荒れ狂う熊野川
先週西日本を襲った台風9号と張り出した前線の影響で溢れんばかりの濁流となっていました
思い起こせば今から10年前の2011年9月、台風12号が紀伊半島を襲い、この熊野川の支流である三越川が氾濫、奥番集落は押し流され人が住めなくなり、住民全員が別の場所に移り住んで「廃村」となったことが有りました
そんな恐ろしい一面を持つこの熊野川ですが、これから行く熊野本宮大社と熊野速玉大社間の流域は、「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産に登録されています
そんな熊野川を遡りやってきたのが
熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)の中心
「熊野本宮大社」
熊野信仰が盛んであった平安時代より
34回もの熊野御幸を行った後白河上皇などをはじめ、多くの人々が熊野古道を歩き参詣した神社です
鳥居まえにはそんな白河上皇が謳った白河上皇歌碑が建立されていました
本来なら最初に訪れねばならない神社ですが、スケジュールの都合で2番目に参拝することとなりました
狛犬は感染防止の為か、マスクをしておりますが
そんなマスクにさえ八咫烏のマークを見て取ることが出来ます
さてその「八咫烏」
古事記にはここ熊野が神武天皇の東方征伐の際の上陸地として記載されていますが
その際にカムヤマトイワレビコ(後の神武天皇)を大和の橿原(かしはら)まで導いたのが、高御産巣日神(タカミムスビノカミ)の遣わした八咫烏
看板には『日本サッカー協会のマークは八咫烏です。2011.7 女子サッカーワールドカップでは、なでしこジャパンが強豪を破り見事優勝しました。選手全員がこの八咫烏の御守りを持参して戦いました。幾多の強豪と対戦する困難を乗り越え、優勝と言う目的に向かって進むチームを導いてくれるのがこの八咫烏です』
とちゃっかり御守りのPRがなされておりました
御社殿の門「神門」
絵馬?には牛が描かれ「前進」と書かれています
牛はその歩みが着実で、それゆえ「前進」「隆盛」「幸福」の象徴とされているので、そういう意味なのでしょう
そしてその神門の左手に拝殿がありここで参拝
拝殿の脇には地元新宮市の蔵元である尾崎酒造の「太平洋」は無論
京都伏見の「月桂冠」「黄桜」の菰樽も並べられていました
御朱印を賜ろうと社務所に行ったところ
令和3年の文字として、祈 コロナ終息「前」と書かれておりました
今年はいったい何だったのでしょうね
そんな社務所近くには熊野本宮大社のシンボル「八咫烏」(やたがらす)をモチーフにした「八咫ポスト」がありました
神の遣いである八咫烏の色である黒をモチーフにした八咫ポストは
「前」の文字同様にコロナ終息を祈念しているようです
ちなみにポストの隣に生えているのは多羅葉の木だそうですが、説明書きを読むとこの木の葉の裏に爪などで文字を書いていたことが葉書の語源となり「葉書の木」とも呼ばれているのだとか
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