DASH!!」というTV番組で放映していました
特に国家機密?とも思える海上自衛隊のカレーのレシピも惜しげもなく公開
潜水艦「ずいりゅう」の中っで作る、シーフードとポークの2種類のカレーをTOKIOのメンバーを美味しそうに平らげていました
 


 

そんな海上自衛隊のレシピを引き継ぐ「海軍カレー」がここ呉の海自カレー
海上自衛隊では多くの部隊で毎週金曜日の昼食にカレーが食べられていて「金曜カレー」とも言われています
その理由は諸説ありますが、長く航海している隊員が曜日感覚を忘れないようにするためだとか
 

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さてその呉の海自カレーを食べに伺ったのが、「呉ハイカラ食堂」
大和ミュージアムの橋向かいにあることからか、店の前にはこんな大和の模型が迎えてくれましたが、これは呉海上自衛隊員さんが製作1/30戦した戦艦大和の模型なんだそうです
 

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ちなみにこの呉海自カレーを食べさせてくれる呉市内のレストランの中でこの呉ハイカラ食堂を選んだわけは、潜水艦501そうりゅうの海自テッパンカレーが食べられるからでした
テッパンカレーの名として謳われる鉄板は昔ながらの給食の鉄板容器を思わせるもの
実は艦船内で使用しているものと同じ容器なんだとか
 

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次の予定の迫っている中、20分ほど待たされましたが
スタッフに案内されサブマリンブースへ
 

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頼むのはもちろん海自テッパンカレー
自慢の潜水艦そうりゅうの味を再現した現役海上自衛隊員とのコラボカレー
付け合わせも特徴があり
「元祖!肉じゃが」
世界三大提督の一人東郷平八郎さんが、初めて作らせたと言う和製ビーフシチュー
「クジラカツレツ」
戦艦霧島で考案された昔懐かしいクジラのカツレツ
そしてカレーと言えば牛乳
これらがセットになったメニューが海自テッパンカレーでした
 

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ただし次の予定が10分後
カレーにコクが有り美味しいのですが
ここで8分でこのカレーを平らげ次の目的地に向かいます
そう今回の旅はいつもに比べても弾丸度が増していました
 

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2000年7月4日、ニューヨーク港にて20世紀最後のアメリカ独立記念日を祝う洋上式典が行われ、世界各国の帆船170隻、海軍の艦艇70隻が終結いたしました
遠洋練習航海で西回り世界一周航海の途中で練習艦かしまも、この式典に参加しておりました
その際、同じように寄港していたイギリスの豪華クルーズ客船「クイーン・エリザベス2」
この巨大な船がなんとハドソン川の流れに押し流され、係留中の練習艦かしまの船首部分に接触してしまうといった事件が有りました


 
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実はこの船、以前から見たい見たいと思っていた船でした
というのも
この練習艦かしまにはこんな逸話が残されていたからでした
その逸話が誰が名付けたか「女王陛下のキス」と言われるもので
基本軍艦(まぁ自衛隊艦ですが)を他国の船が傷つけてしまうというのは国際問題にもなりえる重大な事態
当然クイーン・エリザベス側から船長の代理で乗組員の機関長と一等航海士が謝罪に訪れます
その際、練習艦隊司令官だった吉川榮治海将補は
「幸い損傷も軽かったし、別段気にしておりません。それよりも女王陛下にキスされて光栄に思っております。」
とたいへんウィットに富んだコメントを返したそうです
そしてこの話はニューヨークだけでなく、本国ロンドンにも伝わり『テレグラフ』紙や『イブニング・スタンダード』紙でも報道され、その際訪れていた海軍や海上自衛隊などの船乗りの間でも大変話題になったのだそうです
 


 

その女王陛下にキスされた、いやもとい接触された練習艦かしまがこれ
練習艦と言うことで火力等の装備はあまりありません
その代わりではないでしょうが側面には白と藍色が鮮やかな艦隊司令官専用のレア装備の13メートル将官艇が搭載されていました
これは外国で国家元首クラスの高官を接遇することある船と言うことでの特別な装備のようです
 

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さてこんなに間近で海上自衛隊の艦船を観ることが出来たのは
呉艦船巡りクルーズに参加したためでした
このクルーズ、目の前で海上自衛隊の艦船を見るには最高の手段ということで事前に予約を入れておきました
 

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とは言え、「アレイからすこじま」「うみのくじら館」「大和ミュージアム」「呉ハイカラ食堂」での海自テッパンカレーと午前中は分刻みで目まぐるしく歩き回り、このクルーズの受付にたどり着いた時には、すでに乗船が開始されている時間
駆け込み乗船で何とか乗れたという慌ただしさでした
 

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乗船してほどなく出航
1階に暖かな客室がありますが、ここはあえて吹きっさらしの2階のデッキへ
もっともこの日はおかげさまで晴天
絶好の海上自衛隊艦船巡り日和
 

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乗船した皆さんも大多数が、容易に艦船を眺められるデッキに乗船していました
 

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次に見えてきたのは
海上自衛隊のヘリコプター搭載護衛艦(DDH)
 

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F-35Bステルス戦闘機を搭載する
事実上の空母化が話題の海自いずも型護衛艦「かが」
 

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護衛艦さみだれ
汎用護衛艦「むらさめ」型 6番艦で平成12年に就役
アフリカ・ソマリア沖での海賊対処にあたっております
 

