大東亜戦争(太平洋戦争)末期
陸軍特攻隊の出撃基地「知覧飛行場」があった知覧
残念ながらその知覧飛行場は戦後に進駐してきたアメリカ海兵隊に破壊されて跡形も無くなってしまっています
現在はそんな知覧に知覧特攻平和会館が建てられ
大戦末期に編成された大日本帝国陸軍航空隊の特攻に関する資料を展示しているということなので
これは一度は訪れ見てみたいと思っていましたが、今回ようやく訪れることが出来ました
知覧特攻平和会館に入館する前に
野外の展示物を見学
まずは一式戦闘機「隼」
日本陸軍が誇る最強のドッグファイター隼
軍神と謳われた撃墜王「加藤建夫」の愛機としてしられています
そんな「隼」も特攻機として166機が使われ,その内120機が知覧基地から出撃したそうです
この機体自体も「特攻の母」として知られる鳥濱トメさんの視点から、若き特攻隊員の無残にも美しい青春を描いた映画
『俺は、君のためにこそ死にいく』で実際に使用された機体なんだそうです
この映画DVDになっているので見なきゃなりませんね
これまた屋外に展示されている航空自衛隊練習機T-3と
その奥にあるのは特攻隊員の銅像「とこしえに」
そしていよいよ念願の知覧特攻平和会館入館
残念というか当然というか内部は一部を除き撮影禁止
そりゃそうでしょう特攻隊員たちが最後に家族に送った手紙などの遺品がずらり並んでいるわけですから
ということで管内で特攻前に家族あてに書かれた感謝の気持ちを述べた最後の手紙を何通か読みましたが、涙々でほとんど読めませでした
一部撮影可だったのが
「零式艦上戦闘機五二型丙」(レプリカではなく実機)
損傷が激しく機体前部と主翼及び主脚のみ現存の状態
薩摩川内市の甑島沖約500m、水深約35mに沈んでいたものを引き上げ修復したものだそうです
機体は35年間海中にあったそうで
無残な姿ですが、往時をしのぶ姿をとどめていました
最後に三角兵舎(レプリカ)
各地から集結した振武隊員は、数日後にここから出撃する
出撃前夜には、この兵舎で壮行会が催され、薄暗い裸電球の下で、酒を酌み交わし、隊歌を歌い、遺書や別れの手紙を書き出撃していったと言われているそうです
そうそう知覧特攻平和会館で見かけた一台のピアノ
ドイツ・フッペル社のグランドピアノなんですが
戦争末期に九州の鳥栖国民学校を2人の陸軍の特攻隊員が訪れ
明日、知覧に向かい出撃するが今生の思い出にグランドピアノが弾きたいと申し出
ベートーヴェンの「月光」を弾くという話があり
半世紀後、この話がラジオで放送され、ここ知覧特攻平和会館にある遺影で彼らの身元が明らかとなるという涙々の話がありました
その時に弾いたのがドイツ・フッペル社のグランドピアノ
一時は知覧特攻平和会館にも置かれていたのですが、いまは鳥栖市に還されています
現在知覧特攻平和会館にあるピアノはこの物語に感銘を受けた音楽家が寄贈したものなんだとか
ちなみにこの話をもとに『月光の夏』という小説が出版され、同名の映画化もされています
これまたDVDにもなっているようなので、これもまた見てみようと思っています
この地、飛行場のあった知覧からは439人の特攻隊員たちが飛び立ち帰らぬ人となりました
知覧以外にも日本各地(当時の台湾)からも出撃し戦死した陸軍の特攻隊員は1036人
ここ知覧特攻平和会館にはそうした特攻隊員の遺影や遺品など約4500点が展示されていました
知覧特攻平和会館ではそんな資料に触れ戦争の悲惨さ、平和・命の尊さを感じるひと時を得ました
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