京都ミステリー紀行・幽霊編を終えた後
午前中に外観だけ見て通り過ぎた「蓮華王院 本堂」に立ち寄る事にしました
ちなみにこのお堂は柱間が「33」であることから、一般的に三十三間堂と呼ばれていて、こちらの方が名が通っているようです
そしてその三十三間堂の見どころは何といっても、「千手観音坐像」と「千体千手観音立像」
双方ともに国宝に指定されています
特に1001体もの千手観音像が整然と並ぶさまは見事としか言いようが有りませんでした
ただ残念ながらお堂内部は撮影不可
代わりにyoutubeの動画にいいのが有ったの貼っておきます
(BS朝日のyoutubeより)
さて三十三間堂では「大悲殿(洛陽三十三所観音霊場第17番)」の御朱印を賜りました
「大悲殿」は観音様を安置するお堂という意味なんだそうです
そして三十三間堂と言えば「通し矢」
熊野の蕪坂源太という者が三十三間堂の軒下を根矢(実戦用の矢)で射通したのに始まるともいわれ
その後、江戸時代に大いに流行したそうです
この競技は各藩の弓術家が本堂西軒下(長さ約120m)の南端から北端の的を狙い、射通した矢数を競うものだったそうです
「浮繪和國景跡京都三拾三軒堂之図 画:哥川豊春」(ウイキペディアより拝借)
その競技に使われた軒下をじかに見てきましたが、よくぞまあこんな遠くの標的を射抜くものだなと感心しきり
実際に軒天井に当たらぬよう矢を射抜くことは至難の業であり、通し矢は弓道家の誇りをかけた競技だったそうです
その通し矢は、60mの距離から的を射る大的大会「楊枝のお加持」となり、新年を彩る行事となりました
射手はその年の成人を迎える弓道の有段者と、称号者たちでおこなわれますが
晴れ着をまとった新成人が境内を華やかに彩るのだそうです
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