熊野古道中辺路を八咫烏に導かれ歩く

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今回やってきたのは熊野古道の中辺路「大門坂」
その駐車場にはサッカーボールを抱える八咫烏がおりました
このモニュメントは「なでしこジャパン」が
2011のFIFA女子ワールドカップ ドイツ大会優勝
そいてその翌年のロンドンオリンピック女子サッカー準優勝を記念して建てられたものです
 

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さて天候は今一つですが、モニュメントの八咫烏に導かれたことにして
このあと熊野古道の中辺路を大門坂から1時間ばかりかけ登る事にします
 

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鳥居をくぐったあと、振ヶ瀬橋という小さな橋を渡りますが
 

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この橋が俗界と聖域とを振り分ける境の橋
私も何とか俗界から出ることが出来たようです


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橋を渡ってすぐに、夫婦杉に出逢います
高さ35m以上で樹齢はなんと800年
そう熊野古道の歴史は平安時代まで遡るほど古く
和歌山県紀伊半島にある熊野三山を目指すこうした道は道自体がユネスコ世界遺産にも登録されています
ちなみにその昔、南方熊楠が伐採に反対し守り抜いた大樹だったりもします
 

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和歌山県の旧国名である「紀伊国(きいのくに)」は「木国」が転じたとも言われていますが
こんな山林に覆われている和歌山、わかるような気がします
 

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夫婦杉から少し登ったところには
熊野九十九王子の最後の王子跡「多富気王子跡」
ちなみにここでいう王子は神社の事なんだそうです
 

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説明書きの最後には
『・・・・・江戸時代には社殿がありましたが、明治十年に熊野夫須美(ふすみ)神社(現・熊野那智大社)の境内に移され、跡地だけとなりました』とありした
 

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補修跡の有る樹齢800年の楠の大樹
木の洞をふさぐ鉄板が見て取れますが、よく見るとドアが有り鍵がかかっていました
何かが収められているのでしょうね
 

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中間地点あたりでしょうか
大坂門の看板がありますが、ここは道路に面しており
ここからバスに乗る事も可能です
 

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聖地「那智山」へと続く樹齢500年以上の大きな木が並ぶ約640mの石畳
重機もない時代によく整備したな~と考え深くなります
 

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「熊野古道大門坂」と「熊野山旧参道の杉並木」の解説看板
石段は267段で距離は600m程、両側にあった杉並木は132本、入口の夫婦杉はの幹回りは8.5m程、樹高は55m、樹齢約800年などと書かれているが
これは大門坂を登りきったところにあった看板で、私としてはできたらこれ大門坂の入口においてほしかった
 

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ということで熊野古道の中辺路「大門坂」を登り切り
つれもて参道の看板が真上に見えてきました
那智大社はもうすぐ近くのようですが、ここから険しい467段の階段が始まります
 

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このページは、r-ohtaniが2021年12月30日 07:11に書いた記事です。

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