大和ミュージアム展示解説ツアー

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2005年に開館して以来、絶えず多くの客が訪れる「大和ミュージアム」
もっとも正式名称は「呉市海事歴史科学館」ですが
愛称のほうが名が通ってしまったようですね
開館から13年が経過しましたが、今回ようやく夢がかなって訪れることが出来ました
 
このミュージアムは戦艦「大和」を通して科学技術や平和を学び、体験もできる場として呉市を設立
開館までは「戦争責任」について様々な意見が出たようですが
「歴史認識についての判断は来館者個々に任せる」という方針を貫いているようです

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ということでまずは「大和ひろば」へ
ここにはミュージアムの目玉である
10分の1スケールの戦艦「大和」がまるでドックに浮かんでいるかのように鎮座しております
その戦艦大和ですが、現物は全長26.3メートル、基準排水量64,000トン
45口径46㎝の主砲を9門搭載したまさに世界一の大戦艦だったのが、この10分の1の大和を見てもある程度想像ができますね
戦艦大和建造など軍事や戦争によって発達した産業技術そのものが、造船技術のみに収まらず、その後の日本の工業技術の発展に寄与したというのがこのミュージアムのテーマだったりします
 

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ところでこのミュージアム
独自で見て回るのもいいのですが、午前10時と午後2時の2回ボランティアガイドによる「展示解説ツアー(参加無料)」をやっているとの事をホームページで知りました
内容は1階展示室(大和ひろば・呉の歴史・大型資料展示室)を約70分かけて解説してくれるとの事
そう9時に開館するのに、その前に「てつのくじら館」や企画展である『戦艦「長門」と日本海軍』を先に見て回ったのはこの展示解説ツアーの解説の元、見て歩こうと考えていたからです
 

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「呉の歴史」展示室
戦前は戦艦「大和」を建造した東洋一の軍港、日本一の海軍工廠の街として栄えた『呉鎮守府』を展示物で見せてくれました
そう戦艦大和がいきなり造れるはずもなく、その匠の技はもともとこの呉に現存したものだったようです
 

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次に見えてきたのがこの戦艦 「金剛」で使用されていたヤーロー式ボイラー
実物で1993年まで、暖房用のボイラーとして現役で使われていたんだとか
マネキンが今にも動き出し石炭をくべる、そんな様子が再現されていました
 

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技術という「モノ」が持つ素晴らしい技術の集大成
それがここ大和ミュージアムのテーマの一つ
その技術は日本の復興と高度成長を支えたんでしょうね
 

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巨大な船を造るべくして生まれた特殊なリベット接合や溶接技術
その後、造船技術の主流となる技法の大部分がこの戦艦大和の造船とともに生まれたようです


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特にこの大和に搭載された150センチ探照灯反射鏡サーチライト
12k先まで照らすのだそうですが、今では製造するのすら困難だそうで
一個作るのに何千万掛かるか、もしかすると億そんな製品なんだそうです
 

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戦艦「大和」設計図面については敗戦直後に多くの記録が焼却処分にされたそうですが
そこは蛇の道は蛇、捨てられなかった設計図も極秘に残されたようです
けれどそんな戦艦「大和」の正確な設計図は数枚しか現存していないそうです
 

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そう戦艦大和の機密保持は厳重を極め当時の最高軍事機密
日本国民にも秘匿され、8月8日の進水式も秘密裏に行われたくらいです
機密保持からその進水式は公表されることもなく、高官100名と進水作業員1000名が見守るだけで、世界一の戦艦の進水式は行われたんだそうです
そんなわけで進水式に配られるはずの記念品も処分されるはずが、こうして現存するものもあるのは極秘に持ち帰ってくれた方のおかげですね
 

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展示されている戦艦「大和」の備品や乗組員の遺品
実際にかなりの遺品が残っているのですが、そのわけは沖縄特高の際
燃料が足らず極力船を軽くするため寄港地の徳山湾(山口県)で、乗組員たちは沖縄特攻に際し、遺書・手紙・葉書などに家族への思いを託したうえ
こうした品物も寄港地で下して出撃したそうです
 

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戦後4回の海底探査が行われ
引き揚げられた大和の遺品なども展示されています


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そんな遺品の中には日本酒の一升瓶や写真のビール瓶などもありました
ちなみにビール瓶には「ンリキ」という文字が
そう戦艦大和ではキリンビールが飲まれていたんですね
この事実にキリンビール関係者はかなり喜ばれたんだそうです
 

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2016年の呉市による深海撮影調査プロジェクトにおける
東シナ海の水深350メートルの海底に眠る現在の戦艦「大和」の映像がこれ
サルベージも計画されたようですが、このまま眠らせてあげたいものです
 


 


大和ミュージアムでは戦艦大和のみではなく呉にまつわる他の展示物もありました
そのひとつ
潜水艦(伊400)
全長122m もあり、第二次世界大戦中に就航した潜水艦の中で最大
戦後アメリカに接収されましたが
それまで対艦兵器としか見なされていなかった潜水艦の用途を一変させ、第二次大戦後の潜水艦の設計・運用姿勢に大きな影響を与えた結果、核の時代の弾道ミサイル発射能力を持った米軍潜水艦に行き着いたとのことです
まぁ日本にはこうした潜水艦を造船する能力は今も健在
てつのくじら館やアレイからすこじまでたっぷりと見ていました
 

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さて続いて「大型資料展示室」へ
ここには「負の遺産」として戦争の悲惨さを伝えていく貴重な資料が展示されています
 

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まずは戦艦大和の46cm主砲弾
星野之宣著「ヤマタイカ」の中で現代の米潜水艦に攻撃を仕掛ける様子が描かれていますが
話の中で「ヤマトの徹甲弾は海面激突時に載頭弾となって水中を直進する特殊暖冬だったとの記述がありましたが、まさにその通りでした
こんな昔に対潜水艦攻撃まで考えていたんですね
 

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「零式艦上戦闘機六二型(ゼロ戦)」
 

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人間魚雷「回天」
 

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これまた戦後、アメリカ軍がすぐに撤収していった「酸素魚雷」
魚雷特有の泡の軌跡が見えないのでアメリカ軍には脅威だったようです
こうした技術もあっというまに流出したようです
アメリカが今でも日本と友好を築こうとしている背景にもう二度と日本とはやりたくない
そう思っているのかもしれません
 

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写真の右手前にあるのが特殊潜航艇「海龍」
2本の魚雷で攻撃、当たらなければ自らが弾頭になるのだとか
こんな話を聞きつつ70分の展示解説ツアーの解説は終了
おかげでたいへん面白く展示物の見学ができました
 


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帰り際3Fから見ると、また違った「大和」が見て取れ
満足の大和ミュージアム見学となりました
 

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さて次は呉の名物「海軍カレー」でも食べに行くとしますか

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この記事について

このページは、r-ohtaniが2018年12月22日 07:12に書いた記事です。

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