さてまたお話をバリ島旅行へ戻します
成田からジャカルタへは約8時間と長時間のフライト
JALスイートがあまりにも快適だったためか、8時間と言う時間を感じさせずにあっという間にジャカルタのスカルノ・ハッタ国際空港へ辿り着いてしまいました
到着前にリラクシングウエアから搭乗の際に着ていた衣服に着替えますが、シャツに袖を通すとなんか違和感を感じました
その違和感と言うのがシャツにアイロンがかかっていたためでした
どうやら搭乗中にシャツにアイロンをかけてくれたようです
流石はファーストクラスといったところでしょうか
ファーストクラスですのでいの一番に機外へ出て、写真でよく見る長い通路を歩き
到着査証代として25米ドルを支払い、イミグレへ向かいます
気温は30度を超えるうえ湿度も高く
まるで体にまとわりつくようなそんな感じです
いや〜この感じ・・・・南国に来たのだと実感させます
さてこのスカルノ・ハッタ国際空港
「独立宣言書」に署名した初代大統領スカルノと同副大統領モハマッド・ハッタの名からとられた(ウィキペディアより)
そうですが、スカルノ大統領と言ってまず思い出すのが、その第3夫人デヴィ夫人(旧名:根本 七保子氏)
その美貌と教養から東洋の真珠、社交界の華などと呼ばれ、まさに昭和のシンデレレストーリーとも思えますが、その反面
深田祐介著『神鷲(ガルーダ)商人』や
梶山 季之著『生贄』
などの小説の モデルに書かれているとおり壮絶な一面もあります
その内容はと言うと日本の戦後の裏の歴史
デヴィ夫人のモデルとなった主人公と大統領の関係がアルネシアの賠償間題を有利に解決するため、政商や総会屋、政治家たちが暗躍し、”生贄”として献上されたという話だそうです
この本はあまりにもリアリティがあったためか、裁判沙汰になり出版禁止され闇に葬られているようです
もっとも赤坂のクラプで働く定時制高校を中退のホステスが、国賓のティーパーティに誘われ、流暢な英語で会話しスカルノ大統領に見初められたという話が昭和30年代に本当にあったかどうかというのは常識的にかなり厳しい
いうなれば日本版ハニートラップ?があったのではと思わずにはいられません
ただウィキペディアにあるとおり
「日本への資源輸出などに積極的に関わった。当時の池田勇人首相とスカルノをつなぐ仲介役を務めたという」
日本が第二次世界大戦中インドネシアに進駐した理由に資源確保があり、いまでも日本はインドネシアからの輸入にかなり頼っているということを考えると
ありえない話ではないですね
それにこのあとバリ島に行き、行きかう車やスクーターのほとんどが日本車であり、現地の人から直に日本製品のクオリティの高さを聞かされると、その功績は余りにも大きいのではと今回の旅で実感いたしました
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