元大阪・築港赤レンガ倉庫ジーライオンミュージアム
最後に伺ったのが展示室3
ここはどうやら希少な日本車の展示がなされているようです
まず目を引くのが日本が高度経済成長期の真っただ中にぽつんと生まれた
「トヨタ2000GT」
トヨタ自動車とヤマハ発動機が共同開発し、1967年から1970年まで生産されたスポーツカー
販売したトヨタでは「1台売るごとに赤字だった」とも言われていて
生産台数はわずか337台となってしまい「幻の名車」と言われていますが
なんとここジーライオンミュージアムには2台展示されていました
一緒に撮影したのがオリジナルで
もう一台はカスタムされたものです
サイドミラーがドアミラーに変更されたりフロントフェンダー後方にダクトが設置されたり
マフラーも純正ではなさそうですし、タイヤもオリジナルよりも幅広のものが履かれていました
この車が有名になったきっかけが、映画『007は二度死ぬ』で、ショーン・コネリー演じるジェームズ・ボンドの愛車として使われたことでしょう
耐久レースなどでも活躍しましたが、このトヨタ2000GTは
伝説のレーシングドライバー浮谷東次郎の為に作ったとも言われています
あと私が同氏も見たかったのが「2000GT」のエンブレム
なんと日本の伝統工芸品である「七宝焼」で作られているのだそうです
近寄ってみたところまるで工芸品のような美しさでした
日本初のロータリーエンジン搭載車
「マツダ・コスモスポーツ」(1970年)
私自身は特撮の帰ってきたウルトラマンで怪獣攻撃隊の特別チームMATの専用車両マットビハイクルとしてのイメージが強すぎる一台です
1964年の鈴鹿サーキットを舞台に展開された第2回日本グランプリで生沢徹選手が操りポルシェを抜くと言った「スカイライン伝説」を生み出した
プリンス自動車の「スカイライン 2000GT (S54型)」
元のスカイライン1500(S40型)のホイールベースを200cm延長し
グロリアの2LのG7型直列6気筒SOHCユニットを強引に押し込んだうえ
ウェーバー製のキャブレターを3連装
当時としては図抜けた125psのパワーを誇り最高速度も180km/hに達したそうです
そんなわけでシックなセダンボディと内に秘める高性能の組合せは「羊の皮を被った狼」と言わせしました
こちらもスカイライン
プリンス・スカイラインスポーツ コンバーチブル(1963年)
イタリアのデザイナー、ジョバンニ・ミケロッティがスタイリングを手がけたもので
価格も195万円と、現在の貨幣価値換算で2000万円以上に相当する高価格車だったそうです
ホンダが自動車メーカーとして本格進出した初期のモデル「S600」もありました
初代「トヨタ・セリカ(TA22型)」(1970年くらいかな)
トヨタのWRC(世界ラリー選手権)挑戦の始まりとなった車両
今のWRCでのトヨタGRヤリスの活躍もこの車から始まったんですね
いすゞ・ベレット1600GT(1971年)
フロントにあるDOHCのエンブレムが誇らしげですが
幾多のモータースポーツに参戦して勝利を重ね、「ベレG」の名を不動のものにしたそうです
最後に
オースチンA50セダン(1957年)
映画「ALWAYS 三丁目の夕日」
何故日本車の展示室に英国車とも思いましたが
日産が英国オースチン社と技術提携し、国内生産されたA50ケンブリッジといった車種があり
映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」に出演した車輌だからなのですね
さてまだゆっくりしたいのはやまやまですが、残念ながら帰りの飛行機の時間も迫っていたので後ろ髪を引かれつつ帰ることに

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