エンツォフェラーリミュージアムの最近の記事

イタリアで自動車産業といえば、まず思いつくのは「トリノ」でしょう
フィアットの城下町として海外にも知れ渡った工業都市です
けれどイタリア人にとってはこちらが「自動車のまち(citta` del motore)」といってはばからない聖地とも言える場所があります
それが今回訪れた街「モデナ」です
何故か・・・・そのわけは簡単
「マセラティ」(モデナ市内)
「デ・トマソ」(モデナ市内にあったが現在は解散)
「フェラーリ」(モデナから南へ10km程の所にあるマラネッロ)
「ランボルギーニ」(モデナから東に10kmほどのところにあるサンターガタ・ボロネーゼ)
など、錚々たるメーカーがこのモデナもしくは近郊に集積しているからなんです
 

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私がまだ中学生くらいのころでしょうか
そのころ「スーパーカーブーム」というものがあり、そのころ見聞きしたスーパーカー(高級スポーツカー)のほとんどが、何故かこの地で作られていることを知り、あこがれのようなようなものを感じておりました
そうここモデナは一度訪れたいと思っていた、私にとっての聖地なんです

私の住む札幌から飛行機を乗り継ぎ24時間、そしてローマからも列車を乗り継ぎさらに3時間余り
とうとうそのモデナ駅までやってきました
途中の列車からの車窓はブドウ畑や豊饒な農地がどこまでも続く田舎の田園地帯
そういえばバルサミコ酢の産地として有名でしたね

こんなところからあの高級スポーツカーが生まれてくるなど、なんだか信じがたい風景でした
 

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駅から降りてまず向かったのが観光案内所
ここでモデナの地図をいただきます
このあとマラネッロまでバスで向かいますので、バスターミナルの場所もここで聞いておきました
 

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さっそくバスの乗車券を買いにバスターミナルへ
途中大きなサッカースタジアムに出くわしました
 

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それが「スタディオ・アルベルト・ブラーリア」
マラネッロからの帰りはこの通りも封鎖され、警察の方々も配置されていて
日本でいうところの機動隊の車両のようなものまで出動してました

どうやらこの日、ちょうどここモデナを本拠地とするモデナFCのサッカーの試合が行われていたようですが、サッカーの試合ってここまでしないといけないの
そんな雰囲気でした
 

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あまりにも物々しい警備、そして怒涛のような歓声がスタジアムから聞こえてくるなど
尋常じゃない雰囲気にのまれスタジアムに入ることは有りませんでしたが
本場のセリエBの試合を観る絶好の機会でした
いや~返す返すも残念

そういえばこのあと訪れる「エンッオ・フェラーリ・ミュージアム」
そのエンッオの生まれ故郷はここモデナですが、彼は若い時スポーツ記者になりたかったと語っていました
彼もカルチョの国たるイタリア人、しかもモデナFCは1912年創設のモデナを本拠地とする地元のチーム
スポーツを愛した彼はモデナFCの試合もきっと見に行ってたんだろうな~
ほんとうにこのときに躊躇して観に行かなかったこと後悔しています
 

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そんなスタジアムを素通りし
向かったバスターミナルでフェラーリミュージアムのあるマラネッロまでのバスのチケットを購入
残念ながらバスは出たばかりで、このあと2時間後くらいまでマナレッロ行きのバスはないとのことでした
しかたありません先にモデナ駅近くにある
「エンッオ・フェラーリ・ミュージアム」を覗いていくことにします

モータースポーツ史における偉人として不滅の業績を残したエンツォ・フェラーリ
その功績を後世に残したいのでしょう
昨年彼の生まれ故郷モデナの街に「エンツォ・フェラーリ ミュージアム」がオープンいたしました
 

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ウィキペディアにはこう謳われています
『2012年3月10日、イタリア・モデナで実父が板金工を営んでいた工場兼住居を改装し、エンツォ・フェラーリ生家博物館 (Museo Casa Enzo Ferrari) が開館した。
(中略)
館内にはフェラーリやアルファ・ロメオの初期の市販車・レースカーの他に、エンツォのトレードマークであるサングラスなどの愛用品も展示されている。』

昨年3月に出来たばかりの博物館
blogなどを見渡してもまだあまり紹介されていません
折角イタリアくんだりまできたのですから、これは実際に行って見てこなければなりませんね
 

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場所はモデナ駅から歩いて10分ほどの距離にあります
地元の方でしょうか、看板を見ながらどこだろうと探しているとこっちだよ・・・と言ったように思えた・・・と声をかけてくれました
おかげで迷うことなくこの門に到着
 

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ここを訪れたのは日曜日でしたが、館内は思ったよりも閑散としていました
フェラーリというよりはアルファロメオやマセラッティのレーシングカーが多かったという印象が残りました
「おさわり禁止」とは書かれていませんが、直接触るのは厳禁でしょう
けれど写真を撮るのはOKのようでした
 

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たっぷり写真を撮ってきたので、こちらにUPしておきますね
 

エンツォ・フェラーリ ミュージアムのアルバム(7ページ75枚あります)
 

このエンツォ・フェラーリ ミュージアムの開設に当たりネックになったのが、この生家に他の持ち主がいた事だったようで
ウィキペディアにはこうも書かれていました
『生家はエンツォによって売却されていたため取得が難航し、現在の所有者から賃貸というかたちで開設された。』
エンツォ・フェラーリがが若かりし頃に、レース用のクルマを購入する資金を得るために、母親を 説得してこの家を売却してしまっていたんですね
やはりレースにはお金がかかるようです
このミュージアムにはそんな話の足跡も潜んでいたようにも思えました

ちなみにエンツォ・フェラーリのお金に関する話ではこんな話も残ってます
1969年世界を襲ったオイルショックの波はフェラーリの屋台骨をくじき、経営難となってしまいました
F1の資金もままならない、そんなときエンツォ・フェラーリはFIAT本社に出かけて、社主ジャンニ・アリエリをはじめとした面々こう言ったそうです
オレの死後フェラーリはあんたらにくれてやる
だから当面のF1資金を出してほしい
こうしてFIATから資金を援助してもらったんですね
これを好条件とみるか、それとも商売だったのか知る由もありませんが

エンツォ亡き今、フェラーリはフィアット社の傘下にあります
F1マシンにあるFIATの文字が物語っていますね
「金は出しても口は出さない」
そう社主ジャンニ・アリエリはこのときの約束を守ったというわけです

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