複数の国や地域が一緒に出展する合同パビリオン「コモンズ館」
A~Fまで6棟あり、基本的に予約なしで入館可能
まぁパビリオン一つ建てるのにも多額の資金が必要なうえ半年したら壊すんでしょうから
資金力はないが是非とも大阪関西万博には参加したいという国にとっては濡れ手で粟のパビリオンなのでしょう
それと客目線でも人気のパビリオンは予約が取れないうえ4~5時間並ぶといった状況ですから
混んではいるがすぐには入れて海外を実感できるコモンズ館は成功だったのではと思えました
大阪関西万博では親日国のパビリオンを巡ろうと心に決めていましたが
まず最初に訪れたのがそんなコモンズ館Aに構えるミクロネシア地域の西部に位置する、約340の島々からなる国「パラオ」のブース
「未来に力を与える。文化遺産を守る。」 友好の歴史を紹介 世界遺産「ロックアイランド」といったテーマが掲げられていました
さてそんな親日国パラオですが
第一次大戦において連合国として参戦した日本はドイツ領であったパラオをパリ講和会議に措いて委任統治を認められ統治下におきます
そんな日本統治下において、パラオは漁業、農業、鉱業の分野で目覚ましい発展を遂げることとなりました
学校を作るなどインフラも整備され、パラオの方々はしだいに日本に信頼を寄せるようになり
太平洋戦争終結でその日本統治が終わった後も日本を慕ってくれる、いわゆる親日国の一つとなりました
そんなパラオ共和国は1994年に独立、上下の写真にある海を表す青地に月を表す黄色い丸が配置されたまるで日の丸を思わせる国旗がデザインされました
そんな日本統治の影響もありシャシン(写真)やデンキ(電気)などの日本語がパラオ語にもなっているそうです
以前はJALの直行便があったそうですが廃止され、伺うには一苦労しそうですが最近ユナイテットの日本からの直行便が開設されたとの事なので訪問したい国NO1の国となっています
そんなパネルの写真には、パラオに行ったら是非とも見てみたい
日本・パラオ友好の橋(Japan-Palau Friendship Bridge)の写真がありました
この橋はパラオ国際空港のあるバベルダオブ島と、人口が最多で経済の中心地であるコロール島を結ぶ、全長412.7m、主塔高さ41m、幅10mの橋で、2002年1月に開通して以来パラオの最も重要な交通インフラとして利用されています
というのも1977年に韓国の建設会社であるSOCIOにより架橋された旧コロール・バベルダオブ橋でしたが、1996年にが突然崩壊し、交通・水・電気・通信が寸断され、パラオの経済社会に著しい影響が生じたことから
日本の政府開発援助 (ODA) によって2002年1月に鹿島建設により再建しています
ちなみに崩壊した旧コロール・バベルダオブ橋の当時の入札には鹿島建設が参加入札しましたが、韓国のSOCIOは鹿島の半額で落札していたのだとか
こうした背景もありこの橋は日本のパラオに対する支援のシンボルとなっていることから
一度伺ってこの目で見たいと思っています
そんな経緯がYoutubeにありましたのでここに貼っておきます
【ゆっくり解説】パラオとの友情の証「日本・パラオ友好の橋」
さてパラオといえば太平洋戦争における激戦の地
特に飛行場のあったペリリュー島ではアメリカ軍の絶対的な軍事力で島を制圧にきたのですが
当初の計画では4日で攻略する予定を、500以上の洞窟・地下壕を坑道で連結するなど日本軍の組織的なゲリラ戦で対抗
最終的にアメリカ軍は追加の軍を派兵せざるをえなくなりました
そんな軍を追加派兵してもなお制圧に2ヶ月半を要することとなったそうです
ペリリューや硫黄島でのこうした末期日本軍の「地下陣地」戦術マニアルは戦後アメリカ軍が入手
なぜかそれが冷戦時代にソビエト連邦にわたり、フルシチョフと親密な関係にあったベトナムのホーチミンが手にしてアメリカとの戦いに備えたという噂が流布しています
たしかにベトナム・ホーチミン軍はベトナム戦争においてそんなアメリカが一番嫌がる戦い方をしましたね
ここパラオのブースに貼られていた『ペリリュー 楽園のゲルニカ』のポスター
アニメ映画公開を記念して貼られているようですが
原作は私の愛読マンガ『ペリリュー 楽園のゲルニカ』武田一義著
親しみやすい三頭身のキャラクターが前述の戦いにおいて戦場の悲惨な現実に直面していくさまが描かれている名著です
映画の公開は終戦80年の節目である今年12月5日
今から楽しみにしています
パラオのブースには
こんなパラオ諸島の本島に関する「兵要地誌資料図」も展示されていました
よく見ると←で上陸適地と指定されている海岸線の記載があり、当時の機密性がうかがい知れますね
(そしてそんな機密文書をパラオが手にしているのも興味があります)

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