(軍艦島を世界遺産にする会 公式Webより拝借)
長崎港の沖合に浮かぶ周囲1200メ-トルの小さな半人工島
その島のシルエットが当時の戦艦「土佐」に似ていることから、「軍艦島」の異名をもつ「端島」
はじめてこの名を知ったのは確か小学生のころ
授業の一貫かと思いますが、体育館でこの端島炭鉱閉山の様子が描かれたドキュメント映画のようなものを観たときのことでした
石炭景気そのものを指すような豊かな生活から一転、閉山
島を出て行くさまが映し出されていた記憶があります
その映画にはここ「端島」で暮らしていた人々が、てんでんバラバラになった後にも端島会という名のもと集っているそんな話で終わっていました
今回の長崎行きの一番の目的はこの軍艦島(端島)に上陸することでした
そこで予め申し込んであったのが、このツアー
やまさ海運の催行する「軍艦島クルーズ(上陸ツアー)」
乗船前「誓約書」にサイン
それと気やすめですが船酔いに備え酔い止めを飲んでおきます
長崎港からマルベージャというクルザーで軍艦島へ渡ります
湾内は波もなくおだやかな航海でしたが、外海に出ると一変しました
五島灘とはいえ流石は東シナ海といったとこでしょうか
海は荒れ船は大揺れ、乗客はあちらこちらでエチケット袋を抱え右往左往しています
私も例に漏れず酔ってしまいました
あ~朝飯抜いてきて良かった
ほどなく到着、現地での調査の結果、無事上陸許可がおり軍艦島上陸です
(上陸のためには風や波などの安全基準を満たしていることが条件になっており、長崎市は上陸できる日数を年間100日程度と見込んでいます)
同行したボランティアガイドさんの話を聞きながら、1時間弱ほど今は無人となった廃墟を見学してまいりました
ちなみに1960年頃この端島には何と5,300人以上の人が住んでいたそうです
この島に水はないため当初船で運んできていたそうですが、とても間に合わなくなりパイプラインで島に水を引いていたようです
その水はこの山頂にある貯水タンクに貯められ各家に引かれていたそうです
水は貴重品だったようで炭鉱労働者が最初に入る風呂は海水
最後に水を浴びていたそうで、その施設がこの赤レンガで出来た管理棟の下にあり
個別の家には幹部くらいにしか風呂が無かったとか
島のあちこちにある鉄は海風にさらされ朽ちていっています
大勢が住んでいた当時も鉄製品はすぐに錆びたんだろうな~
日本初の鉄筋コンクリート造「高層」アパート
「30号棟」です
そんな劣悪な条件に加えまだ建築技術も未熟だったようですが、とりあえずまだ崩れてはいないようです
ドキュメント映画に出てきたと思われる「町立端島小中学校」が見えます
同じ屋根の下というのか、いまだ同窓会などつながりが強いとか
ところでこの端島「軍艦島」を世界遺産へと登録しようという動きがあるとか
ガイドさんの話では「西洋の驚異」と称される海に浮かぶフランスの修道院「モン・サン・ミシェル」と比較して真剣に話をされていました
ところで帰路は完全に船酔いになってしまいました
ついたのはちょうど昼、このあと「卓袱料理」予約してあるのですが・・・