ウィーン軍事史博物館にて、オーストリアの歴史を勉強は続きます
次はこのウィーン軍事史博物館の必見の展示
第一次世界大戦の要因となった、サラエボのオーストリア皇太子夫妻暗殺事件のコーナーです
これが「サラエボ事件の車」
オーストリア皇太子フランツ・フェルディナンド夫妻が実際に乗っていた車
NHKのドキュメント映像の世紀「20世紀の幕開け カメラは歴史の断片をとらえ始めた」で見た記憶があります
四角く緑で囲ったところにあるのは、暗殺事件の時に貫通した弾丸の後です
「ツムリヤ橋」付近で皇太子夫妻の車列にこのような手榴弾が投げ込まれました
その際、皇太子夫妻は無事でしたが、手榴弾の爆発により多数の負傷者が出ることに
サラエボ市庁舎での歓迎式の後、爆発による負傷者を見舞うため皇太子夫妻は病院に向かいますが、運転手は道を間違えます
車が停まった場所に偶然か?暗殺事件を企てていた、6人の暗殺者グループの一人ボスニア系セルビア人の青年ガヴリロ・プリンツィプが待ち構えていて、皇太子夫妻に至近距離からピストルで撃ち2人に致命傷を与えたと伝えています
皇太子フランツ・フェルディナンドが着用していた礼服も展示されていました
1914年6月28日に起きたこの暗殺事件をきっかけとしてオーストリア=ハンガリー帝国はセルビア王国に最後通牒を突きつけ、第一次世界大戦の勃発につながります
4年にも及ぶ世界規模の戦争で犠牲者数は、戦死者 1600万人、戦傷者 2,000万人以上を記録
史上死亡者数の最も多い戦争の一つとなりました
そしてハプスブルグ家の帝国もまた世界の帝国主義とともに崩壊
ハプスブルグ家がオーストリアから去っていくこととなりました
次はそんな第一次世界大戦の展示コーナーへ
コメントする