日本には約8万8,000社もの神社があるそうですが、その頂点となる神社それが「伊勢神宮」
内宮手前にある社伝を記した看板にも
『皇大神宮(内宮)
御祭神:天照大御神(あまてらすおおみかみ)
御鎮座:垂仁天皇26年
天照大御神は皇室の御祖神であり、歴代天皇が厚くご崇敬になられています。また私達の総氏神でもあります。 約2,000年前の崇神天皇の御代に皇居をお出になり、各地をめぐられたのち、この五十鈴川のほとりにお鎮まりになりました。 20年に一度の式年遷宮は1,300年余り続けられ、平成25年10月2日に第62回式年遷宮が行われました。』
とあります
ということで外宮参拝の後は、路線バスで移動
いよいよ内宮参拝となります
TV報道などでよく見る宇治橋鳥居をくぐり
五十鈴川に架かる宇治橋を渡り内宮へ
この宇治橋、檜造りで人と神とを結ぶ架け橋
橋の中心は「神の通り道」ということで参拝者は中央を避け右側通行で渡ります
宇治川を渡ったあと玉砂利を敷き詰めた長くて広い参道を進みますが
左右には緑鮮やかな芝生に覆われた松林の日本庭園「神苑」が見て取れます
ゴールデンウィーク最終日でしたが、参拝客も多くはなく良い景観が広がっていました
さらに奥に進み、二之鳥居を過ぎたところに神楽殿がありますが
御朱印は先ほど外宮でいただいたので、いらないと思いここはパスしてしまいました
後程、おかげ横丁でビールを飲んでいた時に御朱印長を確認したところ
「外宮」と「内宮」では、どちらで授かっても同じ御朱印だと勝手に思い込んでいましたが
先ほど授かった外宮の御朱印には「外宮」との記載
あっしまったと思い慌てて内宮に舞い戻りいただいてきたのがこの内宮の御朱印でした
内宮で最初に訪れたのが「滝祭神」
天照大神に願い事を取り次いでくれると言われている便利な神様
「おとりつぎさん」と言われ親しまれる
そんな祭神は瀧祭大神(たきまつりのおおかみ)でした
そしていよいよ御祭神である天照大御神が鎮座する「皇大神宮 板垣南御門」へ
残念ながら白い絹でできた御幌(みとばり)が下がっていて、中を伺い知ることは叶いませんでした
内宮穀倉となる御稲御倉
高床式の切妻屋根、小中学校の教科書で観たそれです
神宮神田で収穫されたイネはこの倉へ納められ、祭祀に合わせて取り出され天照大御神に捧げられるんだそうです
そして「別宮 荒祭宮」へ
ここの御祭神は天照大御神の荒御魂(あまてらすおおみのかみのあらみたま)
最後は「風日祈宮橋」
祭神は、風雨を司る神、級長津彦命(しなつひこのみこと)、級長戸辺命(しなとべのみこと)
この神様が1274年の「文永の役」と1281年の「弘安の役」
いわゆる「元寇の役」において、2度も「大風(その後神風)」を吹かせフビライの10万程の敵と戦った際、多くの敵船団を沈めたとされる「神風伝説」を起こした神様と伝えられています
実際には鎌倉幕府も守りを固めるため海岸に防塁を築いたうえ、武士を博多に集めその武士たちの勇ましい戦いにより善戦し上陸を許さなかったというのが、一番の勝因のようですが・・・
天皇側からすると我々が祈り神風を起こさせたといったほうが、都合がよかったのでしょうね
もっとも海に接しない大陸系の国である元が高麗に建造を命令した軍船
しかももともと高麗には宋や日本のような波を切り裂く造りである船底をV字型とする造船技術はなく、平底の船底の船しか作れないうえ、超がつくような短期工事で用意したケナンチョナ船にも問題が多かったともいわれています
玄界灘を平底の船で往復したら、元や高麗の兵士たちも船酔いに苦しんだのは言うまでもありませんね
まぁそんなことはともかく、キャンプやゴルフの際にそんな天候にならぬようお祈りしてまいりました
さてお土産ってわけでは有りませんが、ここ内宮神楽殿で「天照大御神」のお札(写真右)を購入
通常神社で授かる札(写真左)よりも少し大きめですが、なんとか我が家の神棚にも収まりました
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