目の前に聳え立つ「頸城駒ケ岳」をはじめ
根知から田園の奥にポコポコ並ぶ「妙高戸隠連山」
この地域はフォッサマグナ(大地溝帯)と呼ばれています
かつては海だった場所がマグマが地下からあがってきて隆起し、そのマグマが冷えて固まった隆起しそのマグマが冷えて固まり山々が形成されています
さてそのフォッサマグナ、映画「黒部の太陽」でも、フォッサマグナによる破砕帯の話が出てきます
いや出てくるというよりは、フォッサマグナと呼ばれる断層地帯による破砕帯が憎っくき敵
そう影の主人公です
その陰の主人公をやっつける(破砕帯を貫通する難工事)という映画だったように思えました
ちなみにフォッサマグナとは、ラテン語で「大きな溝」
明治時代に日本に来たドイツの地質学者・ナウマン博士が発見し、命名されました
根知男山 渡辺酒造店 豊醸蔵から車で3分
この地を通る断層(糸魚川静岡構造線)を人工的に露出させて断層の状態を見学可能にした「フォッサマグナパーク」はありました
フォッサマグナパーク、まずは「枕状溶岩」
五角形や六角形の柱状節理が集まってできた日本最大の枕状溶岩
枕が積み重なったような模様がある溶岩で、水中で流れだした証拠となります
立体的には、チューブ状の溶岩が何本も重なったもの
そんな枕状溶岩の露頭部や
遊歩道沿いには「車石」と呼ばれる枕状溶岩が見て取れました
「塩の道」
ウトウとは、塩の道の勾配をゆるやかにするために、人工的に削られたU字形の凹地です
史跡「大野のウトウ 」は特に見事で、新潟県糸魚川から長野県塩尻までの全長120キロメートルの道は歩荷(ボッカ)と呼ばれる人たちが牛や馬に載せて運んだことで知られています
ちなみにあの戦国の武将上杉謙信と武田信玄で知られる「 敵に塩をおくる(義塩) 」の故事「争ふべきは弓箭にあり。米、塩に非ず」の由来となったとも言われた道とも言われています
「フォッサマグナ」を解説する表示板を読むと
日本列島は実は一枚岩ではなく、もとは中国大陸の一部だった日本列島が太平洋側に押し出されたうえ、新潟と静岡を結ぶライン(糸魚川-静岡構造線)で二つに「ボキっと」折れてしまい
その間にできたのがフォッサマグナなんだそうです
断層破砕帯をはさんで、西側のユーラシアプレート約4億年前の古い岩石(左手)と東側のフォッサマグナ約1600万年前の比較的新しい岩石(右手)が接しているのが見て取れますが
見てるだけじゃつまらないので(西側)ユーラシアプレートと(東側)フォッサマグナを一跨ぎしてみました
だんだん興味がわいてきて、このあと糸魚川市のフォッサマグナミュージアムにも立ち寄ることに
ちなみにそのフォッサマグナミュージアム竹下登内閣が掲げた「ふるさと創生事業」で作られたものなんだとか
ミュージアムにはナウマン博士の功績が展示されていますが
ちなみにあの「なうまんぞう」はナウマン博士に因んで付けられた和名なんだとか