赤い稲妻

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ブルーインパルス(青い衝撃)の次は赤い稲妻のお話

道産子ランナー福島千里選手
北京オリンピックの陸上女子100mと1600mリレーに出場する
特に100mは1952年ヘルシンキ五輪の吉川綾子選手以来とか

56年ぶりと聞いて思い出したのが、日本初の女性メダリスト人見絹枝選手です
でもよく考えると戦前の事なので年数が合わない、勘違いでした
実際は前述の吉川綾子選手とのことです
ところで思い出したついでですが人見絹枝選手が出場したのは80年前のアムステルダムオリンピック
文才もあった彼女は自伝を数冊書かれていて、そのうち「スパイクの跡・ゴールに入る」を元にNHKの「その時歴史は動いた」でアムステルダムオリンピックでの苦難やその後を紹介しておりました
太ももを露わに女性が競技にでることすらさげすまれた時代、競技者としての鍛錬は勿論、講演活動や後進の指導などにも忙殺される毎日だったようだ

チェコのプラハにはそんな人見絹枝選手の功績をたたえた石碑がある
碑文には「愛の心をもって世界を輝かした女性に感謝の念を捧ぐ」と記されている
というのも人見絹枝選手は女性ランナーのパイオニアとしての存在だけでは語りきれない
ちょっと前までは東洋では儒教の教えもありスポーツは男性のものとされていたが、人見絹枝選手をはじめとした人々の努力があり、現在の女性マラソン等の輝かしい実績となりえた・・・のだと思う
現に戒律の厳しいイスラム圏からは女性のメダリストはおろか競技者さえまだ数少ない
特に団体競技など女性チームはほとんど聞いたことがないほどだ


ちなみに赤い稲妻こと人見絹枝選手はアムステルダムオリンピック陸上女子800mで銀メダルを勝ち取りましたが、本来は100mなどの短距離、走り幅跳びの選手です

さあ福島千里選手
メダルばかりが実績ではありません、予選通過も本人はおろか後進への大きな財産となるでしょう

頑張れ(^^)v

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このページは、r-ohtaniが2008年8月12日 17:48に書いた記事です。

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