先般のエントリー、マンガ『ヤマタイカ』の終着点「伊雑宮」で御朱印を賜るで話題にした「卑弥呼天照大神同一人物説」
その邪馬台国の卑弥呼、中国の三国志には登場しますが、日本の歴史書には卑弥呼に関する記載はいっさいありません
何だか疑惑がいっぱい、後世の支配者が何らかの理由で消したのか、もしくは他の人物に名を変え書き換えられたと考えるほうが自然かと思います
おそらくは後者なのでしょう、その邪馬台国の卑弥呼のモデルと考えられる人物については日本の歴史書にも何人かの候補がいて、すべて歴史上に実在しています
その中でも一番有力なのが天照大神とする説(ウィキペディアでも人物比定の欄で紹介されています)
それが「卑弥呼天照大神同一人物説」ですが、天照大神の他にも候補者はいます
その一人に数えられるのが倭姫命
まぁ時代が違う事から支持者は少ない説なんですけどね
皇大神宮別宮月讀宮を参拝した後やってきたのがその倭姫命を祀る皇大神宮別宮「倭姫宮」となりました
倉田山に鎮座する皇大神宮別宮「倭姫宮」
創建は大正12年(1923年)ですが、実は伊勢神宮や他の別宮と比べると、とりわけ若々しいお宮です
他のお宮については創建が不明だったり、わかっていても奈良時代とそんなのばかりですからね
さてここで祀られる倭姫命は第11代垂仁天皇の皇女
伊勢神宮を五十鈴川のほとりの宇治山田に創建された人として知られ
その功績をという事で大正時代にこのお宮は創建されました
伊勢神宮同様に式年遷宮用の用地も隣に有りました
さて先ほど倭姫命が伊勢神宮を五十鈴川のほとりの宇治山田に創建と記載しましたが
何故この宇治山田に創建したのか・・・・・
まぁ場違いな話かもしれませんが、第二次世界大戦末期の1945年
当時敵対するアメリカ軍が「神都」と称され、国家的重要都市であった宇治山田を攻撃することで日本人の戦意を低下させようと伊勢神宮に狙いを定め爆弾投下を行う宇治山田空襲という事案が有りました
宇治山田は3度の大規模な攻撃を受けて市街地の5割を焼失したのにもかかわらず
肝心の伊勢神宮に爆弾は落ちなかったんだそうです
(外宮への着弾は有ったようですが、その被害は軽微なものであったそうです)
なにやら御正宮めがけて落とされた無数の焼夷弾は、なぜか途中からカーブを描き、五十鈴川対岸にある鼓ヶ岳山の方向へ落下していき、内宮には全く被害がなく最後まで無傷だったのだとか
何だか不思議な話ですね
終戦後、マッカーサーが秘密兵器でもあるのではないかと伊勢神宮を調査したのも有名な話です
私が思うに秘密兵器は伊勢神宮にあるのではなく、その地を選んだ倭姫宮だったのではないでしょうか?
そんな思いで参拝してまいりました
参拝のあとは宿衛屋に立ち寄り御朱印を賜ります
御朱印は日付と朱印といった極めてシンプルなものでした
ついでと言っては何ですが、隣接する式年遷宮記念神宮美術館も訪問しましたが
私の興味をそそるものはなく、足早に美術館を後にしました
コメントする