今回宿泊先となるホーチミンから北西へ100kmの場所に位置する「クチ」
1954年~1975年まで行われたベトナム戦争においては南ベトナム解放戦線(ベトコン)の重要拠点となり、最後までアメリカ軍は攻略できず「鉄の三角地帯」と呼ばれました
そんなこともありクイはベトナム人の不屈の精神を表し、ベトナム人にとっての誇り高き場所となっています
特にアメリカ軍を翻弄させたクチに広がる熱帯雨林の地下に張り巡らされた、約250kmものトンネルをゲリラ戦の拠点としましたが、そこは戦争の激戦地として今も当時の戦争の傷跡が残っていますが、それとともに保存され・・・・
というか観光地化され、多くの外国人が訪れる定番観光スポットになっていました
私どもも入場料90,000VDN(日本円で約500円くらい)を支払い中へ
まずは国民の父 として親しまれる人物である「 ホー・チ・ミン 」のい肖像画がかかった部屋に案内され
どちらかというと半強制的にベトナム戦争当時のベトナム人の奮闘を描いたDVDを見せられます
ちなみにこの部屋は当時実際に「作戦会議」が行われた場所だそうです
なお、余談ですが映しているのは日本の「SONY」のDVD機器でした
次はそのおさらい、当時の様子を再現した落ち葉が敷いてある地面に隠されたトンネルへの出入口
人がやっと通れるほどの大きさです
体が大きい米軍が簡単に入ってこられないように、小柄なベトナム人に合わせてこの大きさにしていたそうです
圧倒的な軍事力を誇るアメリカに対して、南ベトナム解放軍はクチのジャングルに身を潜めるゲリラ作戦にでます
かつて旧日本軍もペリリュー島のジャングルで、殺到する米軍の上陸部隊に対し、島中に洞窟陣地を張り巡らせて迎撃し米軍を恐怖に陥れました
そんな戦いを嚆矢として、後の硫黄島や沖縄での戦い方に受け継がれていった旧日本軍のゲリラ戦術
米軍は日本軍の多様なゲリラ戦術のことを「卑怯な日本軍」という言い方で恐れたようです
このゲリラ戦術の記録は戦後米軍に渡ったとのことですが、それが冷戦時代ソ連の手に渡り、その後ソ連と友好関係にあった南ベトナム解放戦線(ベトコン)に渡ったという話があるくらいです
まぁ米軍と戦うのなら、その米軍を苦しめた戦法を知りたいのはもっともなことです
これは地下に潜むためにベトコンが作った空気穴
これはベトコンの作戦会議?もしくは休憩中でしょうか
リアルなマネキンですが貧相な装備が見て取れます
破壊された戦車が生々しく残っており展示されていました
裏側に1970年にベトコンの遅延式起爆地雷によって破壊されたアメリカの M41戦車と書かれていました
にしてもただでさえ暑いのに、こんなのに乗って戦う事態ぞっとします
ブービートラップの見本も展示されていますが
こうしたトラップはクチに数多く仕掛けられ、米軍を苦しめました
面白かったのが
不発弾を再利用して武器弾薬を作っていた様子を再現したコーナー
見ているだけで怖いのが
不発弾から火薬を抜き取る作業の様子
実際に失敗して爆発させた例もあったんでしょうね
アメリカ軍は大量の空爆と枯葉剤などを投下したことが知られていますが
沖縄(未発見の不発弾は約1,900トンあると推計されています)もそうですが、アメリカ軍の爆弾ってどうしてこんなにも不発弾が多いのと思ってしまいます
で米軍の兵器を改造して作ったリサイクル地雷
これまた米軍兵士を苦しめますが
これを見て「アイアンマン」の一話で捕虜になっていた際に、脱出用に作られたプロトタイプのパワードスーツを思い起こしてしまいました
さてこのあたりで休憩タイム
売店で缶ビールを買い喉を潤します
するとどことなく香ばしい香りが漂ってきました
香りの元はこのとうきびの炭火焼き
ということで焼きトウキビつまみにベトナムビール(333)やってます
次はいよいよクチトンネルに突入します
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