JAXA内之浦宇宙空間観測所を見学した後はレンターカーで鹿屋へ
日本海軍鹿屋航空基地があった場所には現在海上自衛隊鹿屋航空基地が置かれ、東シナ海・太平洋海域等の防衛警備や災害派遣、急患輸送などを行っておりますが
そんな海上自衛隊鹿屋航空基地正門横には海上自衛隊鹿屋航空基地史料館があるということでやってきました
さて特攻隊の資料館と言えば知覧特攻平和会館が有名で昨日私も訪れましたが
実は鹿児島にはもう1か所見ておきたい特攻隊の資料館があります
それが鹿屋航空基地史料館
知覧が陸軍の特攻隊基地だったのに対し、鹿屋は海軍の特攻隊基地だったわけで
この海軍鹿屋基地からは908名の海軍軍人が特攻隊員として南方に出撃し、若き尊い命が失われました
特に下の動画にあるように海軍鹿屋基地からは太平洋戦争中に旧日本海軍によって開発された爆弾を搭載した一人乗りの飛行機型ロケット「桜花」を載せた一式陸上攻撃機が出撃していった地でもありました
というかこの動画を見て是非ともこの特攻の地、鹿屋に来たくなったんですけどね
海軍鹿屋基地は大戦中には司令部が置かれた、重要な基地で
海軍亡き後も警察予備隊、保安隊、そして海上自衛隊とずっと現役で稼働し続け
今も鹿屋航空基地として使われる現役の飛行場
この資料館はそんな鹿屋航空基地に隣接し建てられました
史料館前には海軍・海上自衛隊のシンボルである錨のモニュメントが鎮座していました
史料館には、昭和11年に海軍鹿屋航空隊が開隊して以来の旧日本海軍創設期から第二次世界大戦
そして現在の海上自衛隊鹿屋航空基地に至るまでの豊富な史料が展示してあります
特に2階フロアには小説「永遠の0」にも登場する「零式艦上戦闘機五二型」が、中央上部にある「空のドーム」の下に展示されていました
この戦闘機は、平成4年に鹿児島の錦江湾及び吹上浜から揚収された海軍の零式艦上戦闘機
その残骸を基に、三菱重工業名古屋航空宇宙システム製作所の技術支援を得て、鹿屋基地所属隊員が復元した零式艦上戦闘機五二型です
そういやニューヨークにあるスミソニアン博物館に展示されている零式艦上戦闘機は「MITSUBISHI A3M5 ZERO」と諸言付きで展示されていましっけ
きっと今でも三菱にはゼロ戦の古い資料が残されているのに加え、ゼロ戦を作った過去に対する思いもあるのでしょうね
復元に際しては出来るだけ引き揚げた実機を使用することとしたそうですが
腐食等が甚だしく復元可能な個所については、当時の設計図により規格を同じくして新たに製作したようで、現物はこの状態で飛び立てるのではと思ったほどの復元でした
コクピットも覗けるように階段が設置されていたので私も昇ってみます
コクピット内部で目を引いたのが、「九八式射爆照準器」
ドイツ製の照準器をお手本にして開発されたものです
この照準器を駆使して多くの敵機を落としゼロ戦の名を世界に知らしめたんですね
ゼロ戦のわきには空冷星型航空機用レシプロエンジン「発動機 栄二一型」も展示されていました
この栄型レシプトエンジン、中島飛行機が開発・製造した航空機用空冷星型エンジンで
零戦や一式戦などの主力戦闘機に使われ計33,233基が製造されたベストセラーです
航空機用燃料(ガソリンと松根油の混合)も展示されていましたが
この混合油は航空機用燃料の代替物としての利用が試みられたが、非常に労力が掛かり収率も悪いため実用化には至らなかったようです
他には特攻隊員の遺影や遺書なども展示
そうした海軍の史料の一部は、遺族への配慮のため撮影禁止でしたが、涙々の展示の品々でした
館内の中庭になにげなくあったのは真珠湾攻撃でも使われた
「九一式航空魚雷」
これが傑作と言われるほどの航空魚雷
水深12mしかなかった水深の浅い真珠湾での使用が可能な画期的な兵器で
真珠湾と似た地形だった鹿児島湾において、九一式航空魚雷を積んだ97式艦攻は実戦の約2ケ月前から猛訓練が行われたそうです
そんな浅海面雷撃訓練は成果として現れました
真珠湾においてこの航空魚雷は第一次攻撃隊の97式艦上攻撃機合計40機が実装し放たれましたが
40本の中で実に9割に及ぶ36本が命中するという驚異の成果を挙げたそうです
新型魚雷もさることながら搭乗員の技量も素晴らしかったようです
こんな浅瀬で魚雷攻撃はないだろうと高をくくっていた真珠湾の米海軍はさぞかし驚いたでしょうね
さて史料館2Fの海軍航空の歴史コーナーを見たら次は1Fの
海上自衛隊の歴史等の展示を見に行くことに
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