台北市内観光のツアーバスは午後の部へ突入
まずは台湾観光の定番スポット「忠烈祠」へ
荘厳な入口のこの門が迎えてくれました
ここ忠烈祠はMRT圓山駅からはタクシーを使って行くといったアクセスがあまり良くない場所に有るため、普段の個人ツアーではなかなか来るのは難しい観光スポットでありました
もっとも抗日の象徴でもあるこの場所にわざわざ来なくてもという思いもありました
ツアーでもなければ来ないところです
そうこの忠烈祠のある場所はもとは日本統治時代に台湾靖国神社があった場所
参道となる中央広場の奥にある大きく立派な忠烈祠大殿は北京紫禁城の「大和殿」を模して建設されているとの事
日本軍の戦死者を祀っていた場所に建てられたり、中国の象徴を模して造られたりと
その時の台湾政府の思考を推し量るそんな建築物だったりもします
忠烈祠大殿の入り口には何やら人影が・・・
そうここは陸・海・空軍より選抜された兵士が、1時間交代で入口の大門と忠烈祠大殿を各2人ずつで護っています
不動の姿勢を保っていますがそれはまるで蝋人形のよう
その周りでは観光客が衛兵と写真を撮っていましたが、身動きどころか瞬きまでしないように見えました
そんな衛兵たちが護るのは
正面には『国民革命烈士之璽位』の文字が記された位牌とその脇にある文烈士祠、武烈士祠と呼ばれる祠
そうここは辛亥革命や抗日戦争、中共との戦いで戦死した英霊を祀っているところです
ちなみに抗日とはありますが、ここには烈士の中の唯一の外国人である日本人の山田良政も祀られているそうです
大殿の裏にある回廊「走馬廊」には26枚の建国以来の重要な戦役の経緯を描写した絵が掲げられていますが、その中に気になる絵が掲げられていました
それが「七七事変」
中国では「六四天安門事件」のように日付がそのイベントの名称になることが多いのが特徴です
ちなみに中国本国ではネットは検閲され「グレート・ファイアウォール」(防火長城)のより「天安門」とキーボードをたたいても何も出てこないということでしたが、7年前に上海万博を見に行ったときはしっかりと検索できました
最近はこの検閲システムがかなり進んでおり
「64」「天安門」なんて打っても「六四天安門事件」のものは検索できないようです、そんなわけで6月4日を5月35日と打ち換え「五三五」なんて隠語で呼ばれることもあったようです
そうそう七七事変ですが、これは1937年7月7日に盧溝橋で起きた日本軍と中国国民革命軍との衝突事件「盧溝橋事件」を指しています
漢字文化圏といえど国が違えば当然呼び方も変わるようです
さてここへ来た目的は儀仗兵交代のセレモニー
雨天中止のはずでしたが、この日の天候は傘が必要か否かと思える程度の小雨でしたので何とか決行してくれました
大門での交代式を終えた、引率の兵士1人を含む5人(任務に就いていた兵士とこれから就く兵士)で隊列を組んだ儀杖兵が、大門から中央広場を大殿に向かって重たそうな銃を背中に背負って足音を鳴らしてゆっくりと行進
いわゆる軍靴の音が聴こえるというやつです
この日の儀杖兵の制服は白ということで海軍の兵士が担当するようです
ちなみに陸軍は深緑、空軍は青、同じ海軍でも冬は黒となるそうですが
11月初旬は台湾ではまだ夏服なんですね
一糸乱れずの行進は見事
足元をよく見ると地面に5本のラインが出来ています
そう毎日毎日衛兵が同じところを歩くことから、こうした地面にラインが出来てしまっていたんですね、正確にはこのラインをたどって衛兵が歩くといったほうが正解かもしれませんが
あまりにもゆっくりとした行進
待ち合わせ時間が迫っていて少々イライラしていましたが、メインイベントである毎正時に行われる「衛兵交代」
「ケイレイ」の掛け声とともに始まりました
Facebookでのコメントに「舞踏を見ているよう」なんてのがありましたが
息の合った衛兵交代式は兵隊のそれではなく、まさに舞踏をみているようなそんな式典でした
そうそうこれを最後まで見ていて待ち合わせ時間に2分ばかり遅刻
私も悪いかもしれませんが、時間割悪すぎません?
やはりツアーは私どもには向いていないようです