洞爺丸慰霊碑にて犠牲者並びに近藤船長に黙祷

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トラピスト修道院から函館へ戻る道中
松前国道の海岸の向こうに函館山がまるで孤島のように佇んでいました


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そんな松前国道には多くの遺体が打ち上げられた上磯町七重浜に
1954年に起きた国内最悪の海難事故「洞爺丸事故」を弔うための
洞爺丸慰霊碑が建立されています
朝方青函連絡船記念館摩周丸のボランティアガイドによる船内ガイドツアーで説明を受けてここはどうしても哀悼の意を表したく立ち寄らせていただきました

 

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その洞爺丸事故は、1954年9月26日に青函航路で台風第15号により起こった、日本国有鉄道(国鉄)の青函連絡船洞爺丸が沈没した海難事故である。死者・行方不明者あわせて1155人[注 1]に及ぶ、日本海難史上最大の惨事となった。 (ウィキペデイアより拝借)
この事件の影響で青函トンネルを推し進める世論が強まり、現在の北海道新幹線開通へとつながっていきます・・・・
 

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その陰で
責任の大半を引き受けることとなった洞爺丸の近藤平市船長
現在のように気象衛星で台風の進路を予測出来ないそんな時代に責任のすべては自分にあると最後まで乗客の救助に一命を掛け最後の時を過ごします
被災当時乗務員から渡された救命具を「ありがとう」と言って、受け取らなかったと生き残った乗務員からの証言で分かっていますが
その近藤平市船長、双眼鏡を肩に救命胴衣をつけず一週間後に発見されたんだそうです
当時の犠牲者に哀悼の意を表するとともにその近藤船長に敬意を表させていただきました

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このページは、r-ohtaniが2019年2月12日 20:29に書いた記事です。

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