世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』に構成される
高野山真言宗の総本山たる金剛峯寺にやってきました
ここは高野山の中心的役割のお寺ですが
弘法大師が金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)というお経より名付けられたと伝えられています
まずはこの安土桃山時代の面影を残す「正門(表門)」
現在では一般の参詣者もこの門をくぐり本坊境内に入れますが、往時には、正門を正面から出入りできるのは天皇と皇族、そして高野山の重職だけに限られていたそうです
もっとも太閤秀吉もこの正門から入ったんでしょうけど
まぁそんな格式ある門です
正門をくぐるとすぐ見えるのがこの堂々とした「主殿」
屋根には木桶らしきものが見て取れますが、これが「天水桶」
名前の通り水が入っていて、火災が発生したときに屋根に水を撒けるようになっています
もっともこのくらいの木桶ですから、少しでも類焼を食い止める程度の役割のようです
さて真正面に「大玄関」が見取れますが、さすがにここからは入ることが出来ず
右手にまわって小さな潜り戸(参拝客入口)から「主殿」に上がります
この主殿は太閤豊臣秀吉が亡き母の菩提を弔うために建立した「青巌寺」と言われた建物
大広間には金剛峯寺と書かれた「扁額」と松が描かれた襖絵
奥の院霊木「高野杉」
年輪が何かを物語っているかのようです
ちなみに奥の院で見事な高野杉を見ることに
ことあと見事な襖絵を見ることが出来ましたが、さすがに聖地、そんな襖絵は撮影禁止でした
あと「柳の間」は「秀次自刃の間」と記されていました
調べてみると、豊臣秀次は1595年7月13日、この金剛峯寺の柳の間で、四人の近習と自刃し遺骸は高野山に葬られたそうです
この部屋は「土室」
文字通り土壁で囲んだ部屋なのですが
中央に写真にあるのは囲炉裏で、土壁と囲炉裏で部屋全体を温かくしたようです
小棚には弁財天も祀られていました
台所の「大釜」
江戸期以降、実際に大勢の僧侶の食事を賄ってきた場所ですが
現在も使われているそうですが、部屋は煤で真っ黒になっていました
この辺りも歴史を感じます
天井からつり下ろされた食物の保存に使われた棚
紙を垂らしネズミの侵入を防ぐ工夫もなされていました
日本国内最大の石庭(2,340平方メートル)と称される「蟠龍庭」はさすがに圧巻
見に来たかいがありました
最後に御朱印をたまわり拝観修了
次は少し歩いて源頼朝公の菩提を弔うために北条政子が創建した金剛三味院へ
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