イギリスの大英博物館、フランスのルーブル、アメリカのメトロポリタン、ロシアのエルミタージュそして台湾の故宮博物院
これらは世界三大博物館と言われています
えっ5カ所あるじゃないって?
まぁそのあたりは地元愛も勘案して我が国の博物館を含め世界三大博物館というのが定説のようです
ということで今回伺ったのは台湾曰く世界三大美術館である故宮博物院
中国歴代皇室の珍蔵品がたっぷり保存されている博物館
当然のように台北市内観光ツアーバスの観光コースに入っていました
ここ故宮博物院に来るのはこれで3回目ですが、ツアーでの来館は初めて
ツアーガイドの「陽(ヨウ)」さんの軽快な語り口での展示物の紹介を受けてみて回ることに
たとえばこの西周晩期の青銅器 「頌壺 酒器」
双胴の龍の紋様が特徴ですが、竜と言えばインドの蛇神ナーガがヨーロッパに伝わりドラゴンとなったように、中国にも仏教伝来とともに伝わったようですが
竜と言えばこの青銅器が作られた周の時代には龍は徳のシンボルとされていました
まぁ龍山寺のように迫力ある現代風の龍とは違い、いかにも平凡で簡略的な龍の文様
おそらくはこの周の時代が中国の龍の起源だと思わせる逸品です
青銅器の上部にも龍は描かれていますが、こうして上の鏡を見ると龍が描かれているのがわかります
こういった話が聞けるのもツアーガイドがいてこその魅力です
さて故宮博物院の展示物の中でも来場者が多い筆頭は翡翠で作られた
「翠玉白菜」
白菜の上にはキリギリスとイナゴがとまっているのが見て取れましたが、双方ともに多産を象徴するもの
光緒帝の側妃の一人「瑾妃」その嫁入り道具といわれているそうです
ただあまりにも食いしん坊で太めとなってしまった瑾妃は、光緒帝から寵愛を受けることも無かったようで、この嫁入り道具あまり効果は無かったようです
そして一、二を争う名品のもう一つは
「肉形石」
東坡肉(豚の角煮)を思わせるこの玉髄で造られた彫刻
豚肉の毛穴や粗い肌触りまで表現されています
ガイドの陽さんはさかんに翡翠関連の宝物をどんなに素晴らしいか力説します
翡翠は古くは玉(ぎょく)と呼ばれ中国5千年の歴史の中でもずっと重要な位置を占めてきたようで、この故宮博物院にも多数展示されています
あまり興味は有りませんが、そんな玉のコレクションにはこんな「玉盃」もありました
この清朝「翡翠の屏風」も翡翠の宝物の一つ
なんだか幻想的な美しさですが 繊細な彫刻が施された屏風には48枚もの翡翠がはめ込まれていました、日中戦争時代に汪精衛から日本の皇室に送られて昭和天皇のもとにありましたが、戦後台湾に返還されたそうです
日本から渡ったといえばこの
「三彩天王像」
大きな収蔵物は珍しいな~なんて思ってみているとガイドさんから
これは佐藤栄作元首相が、蒋介石元総統の誕生日に贈ったものなんだそうですという話を聞いてなるほどと納得
というのも故宮博物院の所蔵物は元々紫禁城にあったものを、国共内戦時の戦火を避けて中国大陸を大移動し、戦況が悪くなった蒋介石率いる国民党は2隻の船にこれらの収蔵物を載せ台湾に移送したため大きなものは運べなかったと聞いていましたが
なるほどこれはかなり後になって運ばれたものなんですね
さてここ故宮博物館にある展示物かなにかを模倣して書かれたと思われるものが、私の好きな漫画家諸星大二郎の中国を舞台とした作品の中にたびたび登場いたします
まずは鼎
西周晩期の「毛公鼎(宣王時代)」
獣を模した3本足を持つ青銅の祭礼器具で器の内側に500文字の銘文が刻まれています
そう中国では絵よりも「書」に対する芸術性が重んじられており
中国の芸術の最高峰は王羲之の筆といわれるくらいです
書といえば
西周晩期の「散氏盤」
散氏盤の内側の盤面には350文字銘文があって、この盤は水盤として用いられたのではなく公文書として鋳られたというから驚きですね
西周晩期の「宗周鐘」
西周の厲王が製作した祖先の祭祀用の楽器です
中国の芸術品である陶磁器も多数展示
なかでも目を引いたのが景徳鎮窯
文化をこよなく愛した文人皇帝・乾隆帝が愛用したとされる
「藍地描金粉彩遊魚文回転瓶」
頸部、胴部、底部、内心部に分かれ、頸部を回すと内心部の金魚が泳ぐ
どうやって作ったんだろうと考えさせられますね
同じく景徳鎮窯の至宝
「粉彩透彫雲龍文冠架」
香炉になっていて香で焚くものですが、帽子や冠を掛けるものなんだそうです
こんな感じで、故宮博物院をガイドさんの解説を聞きつつ見て回りました
このあとは自由時間となりましたが、このあと私どもは個人的に九分・基隆に行くためツアーから離れることに
故宮博物院からは市内バスで近くの士林MRT駅へ向かいます
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