写真は江戸初期の露頭手掘り跡「道遊の割戸」
佐渡金山のシンボルで山がV字に割れたような姿になっています
見ることが出来たのは史跡佐渡金山『明治官営鉱山コース道遊坑』の途中
これは1601年に山頂部から掘り進められ、やがて幅30m、深さ74mもの巨大な空洞「割戸」が形成されたというもの
山頂は江戸期の手掘りで、下部は明治以降に西洋技術を導入して再開発したそうですが
人間の手によってこうして山が割れるなんてなんだか想像を絶します
ちなみにこれ世界でもかなり珍しいんだそうです
展望台からは「道遊の割戸」直下の大規模な採掘跡が望めました
さて江戸金山絵巻コースの『宗太夫坑』を一通り見た後は一度外に出て
明治官営鉱山コース『道遊坑』に入りなおします
鉱石を積んだトロッコがあったりと明治以降の近代的な採掘の様子が見て取れました
坑道は先ほど見てきた宗太夫坑とは打って変わってコンクリで周りを固められた、現代の坑道
トロッコが走る回る為か大きく、水平で、まっすぐに延びています
明治に入って近代化された坑道や鉱山設備
大きな空間で作業する人も鏨と鎚だけで採掘する方法から
削岩機(ロックドリル)で一気に採掘する手法へと変わっていました
坑道を行き来していたトロッコ列車に乗り記念撮影
坑道は、現在も貯蔵庫として活用されているようで
道遊坑コースには「酒類熟成所」なる場所があり
真野鶴を醸す尾畑酒造と北雪酒造が日本酒の熟成に使っている一部の坑道もあり覗いてきました
佐渡金山坑道は太陽の光が届かず紫外線の入らないうえ、温度や湿度の高低差が非常に少ない天然の貯蔵庫(気温計は12~13℃あたりを指しています)
お酒の貯蔵には持って来いの環境のようで
貯蔵された日本酒は「佐渡金山秘蔵古酒」(尾畑酒造)、「佐渡金山坑道貯蔵酒」(北雪酒造)などの銘柄となりロマン溢れる1本をぜひお楽しみくださいと銘打たれそれぞれの酒蔵で売られておりました
さて史跡佐渡金山明治官営鉱山コース『道遊坑』ではこの鬼瓦のように「三菱」の名を彼方此方に見ることが出来ます
なかには三菱のマークの由来や
三菱財閥の創業者「岩崎弥太郎」についての説明書きなどが記されています
というのも皇室財産だった佐渡鉱山は1896年三菱(現マテリアル)に払下げとなり
その後、三菱は動力の電化など佐渡鉱山の機械化を推し進め
最盛期だった17世紀前半(江戸時代ですね)並みの産出量400kg以上を産出するまでになったのだとか
ちなみにそんな江戸時代の産出量は当時としては世界で一番の産出量を誇ったそうです
そんなこともありこの機械工場の窓ガラスには三菱マークが手で掘られていたり
屋根瓦が三菱だったり(菊の御紋もありました)と
ここは三菱の牙城だったことがわかります
そうそうそうした鉱山の安定した操業には、機械類の修理等を外部に委託せずに自前で行えることが重要で、そのため佐渡鉱山には工作課という部署が設けられていたそうでその跡が残されていました
工作機械類は現在でも使えるものが数多く展示されていますが、製造時期が不明な「日立」のボール盤、「YAMAGUCHI」フライス盤などマニアが見たら垂涎ものの機械がこれでもかと展示されていました
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