比叡山延暦寺で見かけた変なお坊さん

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比叡山延暦寺で変なお坊さん発見
それがこのゆるキャラ「しょうぐうさん」
なかなか愛らしい着ぐるみですね
普段は「一隅を照らす運動」の輪を広げるために全国各地を飛びまわっているのだそうですが
私が延暦寺を訪れた際はこうして参拝客と記念撮影のサービスを行っていました
 

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さてこのblogを続けてお読みの方には何か変と思われる方もいらっしゃるかもしれません
というもの京都の西の果てである嵐山を観光していたはずが
今度は真逆ともいうべき東の果て、京都の隣、滋賀県にある比叡山延暦寺へやってきたからです
まぁツアーなんかじゃこんなバカな事はしないでしょうけど、双方訪れたかったんですから仕方ありません
しかも交通手段として京都バスが本数は少ないものの京都駅から直通便があり、1時間少々でたどり着きます
乗り継ぎ等を考慮するとこちらが便利、しかも比叡山ロープウェイは結構なお値段という事でバスしたというものあるが
  

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そんなコスパの良い京都バスで向かいましたが、道中の比叡山ドライブウェイの展望スポット「夢見が丘」では、大津市街とびわ湖を一望といった眺望を車窓でしたが見せてくれました
 

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標高848mの比叡山全域を境内とする寺院、天台宗の総本山「比叡山延暦寺」
平成6年にはユネスコ世界文化遺産に登録されています
ちなみに「延暦寺」とは単独の堂宇の名称ではなく、比叡山の山上から東麓にかけて位置する「延暦寺」とは単独の堂宇の名称ではなく、比叡山の山上から東麓にかけて位置する東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)などの区域(これらを総称して「三塔十六谷」と称する)に所在する150ほどの堂塔の総称である、西塔、横川などの区域に所在する150ほどの堂塔の総称である
ここでの所要時間は1時間ほどを予定しているのでとてもすべてを回るわけにはいきません
今回は「東塔地区」を巡る事に
という事でまずはバスセンターから歩いて最初に目にするお堂「大講堂」から
ここは僧侶が法華経の講義を聞いたり、お互いに問答をして勉強する学問修行の道場
昭和31年の火災で焼失したものの、昭和36年に山麓にあった「讃仏堂」を解体、移築、再建されたものなんだそうです
 

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続いて訪れたのが延暦寺最大の仏堂であり、延暦寺の総本堂にあたる「根本中堂」
建物は国宝に、廻廊は国重要文化財に指定されている歴史的名所です
説教くださったお坊さんお話だと、延暦25年(806)の開基以来、消えることなく守られてきた「不滅の法灯」なるものがるのだとか
  

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残念ながら私が伺った時は、根本中堂は屋根の葺き替え工事中で外観は拝めませんでした
まぁ珍しいところから珍しいものが見れたとも言えますが
  

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当然ここでも御朱印(スタンプラリー)を賜りますが
ここでは久しぶりに御朱印帳に「醫王殿」と書いてもらいました
ちなみに醫王(医王)とは薬師如来さまのことを指します
 

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根本中堂から急な石段を昇りやってきたのが
比叡山の総門の役目を果たす重要な楼門「文殊楼」
文殊楼は、延暦寺の山門にあたる建物で、知恵を司るといわれる文殊菩薩がまつられています
文殊菩薩がまつられていて、受験生の合格祈願に人気があるとのこと
てなわけで文殊楼の壁には絵馬がたくさん掛けられていました
 

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次はありがたいお堂「大黒堂」
日本においては最澄が毘沙門天・弁才天と合体した三面大黒を比叡山延暦寺の台所の守護神として祀ったのが始まりとされ
日本の大黒天信仰の発祥の地とされるのが、この「大黒堂」
本尊の大黒天は、豊臣秀吉が祈願し出世したことから「三面出世大黒天」と呼ばれているそうです
 

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そして迷った挙句にたどり着いたのが
比叡山延暦寺の中心「法華総持院東塔」
 

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「阿弥陀堂」
 


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「戒壇院」
 

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こんな感じで1時間余り比叡山延暦寺東塔地区を巡りましたが
私が驚いたのが、ここ比叡山に「天海大僧正」が祀られている事でした
と言うのも『本能寺の変』、首謀者の明智光秀が生きていて天海僧正となり、徳川家康から家光まで三代の将軍に仕えたとされる説があり、まぁ私はこの説を信じているのですが
もしそうなら比叡山を焼き討ちした張本人である明智光秀(天海大僧正)がここに祀られていると思ったからでした
 

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このページは、r-ohtaniが2022年7月12日 05:43に書いた記事です。

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