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高知城天守閣より高知市内を眺望

関ヶ原戦の功績により徳川家康から土佐一国を拝領した山内一豊
その昔浦戸にあった長曾我部氏の城ではなく
高知市中心街に平城として築かれました
まずは国の重要文化財となる追手門から入城します
 

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入城してすぐの石段の上り口に立っているのが
「板垣死すとも自由は死せず」で有名な板垣退助の銅像
銅像の向こうには天守閣が見て取れます
 

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もう一つある銅像が初代土佐藩主山内一豊とその妻千代
 

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この銅像は「内助の功」
高価な名馬を購入するため、持参金、いわばへそくりを夫に差し出したという有名な逸話がモチーフとなっています
その名馬、織田信長の行った馬揃えで一躍脚光を浴びます
そうその馬こそ東洋一の名馬と謳われる「鏡栗毛」
その後山内一豊は立身出世の道を歩むこととなります
NHKの大河ドラマ『功名が辻』にも登場しますね

でもこの話、どこまで本当かかなり疑わしいところもあります
というのもそのころの山内一豊は秀吉の家来で2,000石を与えられていました
十両たらずのお金がなかったかというと多少疑問なところもあります

それにその前に母の遺言だった命にかかわるほど大事なことがある場合には開けと、持たされた「鏡奩」を開け、入っていた小判で軍備をそろえ「刀根坂の戦い」で軍功を上げたことにより認められ400石を与えられるという話がすでにあったからです
どうやらその刀根坂の戦いの話と馬揃えで一躍脚光を浴びた話の合わせてできた創作なのではとも言われているからです
 

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さて話を高知城に戻しますが
高知城は江戸時代に建造された三層六階の天守閣や本丸御殿が完全に残る唯一の城
そう江戸城のように明治維新時に廃城となったり、南海地震や戦争を乗り越え、築城以来約400年余りの歴史を持つこの天守閣・本丸は、もちろん国の重要文化財となっています
 

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そんな天守閣から高知市を眺めるとこんな感じ
これは高知城西側に景色、高知県庁西庁舎や裁判所が見えますがその奥には坂本龍馬生誕の地がある方角です
ちなみに「酔えば勤王、醒めれば佐幕」との例えのように、風向きの強い方になびくと揶揄された山内容堂公が眺めたのもきっとこんな景色だったんですね
 

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そうそう高知城にあった
家紋「三つ柏」山内家の家紋で土佐藩船の船印としても使われていました
土佐出身の岩崎弥太郎がこの紋を模して、今では有名なあの三菱のロゴが生まれたのですね


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2020年12月29日 16:19に投稿されたエントリーのページです。

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