海難1890を見て(泣いて)きました

| コメント(0)


 

トルコの親日ぶりを知ったのは今から13年前
2002年日韓ワールドカップの時
TVで見たちょっと違和感のあるインタビューが発端でした
トルコのレプリカユニフォームを着てトルコの応援に向かう日本人の一団を捕えインタビューするのですが
インタビューされたのは串本町の方々で、その代表の方が(町長だったような?)インタビューワーに向かって
「今日私日本国民皆から袋叩きに遭ってでもトルコの応援する」といったことをマイクに向かって話していました
TVではなぜ日本人なの日本を応援しないんだとばかりに非難していましたが、その言葉には何か信念に満ちたものが感じられました・・・・これは何かあるな〜と感じ、いろいる調べることからすべては始まりました

そしてなるほどと言わせる事実にぶち当たったんです
調べれば調べるほど涙腺がもろくなるそんなお話でした
なぜ日本のマスコミはこういった事実をきちんと伝え解説しないのか
ちょっと憤慨した記憶があります

そしてそれが2008年に本にまでなった
"東の太陽、西の新月 日本・トルコ友好秘話「エルトゥールル号」事件"
 

41TVVeeZqYL._SS500_.jpg
 

本になっただけでも、すごいと思っていましたが
何と今年、映画にまでなってしまいました
「海難1890」
早速見に行って泣いてきました
見にったのは札幌シネマフロンティア


kainan1890-02.JPG
 

ここも席はWeb予約が効くので大変助かります
見に来られた感じもどちらかと言うと年輩の方が多かったように感じました
この映画はハンカチ必衰
前述の本の通りやってしまうと週一のTVドラマくらいになってしまうのでかなり端折ってましたがなかなかの感動モノでした
これまたネタバレしたくはないので映画の話はこれぐらいにて

ただ映画のテロップが終わった後
トルコ大統領レジェップ・タイイップ・エルドアンの一言がありますのでこれは聞き漏らさないように
 

kainan1890-01.JPG


ちなみにこの2002日韓ワールドカップ日本対トルコの試合後、トルコのプレイヤーたちは突然整列しましたそしてスタンドを埋め尽くす日本人サポーターたちに深々とお辞儀をします
そのうえトルコから来られたサポーターたちも日本ありがとうの横断幕を掲げてたんです(写真の日本大好きもありましたね)
これは1999年に起きたトルコ大地震の復興援助もありますがそれだけではないようです

今から思えばいろいろな感情が渦巻いた2002年日韓ワールドカゥプ
2chを代表とするネット社会でサイレントマジョリティが動き出し始めた
そんな何かの起点になった大会のように感じます
当時私はこんな大会いらなかったのではと思っていましたが、この大会で目覚めた方も多かったように感じます
 

33d3f0d8bb3c54bcd54bcb5f7448bbd8.jpg
 

私もそんなトルコ
カッパドキアの遺跡もあることですしいつか訪れたいものです

コメントする

カテゴリ

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 7.7.1

この記事について

このページは、r-ohtaniが2015年12月27日 13:26に書いた記事です。

ひとつ前の記事は「サッポロファクトリーのクリスマスツリー」です。

次の記事は「ちょっと疲れがたまったので「りらく」でマッサージ」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。