2019年から導入された大型映像装置「オーロラビジョン」の真下にきています
そう甲子園球場のグラウンドを一望できるバックスクリーンにも甲子園歴史館の入場券で入ることが出来ました
ちなみに甲子園という名前は、十干十二支の組み合わせである「甲子」にちなんで名付けられたもの
阪神甲子園球場が完成した1924年が、ちょうどその年だったからだそうです
バックスクリーンビューで望む甲子園球場
芝が青々して清々しいですね
先ほど阪神タイガースブースや高校野球ゾーンで見た
甲子園を舞台に名勝負、名シーンの数々が生まれのだと感慨深く眺めてきました
バックスクリーンからの帰り道、その名の通りの「バックスクリーンウオーク」の一角で
野球殿堂入り表彰レリーフに「呉 昌征」の名を見つけました
レリーフには
「無類の快脚と強肩で人気を博し「人間機関車」と呼ばれた名外・野手
台湾嘉儀農林の投手 外野手で春夏の甲子園大会に4度の出場を果たしファンを沸かせた
昭和12年に巨人に入団 最高殊勲選手1回 2年連続首位打者
阪神に移籍した19年には盗塁王を獲得した(ここ重要ですね)
さらに21年には投手も務めノーヒットノランの快挙を遂げた
25年毎日に移り初の実働20年を記録した」
とありました
そうあの台湾映画「KANO-カノ-1931海の向こうの甲子園」にも「アキラ」の名で出ていた主役級の選手
映画後の話もテロップで少しばかり流れていましたが、プロに入ってからも野球殿堂入りと言うのがうなずける活躍をしていたのですね
そんな台湾嘉儀農林のここ甲子園での実績の一つがこのトーナメント表
昭和6年の第17回大会、なんと台湾のチームでありながら決勝まで勝ち上がり準優勝をしています
2回戦では北海道代表の札幌商業(現北海学園札幌高等学校)との対決が有り、当時の日本の北と南の対決が有ったことは映画KANO-カノ-1931海の向こうの甲子園が無ければ全く知るよしもありませんでした
『コレクションギャラリー』では、大正時代の粗末なミットが展示されていたり
間近で見るとかなりデカいカウントボード
2019年に阪神甲子園球場のスコアボードが全面リニューアルした際に
カウントボードも入れ替えられ、以前のものはここに展示されていました
当時のベンチに選手のサインがなされたもの
そして夏の甲子園名物の「かちわり氷」の展示も有りました
砕いた氷を袋に詰め、「かちわり氷」と命名して球場内で売り出してから今年で65周年になるのだそうです
こんな感じで甲子園歴史館を見て回りましたが、予定にもなくふと入り込んだ甲子園歴史館でしたが
思いのほか見ごたえが有りました(しかもリニューアルオープンして一月後くらいの訪問)
次回は日本シリーズでわが日本ハムファイターズと対戦する際にでもまた訪れたいミュージアムとなりました
そうそうこれは甲子園歴史館の話ではありませんが、関西空港からの帰路の便
兵庫県上空で見かけた阪神甲子園球場
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