京都ミステリー紀行・幽霊編
テータイムのあとは豊国神社に参拝
ここは写真の秀吉像の後ろにある国宝に指定された檜皮葺きの唐門がメイン
唐門の前には今晩の大晦日、明日の元日に備えて京都芸術大学の学生さんが製作したと言う、どことなくアニメチックな干支の飾り付けがありました
豊国神社では後程、御朱印を賜りました
「寿比南山 福如東海」と書かれていますが
これは中国語の漢詩「福如東海長流水 寿比南山不老松」の短縮形で長寿を願う詩なんだそうです
それより私が見たかったのは、豊国神社に隣接する方広寺の鐘
もちろんガイドツアーも心得ていて、連れて行ってくれました
ここの鐘楼の天井画は風雨にさらされているためか痛みは有るものの描かれていた画は素晴らしかった
それは極楽浄土に住み、美しい声で鳴くと言われていて、仏典にも登場する想像上の鳥「迦陵頻伽」
上半身は人間、下半身が鳥の姿で表現されていました
さてタイトルにも書かせていただいた噂の鐘
中学あたりの日本史で習った、大坂冬の陣・夏の陣の原因とされ結果、豊臣家が滅亡することとなった銘文が刻まれた鐘です
高さ4.12m、重さ:82.7tの大鐘は日本三大梵鐘にも数えられています
その豊臣家が滅亡することとなった原因となる、方広寺鐘銘事件の元になった銘文「国家安康・君臣豊楽」
林羅山という僧形はこれを「家康の名を二分して国安らかに、豊臣を君として子孫繁栄を楽しむ」と読み解けると指摘
銘文に家康呪詛の意図があると断言し、徳川との最終決戦への備えを始めるきっかけとなりました
歴史を動かしたその鐘に掘られた文字、白くそれが判るように囲われていますが、それは近づいても望遠レンズを使ってようやく読める程度の小さな文字でした
そんな文字を実際に見た感想は、こんなものでよくぞまぁ、あれだけのイチャモンを付け豊臣家を滅ぼしたものと、思わずにはいられませんでした
まぁそんなイチャモンを考えた林羅山は3代将軍・徳川家光(秀忠の長男)の侍講となり、さらに幕府政治に深く関与していくことになったそうですが
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