2020年12月3日に改修工事を終えたばかりの
ユネスコ世界遺産「清水寺」にやってきました
まずは清水寺の正門「仁王門」
一対の狛犬がその仁王門前に建立されていますが、双方共に口を開いた珍しい阿形像です
これは元々金属製の阿吽(開口の阿形像と、口を結んだ吽形像)が有ったのですが、戦争軍事用の金属供出のため徴発されたものを悲しんだ信者団体が寄進したものだそうです
この双方開かれた口に何か寄進者の思いがあるのでしょうか
そして「西門」「三重塔」といった重要文化財を眺めつつ中へ
参道を登っていき、まっすぐ進むと随求堂が見えてきました
胎内めぐりを体験できるそうですが、混雑する前に本堂に伺いたいので足早に進みます
ということでやってきた、音羽山の断崖に建つ清水寺の本堂
寄せ棟造り、檜皮葺、寝殿造り風の優美な建築
この撮影スポットから見るとその壮言さが伝わってきます
1994年にはユネスコ世界文化遺産「古都京都の文化財」のひとつとして登録されました
もう一つの撮影スポットで記念撮影
小さく私が映っています
そうこの清水寺本堂はバカでかいんです
さてその清水寺は延鎮上人を開山、坂上田村麻呂を本願としています
ここであのアテルイを討伐した征夷代将軍 坂上田村麻呂の名が出てきますが
ある意味この清水寺にはそのアテルイ・モレに深くかかわるお寺との話があります
アテルイとモレは蝦夷地の首領と副将であったとされ、征夷大将軍坂上田村麻呂の蝦夷討伐の時に朝廷の侵攻を防いだ名将として知られています
そんなアテルイですが、胆沢(岩手県奥州市)の一部を制圧し城を立て始めると部下500人と副官のモレを引き連れ投降しました
これはこれ以上の交戦は朝廷、蝦夷どちらも少なくない被害を出すとの判断からと言われていわれていて、田村麻呂もアテルイの英断に関心し一目置くようになったのだとか
ところが朝廷の下へ連れていかれたアテルイ・モレは、斬首刑に処されます
そんなアテルイ・モレ等の魂を供養するための石碑もあるのだとか
さて今回大改修を終えた舞台がこれ
舞台の床面積は約190平方メートルで、およそ100畳に相当する広さ
410枚あまりの桧(ヒノキ)板が張られているそうです
古くから雅楽や能、狂言、歌舞伎といった日本の伝統技能が演じら奉納れてきました
舞台は約12メートルの長い樹齢400年以上の欅の大木の束柱を貫で組み合わせて支えられ、断崖上に架かっています
そうこの清水の舞台から地上までの高さはおよそ12メートル
ビルで言うところの4階程度の高さと言ったところでしょうか
よく「清水の舞台から飛び降りる」と比喩されることが有りますが
これは必死の覚悟で実行するという意味や思い切った決断を意味するものと理解していましたが
こまったことにこの舞台から飛び降りると所願成就のときに怪我をせずに済み、もしくは死んで成仏できるといわれ、実際に身を投げる者が絶えなかったそうです
(清水寺の記録「清水寺成就院日記」には現在までに234人が飛び降りたのだそうです)
さてここで参拝を済ませたら、もちろんいつものようにスタンプラリー
いやもとい御朱印を賜りますが
その御朱印には筆字で「大悲閣(観音様(仏像)を安置する建物)」と書かれてれていました
そう今回の京都観光は御朱印集めの旅でもあります
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