今は使われていない伊江島空港と 米軍補助飛行場跡の滑走路をレンタカーで激走

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湧出展望台のすぐ横にある「塩の駅」で天然塩を買った後やってきたのは
「伊江島空港ターミナル」
1975年(昭和50年)7月に開催された沖縄国際海洋博覧会の関連事業として米軍から返還され新たに伊江島空港として建設し開港したそうですが
米軍訓練空域内にあることから制限も多く利用者も少ないため1977年からは定期便の運用はされず、現在ターミナルは閉鎖されているとのことでした
ちなみに第二次世界大戦中に日本軍はミッドウェー海戦で惨敗し多くの航空母艦や航空機を喪失し、以後の戦況を立て直すことができなくなりました
そこで地上から航空作戦を展開するという「不沈空母」構想をうちたて計画されたのが
当時「東洋一の規模の飛行場」と称さた日本陸軍「伊江島飛行場」だったそうです
そんな日本陸軍によって作られた「伊江島東飛行場」がベースに作られたのが、今は使われなくなった伊江島空港だったりします


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それでも今現在、自家用小型飛行機の訓練受け入れや、救急患者を移送する必要性から職員を配置し稼動しているとのことです
空港の片隅には赤さびた消防車が置かれていましたが、ナンバーが付けられているところを見ると現役でしょうか
消防車の奥に先ほど登ってきた標高172.2メートルの城山(タッチュー)を見ることが出来ます
もしかするとタッチューからもこの滑走路が見えたかもしれません


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今は使われていない伊江島空港に立ち寄ったあと
アメリカ海兵隊キャンプ・バトラー管轄の基地にも行ってみました


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もっとも目的は基地ではなく隣接し今は使われなくなった「伊江島補助飛行場跡」
その滑走路をレンタカーで激走しようとやってきたわけです
気分よく滑走路を駆け抜けましたが、途中牧草のロールなどの農業をやっている方々の痕跡を見ることになりました
これが噂の「黙認耕作地」
村面積のおよそ35.3%の区域面積を占有している米軍基地ですが
同区域内に300戸近くの住宅が存在し、実際に生活しているという状況なんだそうで
地料を得ながら営農や居住もできる「黙認耕作地」や「黙認住宅地」が今も行われているそうです
 

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このページは、r-ohtaniが2023年4月18日 04:39に書いた記事です。

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