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海賊もたじろぐハープーン4連装発射筒を2基備え艦対空ミサイル垂直式短SAM
ついでに62口径76ミリ速射砲を一分間に100発の弾丸を発射する、まさにみだれ撃ちが出来る護衛艦です
 

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続いて護衛艦おおすみ
この船は医療システムが充実していて、手術室も備えているのだとか
 

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初代おおすみ型輸送艦「しもきた」
艦尾側後方に第四甲板を備え
自衛隊の護衛艦としては初の全通甲板を持った船です
 

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岸壁から車両などを積み卸しするためのサイドランプ
戦車もここから出せるとの事
 

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潜水艦救難艦ちはや
潜水艦が不測の事態の際に閉じ込められた乗員を救出することを主たる任務した船
 

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深度千mの深海で対処でき
しかも手術室・レントゲン室などの医療施設が充実しているという
こういつた船があるからこそ深度千mの海底で防衛にあたれるというわけなんですね
 

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DD護衛艦うみぎり
ヘリコプター格納庫の隔壁が特徴の船です
 

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十字舵ということで、これは「おやしお」型
水中吸音材と側面アレイ・ソナーという2つの新開発装備の導入された
日本の潜水艦能力を世界に知らしめた潜水艦です
 

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続いて最新刊らしきX舵の潜水艦もありましたが、これは「そうりゅう」型なのでしょう
そう先ほど食べた「海自テッパンカレー」はこの一番艦そうりゅうのレシピを元に作られていたんでしたね

ちなみにこのそうりゅう型潜水艦のステルス性は極めて高く、敵に見つかる可能性は非常に低い潜水艦で、限界深度に関しては世界最強の潜水艦であるシーウルフをはるかにしのぐと言われていて
あの中国のメディアがアジア最強クラスと謳うほどの性能を有しています

しかも今年10月進水した最新鋭潜水艦「おうりゅう」はリチウム蓄電池を搭載
これまで最大2週間程度だった潜航期間が「格段に伸びる」との報道もありました
 

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こうした潜水艦の抑止力で今後もアメリカと変わらぬ広さを持つ日本の領海を護ってくれることでしょう
こうして呉艦船クルーズで海上自衛隊萌を楽しんだ後は日本酒の聖地
東広島・西条を目指します

映画「恋のしずく」
日本三大酒処の一つとして有名な東広島市・西條を舞台に、伝統文化の象徴である日本酒造りを軸としながら、その土地で暮らす人々の生活、そして幻の日本酒を巡る出会いと別れを繊細に描いた心温まる珠玉の作品
私の住む札幌では何と今日からの映画公開と言うことですが、公開期間が短いこともあり残念ながら観に行くことが出来ないようです
 


 

そんな映画のロケ地となった「東広島・西條」
呉市での海上自衛隊萌え観光を早めに切り上げ、JR呉線・山陽本線を乗り継ぎやってきました
JR西条駅を降りるなり、かすかに日本酒を醸す香りがしてきました
そうここ西條市は駅の東側に8社もの酒造施設が密集する酒蔵の街
赤い煉瓦煙突を看板代わりにした西条独特の酒造会社スタイルの醸造元や、土蔵造りの酒蔵群が駅前の酒蔵通りに並んでいます
そんなわけで街を歩いているとこんなマンホールを見かけます
「酒都・西條」「酒蔵通り」と書かれていますが、まさにここは酒都なんですね
 

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まず西條酒蔵通り観光案内所へ行き
「西条酒蔵通り そぞろ歩きマップ」を入手するとともに情報を仕入れます
 

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ということで最初に訪れる蔵は「賀茂泉酒造」
大正元年より100年以上続く老舗の酒蔵で、純米酒の概念がなかった昭和40年から純米醸造にこだわりもち醸造していて、純米酒のパイオニア的な酒蔵として知られています
酒蔵見学もやっているようですが、残念ながら平日のみの営業となっていました
 

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そんな休日は蔵は閉まっていますが、隣接する「お酒喫茶 酒泉館」はやってました
特に観光案内所では賀茂泉酒造のお酒が常時20種類以上、飲み比べができるという喫茶コーナーがあると聞いたのでやってきました
ちなみにこのお洒落な洋館は旧広島県醸造試験場を利用しているのだとか
 

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館内にこんな昔の醸造に使われたのでしょう、こんな展示品を見かけました
ブラシが付いているので何かを洗う機械だとは思いますが、実際には何を洗う機械だったのでしょう
酒瓶にしてブラシが大きいし、桶にして小さいような気がします
 

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お酒喫茶に入ると
店内には酒粕を使った商品「酒粕かりんとう」や「酒粕豆菓子」「美酒カレー」も並べられています
そう酒蔵から出る酒粕の副産物化は今後の酒蔵のテーマでもありますね
 

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あいにく席は満席でしたが、そんな私たちを見て相席でどうですかと、話しかけていた方のご厚意で何とか座ることが出来
頼んだ日本酒は「ザ・賀茂泉飲み比べセット」
これは賀茂泉の本仕込バリエーション5種
内容はと言うと
「純米吟醸生酒」
「朱線 本仕込賀茂泉」
「緑線 本仕込賀茂泉」
「山吹色の酒」八反錦を使った純米
「純米吟醸酒(古酒)」
こいつは淡い色がついたお酒でちょっと引かれるお酒です
これを何と540円で提供してくれました
 

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さてせっかくなので、このペースであと六軒
飲みながら巡るつもりです

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