実は先週末、生まれて初めての「喪主」を経験いたしました
亡くなったのは「母」
享年84歳でした
葬儀については生前本人から近親者のみで極力小さくあげてほしい旨の話を伺っていたので式はごく少数の母に縁のある方のみで執り行わせていただきました
親族などのあたたかい励ましや指導も有り無事済ますことができました
葬儀を終えただただ感謝の気持ちで一杯です
ちなみに新聞のお悔み欄も葬儀が終わった今朝の新聞に「葬儀終了」の案内を載せたのみとさせていただいています
母が亡くなってから母を思い出す風景に、母の背中がありました
それも何故か今から50年以上前の風景
生活の足しにしようとしたのでしょう、当時住んでいた名寄の市営住宅から名寄大橋を渡り、その向こうにある農家に「でめんさん (北海道の方言で農家の繁忙期における日雇い)」に出掛けて行った風景が目に浮かんできたんです
まだ小さかった弟を背中に背負い(下の写真で祭壇の前でうろうろしているのが今の弟です)、右手に草刈り鎌、そして左手でまだ幼児だった私の手を携え歩く風景がしっかりと記憶に残っています
ちなみに前後の記憶は全くありません、おそらくは名寄大橋から望む川の風景が幼児だった私にはかなりかなり怖い風景だったため記憶に残っているのだと思っています
他にも私どもに手がかからなくなってからはダスキンや道新の集金、クリーニング店と主婦だけにとどまらず働き者だった母
唯一の楽しみはちょっとした合間に愉しむコーヒータイムでした
とは言え時はまだ昭和40年代、レギュラーコーヒーなど高嶺の花
当然のようにインスタントのコーヒーでしたが
疲れた時にそんなインスタントコーヒーを淹れて差し出すと、たいそう喜んでいた母の姿を思い起こします
イタリアで飲んだエスプレッソコーヒーやベトナムコーヒーに嵌る、私のコーヒー好きもそんな母の影響だったかもしれません
ちなみに香典返しはそんな思いを込め「レギラーコーヒー」にいたしました
働き者だった母には及びもしませんが、告別式翌日は普通に出社する自分がいます
そんな私も出社するとすぐにまずはコーヒーを淹れコーヒータイム
これから先もコーヒーを飲む際は母の背中を思い出しつつ飲むことになるでしょう