アルファロメオ歴史博物館「Time Line(時系列)」でアルファの名車を眺めた後
フロアを下りて次に向かったのが
「Beauty(美しさ)」という名のフロア
「アルファ ロメオに乗る。 それは美学と哲学を羽織ること」と言わしめる世界がここにありました
ここでまず気になったモデルがこの
『A.L.F.A. 40/60HP エアロダイナミカ・プロトタイプ 1913年製』
40-60HPというモデルにカスターニャ製の空力ボディを載せて時速139キロを出したんだとか
『モントリオール 1970年製』
1967年にプロトタイプがモントリオール万博に出展されたことからこの名がつけられたそうですが
そういえばエントランスにそのモデルが飾られていましたね
『アルファスッド 1971年製』
その名にもなった「スッド(イタリアで南を意味する)」はイタリア政府が失業者対策として南イタリアのナポリ近郊、ポミリャーノ・ダルコの工場で製作された車という意味ですが
この政策がアルファロメオのその後の経営に大きく圧し掛かることとなりました
というのもミラノやトリノのある「ノルド(北)」と比べラテン気質のスッド(南)は労働者のスキルも低いうえ労働争議も数多く発生し
この「アルファスッド」の生産がアルファロメオブランドの信用低下・経営悪化の直接の原因となってしまったというわけです
FIAT傘下としてアルファロメオの名は残りましたが残念な話ですね
『164 3.0i V6 1987年製』
ピニンファリーナ時代のエンリコ・フミアがデザインしたモデルですが、なんだか日本にも似たようなモデルが有りましたね
ちなみにこのモデル、アルファロメオには珍しく駆動方式はFF
お気づきかもしれませんが、そうもうこの時代はアルファロメオはFIAT傘下となっていました
そんなFIAT傘下となる前
アルファロメオ独自としては最後の気概を感じさせるモデルが生産されます
それが『Alfa 75 1985年製』
最後の自社設計による後輪駆動車でジュリエッタ(二代目)の後継車となるモデルですが、経営破綻寸前だったにもかかわらずなんと36万台も売れたんだそうです
アルファロメオが商業的に最も成功したモデル
『アルファ156 1997年製』
このモデルの後継車には欧州の新排ガス規制をクリアするため、なんと三菱自動車のGDIエンジンのパテントを使った直噴エンジンJTSに換装したモデルまでありました
車の隣にあったのはそんなGDIのパテントで造られたエンジンではありませんでした
ここにあったのは250馬力を発生するアルファ156 GTAに搭載された3.2リッターV6エンジンでしょうか
シリンダーヘッドカバーに刻まれた「ALFA ROMEO」の文字が誇らしげです
さてここでようやくアルファらしい車に出会います
それがアルファロメオの最高級スポーツクーペともいうべき
『8C コンペティツィオーネ(Conpetizione) 2007年製』
アルファロメオ伝統の背番号ともいうべき「8C」と継ぐマシンとして作られた
2シーターFRクーペ
スポーツカーらしく6速セミATの「Qセレクト」が搭載されています
ヒップラインも美しくまさしくアルファな一台です
ちなみにこの車、当時2,500万円もしたそうですが、日本では発売当日にはすでに売れ切れていたとか
日本は不景気、不景気とマスコミは言うけれどいったいどこが不景気なのでしょう
ちなみに量産型であってもこの車、全世界500台の限定生産だったそうです
美しいと言えば忘れてならないのが
『1900 C52ディスコボランテ 1952年製』
その名の通り空飛ぶ円盤を彷彿させるこのモデル
美しいフォルムの車で空気抵抗を減らしたこのデザインの車は最高速度220km/hを出したのだとか
さてまだまだ紹介したい車は有るのですが
話が長くなってしまうのでこの辺でその1として終了
その2に続きます
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