さて満を持して向かったお伊勢まいり
伊勢神宮参拝は「外宮先祭」古くからの習わしに従い外宮から始めます
まずは火除橋を渡って外宮内へ
参拝前にまずは入り口の近くにある手水舎で参拝前に心身を清めるのが通例ですが
残念ながら柄杓を使った御手水は感染の危険のあることから遠慮してほしい旨の看板が有りました
まぁこんな時期ですから仕方ありません
心身の罪穢れを手水舎で祓い清めてからと思いましたが今このような状況の中では難しいようです
神聖な雰囲気の境内
参道に敷き詰められた玉砂利を踏みしめ境内の奥へ
身も心も引き締まる思いがします
さてここ伊勢神宮外宮では御朱印を授かるのもここを訪れた理由の一つ
御朱印は参拝が終わってからにしようと思いましたが
神楽殿授与所を見ると人の並ぶ姿もないので、先に御朱印を授かることとにしました
ということで外宮で授かった御朱印がコレ
シンプルイズベストな御朱印でした
もっともここ伊勢神宮の正式名称は地名(伊勢)を冠しない「神宮」ですからこれが正式なんでしょうね
まずは外宮のメイン正宮たる「豊受大神宮」へ
ここに祀られるのは天照大御神の食事を司る「豊受大御神(とようけのおおみかみ)」が鎮座する社です
実はこの豊受大御神、あの「丹波国風土記逸文」奈具社の縁起羽衣伝説の天女の一人とされる「豊宇賀能売」と同一神としてみられる説があるそうです
豊受大御神は丹波の国から天照大御神の指名を受けて、伊勢に遷宮したそうですが
万病に聞く霊酒の作っていた豊宇賀能売と同一神だとすると、天照大御神がご指名したのもわからないわけではありません
何だか医食同源を地で行くような神様だったようです
正宮は、「正殿」「西宝殿」「東宝殿」と3つからなるそうですが、拝所正面には幕が有り(写真撮影禁止)直接見ることはできないうえ
幾重に板垣が巡らされており、その全容はこの目で見ることは叶いませんでした
正宮の隣には次の神宮式年遷宮の際に正宮が建てられる御敷地(みしきち)を見ることが出来ます
(つまりは前回の式年遷宮の時に正宮が置かれていた土地)
さてその神宮式年遷宮、20年に一度莫大な予算(2013年式年遷宮は500億円程)をかけ建て替えるのだそうです
飛鳥時代に天武天皇が定めたものらしいのですが、建物の老朽化を考え20年に一度の建て替えが妥当だとか、宮大工職人の次の世代への技術伝承には20年くらいの間隔が限界だとかいろいろと言われているようです
まぁ現代でも20歳も年が違うと、ジェンダーギャップでなかなか言葉が通じ合えないなんて話もよく聞きますからね
次の式年遷宮は2033年、それまで私の寿命が持つかわかりませんが、その際は式年遷宮後に再度訪れたいものです
正宮から程ないところにしめ縄で結界が張ってある「三ツ石」と呼ばれる石がありました
軽く見られそうですが、正式名称は「河原祓所」といった重要な祭典に用いる場所
そう式年遷宮が行われるときにここでお祓いをするんだそうです
パワースポットとして手をかざす人がいるそうですが、失礼な行為だそうなのでお参りするのみといたします
続いて「亀石」と呼ばれる一枚岩で出来た石の橋
この石は、三重県下最大の横穴式古墳「高倉山古墳」の入口の石だったと伝えられている貴重なものなんだそうです
ただ何度見ても私には亀の形には見えませんでした
続いて98段の石階を登りたどり着いた「多賀宮(たかのみや)」
奉幣の儀には正宮同様に天皇陛下のお使いの勅使が参向し、式年遷宮も正宮と同じ年に執り行われるなど、重んじられている別宮で、外宮にある4つの別宮のうちでは第一に位している社だそうです
御祭神は、豊受大神荒御魂(とようけおおかみのあらみたま)
外宮最後は境内の南側一番奥にある社で、外宮にある別宮の中では一番大きな別宮
祭神は外宮がある土地の地主の神である大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)
最後に「清盛楠」にも参拝
この大樹、外宮の表参道沿いに佇む大楠で、平清盛が勅使として参向したとき、木の枝が冠に触れたために、西側の枝を切らせたという言い伝えにより、この名で呼ばれているんだそうです
樹齢は1000年に近いといわれ、二本あるように見えますが実は一株の大樹です
こんな感じでまずは伊勢神宮の外宮を参拝
次はバスに乗り内宮に向かいます
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