京都ミステリー紀行・幽霊編は鴨川を渡り塩小路通りを歩いて三十三間堂・南大門へ
ガイドツアーでは三十三間堂内部には入りませんが
説明を受けたのはこの土壁
なにやら豊臣秀吉(太閤)によって寄進されたことから太閤塀というのだそうですが、これまた豊臣秀頼によって建立された南大門とならび国の重要文化財に指定されています
この日は拝観者が多く、南大門側の駐車場も解放されていたようで
普段なら閉まってるはずの南大門側の入り口が警備員の誘導はありましたが開いていました
本来なら三十三間堂境内は拝観料を払わねば入れませんがラッキーでした
そんなわけで本堂をさくっと撮影させていただきます
続いてガイドツアーは三十三間堂、向かいにある法往寺へ
小さな寺ですが、その敷地は広大です
それもそのはず、この法往寺はあの後白河法皇が院政の拠点にした寺で
豪華絢爛な千体千手観音立像が安置されているがある蓮華王院本堂はこの寺の向かい
三十三間堂の蓮華王院はそもそもこの広大な法往寺殿の一画にすぎないんだそうです
本堂に祀られているのは慈覚大師 円仁作といわれるご本尊、不動明王
通称、身代わり不動と呼ばれています
そのわけは1182年に木曽義仲による軍事クーデターが起きた際に、法住寺殿は攻め入られ後白河法皇にも矢が飛ぶような状況なったそうですが、大僧正が身代わりとなり難を逃れたのがゆえんだそうです
ちなみに吉良邸討ち入り前の大石内蔵助も、ここ法住寺にある身代わり不動尊に仇討ちを祈願したのだそうです
山門には菊の花の中心に「三つ巴」がある
『菊花心に三つ巴』といった家紋が見てとれました
この法往寺は江戸時代末期まで「後白河上皇」の御陵を守る寺として存続しましたが
後白河天皇陵である「法華堂」は法往寺の脇から入ったところにあるのだそうです
コメントする