グラバー園散策

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「トーマス・B・グラバー」
幕末に志士たちを陰から支えた立役者として英雄視されていますが、それもこれも明治維新後、岩崎家に雇われ三菱財閥の礎を築くのに尽力され、後世に名が残したからこその話だと思います
単純に考えると幕末のころのグラバーは当時の日本の混乱に乗じて金儲けした死の商人としか思えません
グラバー園などと名を付けられ、市民から慕われているのはそういった訳でしょう、特にここ長崎は三菱の影響の強いところでもあります


そんなグラバーが暮らしていたグラバー邸など当時を偲ぶ建物が今も残されているので朝一番に散策に訪れました
 

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まずは「旧グラーバー邸」
グラバーの奥さんは日本人だったこともあり、その邸宅には台所が設置されていました
他の邸宅には無かったものですが、使用人が食事その他を作っていたのだろうな~
ちなみにこの台所、コンニャク煉瓦と呼ばれるものが使われていました
 

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他には重要文化財である「旧オルト邸」や「旧リンガー住宅」など見所は満載
庭園も残念ながら花の季節ではありませんでしたが、よく整備されていて気持ちよく散策できました
 

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前述のように三菱との関係が深かったためか「旧三菱第2ドックハウス」も園内で見学できます
ここからの長崎湾の景色は絶景です、晴れていて良かった
 

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ビール好きだったのか「ジャパン・ブルワリ・カンパニー」というビール会社を発足したグラバー
後にキリンビールへその経営権は移っていきますが、キリンビールのラベルにある「麒麟」はグラーバーをモデルにそのヒゲがあるとか
キリンビールが三菱系列である所以ですね
蛇足ですが、三菱関係者は男も女も黙ってキリンビールだそうです(会社の会合の話です)
 

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実は前々からここでキリンビールが飲みたいと思っていたのですが、朝が早いためか冬季間のためかおそらく両方でしょう、お店は閉まっており夢は果たせませんでした
 

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さて写真の石柱は探してまで撮って来たものです
先般ちょっとだけ話題になった「フリーメーソン」
そのマークが刻まれた石柱です
フリーメンソンは「世界中に暗躍し、時代時代の節目に必ずその存在を噂される秘密組織」とも言われていますが、1ドル札にあるビラミッドに目のイラストはフリーメーソンの存在を映し出しているとも言われるほど影響力は大きいらしい
日本の著名人にもその会員はいて「友愛」の団体とのことです
 

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大浦天主堂のほうの入り口から入場しましたが、階段には
クネットの波型てすりが寄贈され設置されていました
TVでも見ましたがなかなかのすぐれものです
(将来自宅に必要になるかも)

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このページは、r-ohtaniが2010年12月26日 17:41に書いた記事です。

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