花見小路を北へ四条通りを超えたところが、五花街の一つ「祇園東」
次のツアーの目的地です
ガイドさんに導かれるまま、建物の脇の細い道を歩いていると見えてきたのが120年もの歴史を持つ京都祇園の老舗和菓子店「甘泉堂」
ここの店は夏は水羊羹、秋から冬は栗蒸し羊羹が有名なお店で
看板娘?たる「おばあちゃん」の人を心底ビビらせる客対応も賛否両論の人気の秘密なんだとか
次にやってきたのが、「京都花街国民健康保険組合」
目的は健保組合ではなく健保組合の看板の隣にある黒板
舞妓さんたちのお稽古のスケジュールが記入されています(大御所のお師匠さんの名前も並んでいます)
えっスケージュールくらい手帳に記入すればよいくらいに思えますし、今やスマホで管理でしょうと言いたくもなりますが
実は舞妓さん、「仕込さん」という修行期間は自前の持ち物は無く
スマホなどは持てないことになっているのだとか
なんだか厳しいですね、ということで自身のスケジュールはここに来ないとわからないということにあるわけです
ツアーは楚々と流れる白川に架かるこの小さな橋「巽橋」を渡り辰巳大明神へ
この辺りは昔ながらの風景を湛える祇園白川地区
ここは伝統的建造物群保存地区に指定されており8年ほど前、京懐石を食べに「京料理 琢磨」へ伺ったこともありました
ガイドさんもお勧めのお店を紹介してくれました
向かい合う2つのお店で一つは創業は天保元年(1830)といった老舗の仕出し料理のお店「京料理 菱岩」
出汁の香りが店の外にまで充満していました、これは間違いなく美味しいんだろうと容易に想像させるお店です
2軒目は向かいの「割烹 たん義」リーズナブルな価格で割烹料理が楽しめるのだとか
次回京都に来たのならどちらかに立ち寄ろうと思います
祇園白川地区から三条大橋方面へ歩いてすぐに「元有済小学校」がありました
元というのは統廃合で廃校となったから、祇園のこのあたりには今や少子化の波が襲っているようです
木造の簡素な櫓が見えますがこれが「太鼓楼兼望楼」
火の見櫓の役目を果たし、太鼓を据えて市民に時を知らせたそうです
鐘の望楼はよく聞きますが、太鼓とは珍しいですね
明治9年に建てられたこの太鼓楼兼望楼、現在は国の登録有形文化財となっています
こちらもガイドさんお勧めの老舗の蒲鉾屋さん「キク嘉老舗」
なにせ創業は天保元年(1830年)
京の料亭の多くの名店で出される蒲鉾やひろうすはここの物であることが多く
名物は鱧を使った「鬼かまぼこ」
チーズ入りかまぼこ発祥の店という方もいらっしゃいますが、丸善が元祖という方もいてこれはどちらかは判りませんでした
ツアーも終盤、三条大橋へやってきました
おっとその前に「高山彦九郎像」を忘れてはいけません
土下座像と呼ばれているこの像、たしかにヒゲ面の男が座ってひれ伏しています
ヒゲ面の男の名は高山彦九郎、尊王運動の先駆者として幕末の志士たちに強い影響を与えた人物として有名ですが、その台座にはこう記されています
「京都に出入りする折には、この銅像の姿のように京都御所に向かって拝礼した」
そう土下座ではなく、拝礼なんですね
ちなみに京都では待ち合わせの場所として「土下座像」前で通じるそうです
せめて「拝礼像前」にしてもらいたいものですね
拝礼像を拝んだ後は三条大橋へ
ここは東海道五十三次の終点であの弥次さん喜多さんの像もありました
この橋には「三条大橋の擬宝珠の刀傷跡」があります
橋の片側にはこんな看板がありました
「三条大橋西側から二つ目の南北擬宝珠に刀傷があります。これは池田屋騒動のときについたのではないかといわれており、現在でもはっきり見て取れる刀傷です。三条大橋を渡るときに目をやってみてはいかがでしょう。 三条小橋商店街振興組合」
とありました
幕末の池田屋事件で、三条大橋の2か所の擬宝珠(ぎぼし)に刀傷がつけられたと噂の場所です
確かに傷がついてますけど真偽のほどは確かではありません
ただ皆さんこの刀傷を撫でていくので少しずつすり減り遠くない将来はこの刀傷は無くなりそうです
そして五花街巡り最後に巡るのは「先斗町」
7年前にはここ先斗町で京都の夏の風物詩鴨川の納涼床を楽しみました
ここに伺ったのはまだ正月明けきらぬ時期だったことから
小さな門松に加えこたつに入ったうさぎ
それに若松の根っこをそのまま引き抜いて用いる「根引き松」が飾られていました
今回の『あなたの知らない昼の花街!祇園のひる遊び』ツアー
ガイドの丁寧な説明もあり、かなり奥深い花街や祇園の様子
ついでに美味しいお店を紹介いただきました
かなり意義のあったツアーでしたので次回もぜひ利用したいものです
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