ベトナム軍事歴史博物館にも足をはこびました

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ベトナム軍事歴史博物館にも足をはこびました
にしても、今日もハノイ路線バスで観光施設を回ってますが、ハノイ市内はやはりバスが便利
Google mapを使ってバスの経路を調べつつ回ってますがかなり便利に使えますし
なによりシルバーパスで無料って凄すぎ
ちなみにそのベトナム軍事歴史博物館
ベトナム戦争当時の遺物を保存する博物館で
北ベトナム軍はむろんアメリカ軍が使用した小火器や爆弾、戦闘機などが展示されているとのこと
入場料40,000ドン(約224円)を支払い入館いたします


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ベトナム軍事歴史博物館の目印はこのタンロン遺跡の遺構
ベトナムの国旗が掲げられたフラッグタワー
1812年にザーロン帝によってハノイ城内に監視塔として建てられたものだそうです
 

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屋外にはこのB-52(枯葉剤をばら撒いていた、にっくきアメリカの象徴なのでしょう)を撃ち落とした残骸などが誇らしく展示されていました
 

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ベトナム戦争の様子を写した写真や


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小火器やロケットランチャーなどが展示されています
 

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撃ち落されたのでしょうアメリカ軍の爆撃機の部品やら
搭乗者のが使用したヘルメットやパイロットスーツなども展示されていました


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特に目を引いたのがアメリカ軍と戦った際に使用され
アメリカ兵を恐怖におとしいれたた、ゲリラ戦を主体とするベトコンが設置したブービートラップの数々
 

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これはベトコンが棒に手りゅう弾を仕込んだブービートラップ
 

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直接日本とは明示されていませんが、旧日本軍は終戦時に大半が撤収するなか、約600人がベトナムに留まり、ホー・チ・ミンらが率いる「ベトナム独立同盟」(ベトミン)に参加いたしました
そのわけが1954年3月から5月にかけて日本に獲られた植民地を奪還しようとフランス軍が進駐したことが要因で
フランス領インドシナ北西部で起こった、第一次インドシナ戦争中最大の戦闘「ディエンビエンフー」の戦いでは
なんと司令官の参謀の半分を旧日本兵が占めたんだそうです
そんなディエンビエンフーの戦いにおいて物資を運んだと明記された自転車
実に300kgもの物資の補給に使われたんだそうです
  

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他にもベトナム戦争にかかわる日本のブースがあり
 

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ベトナム戦争における南ベトナム解放民族戦線を支持するスローガン
「(越南)南人民族解放万歳」が見て取れる赤い旗や
 

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ベトナム戦争においてアメリカ軍のベトナム北爆を支持した佐藤首相に
焼身抗議した由比忠之進とその時代
「我が身は炎なりて」比嘉康文著
なども展示されていました
 

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このページは、r-ohtaniが2025年9月 2日 06:30に書いた記事です。

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