白老にあるウポポイからの帰り道
ちょっと遠回りして支笏湖経由で札幌芸術の森美術館にやってきました
目的はランスを代表する画家、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックの展覧会
「フィロス・コレクション ロートレック展 時をつかむ線」を鑑賞するためです
ちなみに南フランスの伯爵家の息子として生まれた、まぁ割と有夫な生活だったロートレック
若いころに脚を骨折し以降下半身の成長が止まり、絵画に専念するようになります
近代以前までパリ市域外のモンマルトルの丘にアトリエを構えます
ちなみにそんな丘の麓、ピガール広場周辺はその頃からパリ随一の歓楽街だったそうです
毎日のように舞台を見に行き、そこに生きる歌手や芸人、娼婦たちの姿をたくさんのデッサンや版画やポスターとして描いたポスターが一世を風靡しました
ただ残念なことに飲酒や放埓な生活のために肉体と精神を害し、療養の末、36歳で亡くなったそうです
まず拝見したのが「ロージのジュディック」1894年
ロートレックと言えば素早く流麗に描かれる線
そんな流麗な線が人を魅了するのが、この絵から伝わります
ちなみにこのロートレック展、動画やフラッシュを使った撮影以外はOKでした
有名なポスター
「キャバレーのアリスティド・ブリュアン」1893年
当時人気を博したシャンソン歌手のアリスティド・ブリュアンを黒い上着、ツバ広の黒い帽子、赤いマフラー、そして片手には棍棒という出で立ちといった彼のトレードマークを強調して描かれています
そんな19世紀末のパフォーマーともいえるアリスティド・ブリュアンを描いた作品で今回の展覧会にはもう一枚出展されていました
「エルドラド、アリスティド・ブリュアン、彼のキャバレにて」1892年
「歌曲集『昔囃』表紙」 1893
左腕でファゴットを抱えた奏者で作曲家のディハウが、クマで表したグーデツキをひもで引っ張って対岸のフランス学士院に連れて行くイラスト
ちなみにディハウはロートレックの従兄、グーデツキは植民地政策を公然と批判した唯一の作詞家だそうで
19世紀末のフランスを描いた風刺画として今に残る名作となっています
雑誌『ラ・ルヴュ・ブランシュ』のためのポスター 1895年
「ル・ディヴァン・ジャポネ」 1893
当時パリで流行していたカフェ・コンセール(音楽喫茶)のためのポスター
黒いドレスの女性が当時人気の踊り子ジャヌ・アヴリルとのこと
「マドモアゼル・エグランティーヌの一座」 1896
パリのムーラン・ルージュで演じられたカンカンの踊り子たちを描いた有名なポスター
アメリカの文芸雑誌「ザ・チャップ・ブック」からの依頼で制作
モチーフはパリ、ロワイヤル街にあったアイリッシュ・アンド・アメリカン・バーとのこと
「ブイヤベース、セスコーのメニュー・カード」 1895
こんな感じでロートレックの絵は多種にわたっています
そしてこうした素早い描線と大胆な構図を活かしたポスターは、19世紀末のパリを席巻
いまこうして鑑賞すると当時のパリを彷彿させてくれ、思いのほか楽しんできました
まだ札幌芸術の森美術館では開催中とのことなので、一度足を運ばれてはいかがでしょう
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