この日は朝からレンタカーを駆り神岡町で「ひだ宇宙科学館カミオカラボ」に立ち寄ったあと、今回の旅のテーマである「ワカコ酒スペシャル 飛騨酒蔵めぐり」の聖地巡礼に一環として古川町で酒蔵巡り
ついでにアニメ「君の名は。」のモデルとなった神社で御朱印を賜ったりしましたが
予想したよりもスムーズに回ったおかげで、午後3時には飛騨高山の宿泊するホテルに舞い戻ってきました
という事で時間もあることですし、飛騨高山を街歩き
次は国史跡「高山陣屋」を訪れることに
この高山陣屋、幕末には全国60数ヶ所あったといわれる郡代・代官所のなかで、現存する天領の陣屋としてはこの高山陣屋が唯一無二の存在となる陣屋です
ちなみに高山は「天領」と呼ばれる徳川幕府の直轄領
もともと飛騨高山藩と呼ばれ飛騨3万3千石の領主となった金森氏が6代107年間統治していましたが
6代藩主の金森頼時の時代に突然藩主の金森家は転封(出羽国上山藩へ)され、幕府の直轄領となってしまことに
ということで飛騨高山藩・金森家(第6代藩主・金森頼時がの下屋敷だったものを天領となって陣屋にしたもの
ということで徳川幕府が派遣した代官や郡代が政務を行った陣屋
葵紋が描かれた玄関幕をくぐり中へ
高山陣屋内は土足厳禁、靴を脱いで入ります
さて日本列島のほぼ中央に位置する飛騨
年貢米俵は陣屋に隣接する御蔵に保管されていますが
もともと高山城の三の丸に建てられていた米蔵を1695年に移築したそうで
全国最古、最大規模の米蔵といわれています
とはいえたかが3万3千石しかないこの飛騨高山
なぜ天領地となっったのか?
そのわけは、飛騨の豊富な木材と鉱物資源(金・銀・銅・鉛)と言われていますが、実際には天領地となった幕領時代には、さほど金や銀は採れなかったそうです
私が思うにそのわけは別なところにもありそうです
その話はまた後で
広間の濡縁(ぬれえん)からは役宅の庭園が見て取れます
玄関など正面から見ると小さく見えましたが、奥行きがかなり深い
こうしてみるとかなりの大きさの屋敷のようです
ということで陣屋の案内図
順路も設定されていました
「御用場」
ここは地役人が勤務する事務所です
「湯呑所」
真向き兎の釘隠しの説明書きがここに有りました
その「真向き兎の釘隠し」
奥に見えるのが役所の中枢部「御役所」
ここは幕府から派遣されてきた代官直属の役人(現代でいうキャリア組)が仕事をする部屋とのこと
「勝手」
お茶を入れるための台所です
「座敷」
代官・郡代が客を接待したとされる部屋
「下台所」
畳に縁が有りませんが、これは身分ごとに仕様が決められて
畳や縁の種類により、部屋の格式を表現しているとのこと
台所には部屋のほぼ中央に釜土があり、その周辺で調理ができる様になっています
郡代などの高級役人のとその家族の食事を作った場所のようで、今でいうところの公務員宿舎も兼ねるこの台所では結構な人数の食事を作っていたようです
天井を見上げると板が張っていなく、縦横の柱や梁が丸見えです
「御囲い」
ここは茶室となっていました
「雪隠」と言う名のトイレ
「使者之間」
幕府から派遣された巡見使などが利用したとされる部屋
「寺僧駕籠」というかなり高級な駕籠も展示されていました
時代劇ではよく見る
「御白州」
ここは取り調べを行う場所です
囚人駕籠・責台と抱石が展示されていましたが
江戸時代の取り調べは、自白が重視されていたため自白が得られない場合には厳しい拷問が課される場合もあったようです
御蔵への通路
通路を覆う屋根は特徴的な板葺き屋根
木を薄く剥いで作る榑板を重ねて屋根にしていて板表面の溝が水はけを助ける
材料には、油分を多く含み水をはじく利点を生かしてヒノキ科のネズコが利用されていたのだそう
釘を使わずに板を木の棒と石で押さえる「石置長榑葺」という葺き方が採用され
「板返し」の手法により、5年ごとに上下、裏表と入れ替えることで長持ちさせるのだそうです
蔵の中には
代々金森藩の家臣であった地役人、土屋與四郎高信の鎧が展示されていたり
美濃の銘刀『濃州兼広』
そして江戸時代の鉄砲が展示されています
ただしこれは猟銃のようでした
そして冒頭の話にあった、なぜここが幕府の直轄地となったのかという謎
私が思うにそれが、この黒色火薬の原料となった塩硝(硝酸カリウム)にあるのではないかと思っています
江戸時代に白川郷を中心に生産された塩硝
話が長くなってしまったので、この話はまたあとに続きます
こんな感じで30分あまり
「国史跡高山陣屋」で飛騨の歴史を垣間見てまいりました
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