マラッカの街の中心に位置する小高いセントポールの丘、たいへん見晴らしの良い場所で、太平洋とインド洋を結ぶ海上交通上の要衝「マラッカ海峡」を眺めることが出来ました
そしてそんな丘の頂上に「セントポール教会」は建っていました
教会の前に立つ白い石像は1549年マラッカから日本へ向かった、フランシスコ・ザビエルの像
ザビエルは最初に日本でもおなじみのイエズス会の宣教師
そんなザビエルの像には右手が有りませんが、これは「嵐によって落ちた」とのことですが、一つの逸話が伝えられています
それが志半ばで殉教したザビエルの訃報を受けたローマ法王、ザビエルの死を信じられぬとのことで死体から右手を切断し、送れと指示したとのこと
今をなおローマのジェズ教会にはフランシスコ・ザビエルの礼拝堂では聖遺物である彼の右腕が眠っているのだとか
偶然にしては何だか奇妙な一致ですね
セントポール教会はカソリック教徒が建立しましたが、その後オランダ、イギリスがマラッカを支配
プロテスタント派だったオランダやイギリスはカソリック教会として建てられたセントポール教会を朽ち果てるまで見放してしまいます
そうしたわけで現在では屋根はなく、かろうじて外壁が残っているというありさまが、なんとか当時の様子を伝えてくれています
ザビエルはの遺骸はイエズス会アジア本部のゴアに廻送される途中、マラッカにも埋葬されました
このイエズス会のロゴマークIHSと書かれた鉄骨で組まれた鉄網の箱に当時46歳で殉教したザビエル師の聖骸が9ヵ月間ここに安置されたのだとか
続いて炎天下のなか歩いてセントポールの丘の麓へ
ここにポルトガル軍によって建造されたファモサ要塞史跡(通称サンチャゴ砦)がありました
石造りのサンチャゴ砦の前には大砲が備えられていますが
砦が築かれた当時、このすぐ側までマラッカ海峡の海が広がっていたのだとか
砦のプレートには1511年と刻まれていました
まさに大航海時代初頭に貿易大国として名をはせたポルトガルのものですね
砦と言うには貧弱そうに見えますが、当時はセントポールの丘の周囲をグルリと囲む高さ5メートルもの城壁が築かれていて
この建築物は城内に出入りする4つの通用門の一つなんだそうです