大関のアンテナショップ「甘辛の関寿庵」で数杯試飲した後は
そういや~阪神甲子園球場ってこのあたりだった事を思い出し歩いて向かう事に
さてたどり着いた甲子園球場ですが、私のイメージしていた甲子園球場は何といっても球場壁面の赤レンガを覆う「蔦」
実際に現物を見た私の印象は思ったよりもショボいというのが第一印象でした
というのも2006年に甲子園球場はリニューアル工事に伴ってその蔦は一度伐採されていたんです
私のイメージしていた甲子園球場の外壁を覆っていた名物の蔦が植栽されたのは1924年
その後80年以上の年月を経て共住全体を覆ったものだったんですね
(以前の蔦はなかに蛇が住んでいるとも言われるくらいふさふさだったようです)
現在の蔦の植栽がスタートしたのは2009年から全体覆うのにあと数年はかかるのだそうです
そうそう球場に入る前に
球場に隣接する「甲子園素盞嗚神社」に立ち寄りましたが、残念ながら御朱印を賜るには時間が少し遅すぎました
まぁこれは次回の楽しみという事で
甲子園球場外周を歩いて見かけた案内看板につられて訪れたのが「甲子園歴史館」
これが大正解、見どころのある施設でした
しかも私どもが伺う1月少し前にリニューアルオープンしたばかり
玄関前のある高さ約15メートルの野球塔の奥に甲子園歴史館の甲子園プラスが見て取れました
この甲子園歴史館、2022年3月に甲子園プラスが増築され
展示スペースが1.25倍となりリニューアルオープンした
阪神タイガースや阪神甲子園球場などの歴史を一堂に集めた展示施設
以前は甲子園球場の外周16号門横にあった入口はこの2階の甲子園プラスに移されていました
(ちなみに看板は以前のままだったようで、この入口を見つけるのに随分苦労しました)
まずはタイガースの歴史を知れる「阪神タイガースゾーン」から
コースとは順序が前後しますが
「大阪タイガース誕生 1935~1945」
「ダイナマイト打線 1946~1958」
そして1985年に日本シリーズを制したペナントも展示
その1985年は打撃三冠王のランディ・バースを先頭に真弓明信、掛布雅之、岡田彰布らの猛打で
ペナントレースを74勝49敗7分といった成績でセリーグの覇者となりました
あの阪神タイガースファンがいまだに語り継ぐ巨人の槙原寛己投手が6球を投じる間に3者連続でバックスクリーンおよびその左へ本塁打を打ったという出来事「バックスクリーン3連発」があったシーズンです
その後迎えた日本シリーズでは「管理野球」を標榜する広岡西武に対し
この年防御率1位の工藤公康を始め東尾修、松沼博久、高橋直樹、渡辺久信投手陣を要する西武との対決もなんのその
4勝2敗の成績で日本一となっています
その1985年から阪神タイガースは低迷
2003年になってようやく18年ぶりにリーグ優勝に輝いたシーズン
2年目の星野監督の元で断行された「血の入れ替え」によって1/3以上の26人の選手を大きく入れ替えセ・リーグ優勝をぶっちぎりで決めた年でもありました
そして往年の阪神タイガースの選手たちの展示などが有ります
例えば「投げる精密機械」と称えられ、金田正一、米田哲也に次ぐ日本プロ野球歴代3位の320勝をあげた「小山 正明」や
温厚で「仏のゴロー」と呼ばれ、皆に愛された。酒豪で鳴らし、田淵幸一や川藤幸三もよく連れられ飲んでは打ち、打っては飲んだ「遠井吾郎」
阪神一筋19年、通算2064安打の「藤田平」
伝説の左腕「江夏豊」
その相棒というか『 がんばれ!! タブチくん!! 』のモデルとして有名な「田淵幸一」
昭和54年、あの「江川騒動」で巨人から阪神にやってきた「小林繁」などの展示がなされていました
80年代後半から、長らく「暗黒時代」を迎えていた阪神タイガースにあって
1992年に亀山努と新庄剛志の「亀新コンビ」などの活躍により、阪神ファンを熱狂させた
その一人「新庄剛志」
そう北海道人にとって今話題の「ビッグボス」たる新庄剛志の往年の姿がここ甲子園歴史館「阪神タイガースゾーン」の展示物の一角に有りました
その新庄剛志が記憶に残るスーパースターとしてこの甲子園歴史館「阪神タイガースゾーン」で紹介されていますが、若し日の新庄ビックボスはまぶしいほど輝いていました
次は甲子園歴史館「高校野球ゾーン」へ
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