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落書きだらけだったベルリンの壁「イーストサイドギャラリー」

ベルリンの都市鉄道のSバーンで東駅までやってきた後は
シュプレー川方面まで歩いて10分ほど
その川沿いに東西ドイツを分断する抑圧のシンボルだった「ベルリンの壁」がありました

1961年8月13日、東西ベルリンの境界線が封鎖され、西ベルリンをぐるりと取り囲む壁が一夜にして作られたと言われていますが、実際には道路閉鎖と有刺鉄線による壁が一夜にして築かれたようです
その後数年の年月で築かれたベルリンの壁
その威圧された雰囲気とは裏腹に実際に壁を見てみると10数cmの薄い壁が張り巡らされただけでした
 

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1989年に壁は崩壊。東西統一後、旧東ドイツ側の壁にはアーティストたちのメッセージが込められた絵絵が描かれたオープンギャラリー
特にシュプレー川1.3kmに渡る壁は「イーストサイドギャラリー」と名付けられ主要な観光スポットとなっております
私も折角ベルリンくんだりまで来たのですからベルリンの壁を一目見ようとやってきました

まず一枚目は東ドイツの国家評議会議長だったホーネッカーとソ連のブレジネフを描いた絵
このイーストギャラリー内一押しの絵画です
 

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ただ残念なのがこのイーストサイドギャラリー
オープンなギャラリーであるが故、落書きがあまりにも多い

ある男の勘違いで崩壊したといわれるベルリンの壁
平和の象徴として世界各国のアーティトたちが無償で描いた絵画
文化財なんだそうですが、もう少し何とかならないのかという気持ちで見て回らせていただきました
 

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このユーモラスなイラストはあちらこちらで見かけました
 

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こちらはベルリン・コレクションっといったところでしょうか


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なぜかここのバットマンとジョーカー
 

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ベルリンの壁を飛び越える男


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そして東ドイツの代表的というかこれしかないという車である大衆車トラバントが壁から飛び出してるシーンがまさにベルリン壁そのものに描かれています
そう言えば私もベルリンの壁崩壊時の東ベルリンからトラバントに乗って国境検問所を続々と越える光景がTVの映像で流れましたが、これが東西冷戦の終焉へと繋がった象徴的シーンとして今も覚えています
 

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日の丸に富士山が描かれたいかにも日本ですよっていう絵画は
日本好きのドイツ人画家の手によるものなのだとか
 

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日本のことをよく思わない国の方の落書きもありました
こんな手法ばかりでゲリラ的に主張せずに、自信があるのであればきちんと国際司法裁判所で主張すればよいのに
と思うのは私だけではないかと思います
 

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2015年2月11日 09:06に投稿されたエントリーのページです。

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